
年賀状の歴史って?いつから始まったの?日本以外の年賀状も紹介
毎年年末年始になると書いたりもらったりするのが年賀状です。今でこそメールが普及したために以前ほどやり取りされていませんが、日本の正月の風物詩であるといえます。その割には私たちは意外と年賀状の歴史をよく知りません。今回は年賀状の歴史を見ていきましょう。
最終更新日: 2020年12月15日
年賀状の歴史はいつから?

毎年年末年始になると必ずといって良いほど手に取って書いたり、読んだりするものに年賀状があります。
近年ではメールやSNSなどの普及でかつてほど年賀状でやり取りされることは多くはありませんが、今もなお企業関係の方や年配の方を中心に年賀状のやり取りが行われています。
そんなことを考えると、年賀状は日本の正月の風物詩であるといって良いでしょう。
しかし、その割には私たち日本人の中でどのくらいの方が年賀状の歴史というものを詳しく知っているでしょうか?
おそらくは、多くの方が年賀状の歴史について触れたことがないでしょう。
そこで今回「終活ねっと」では、日本の正月の風物詩といえる年賀状の歴史について見ていきます。
年賀状の歴史とはどのようなものなのか?
日本の年賀状の歴史がどのような流れを経て、どういう経緯で今日に至っているのかについて詳しくご紹介していきます。
現在の年賀状事情とは?
現在の日本の年賀状事情がどうなっているのかについて見ていきます。
日本以外の国の年賀状とは?
日本以外の年賀状の風習についてご紹介します。
毎年書いたり受け取ったりしている年賀状の歴史に興味がある方や年賀状についてあらためて知りたいという方が興味を持つ情報を多く載せていますので、ぜひ最後まで読んでいただければ幸いです。
年賀状の歴史をたどる
突然ですが、年賀状の歴史と聞くといつ頃からあるのか想像がつきますか?
まったくわからないという方もいれば、意外と浅い歴史なのではないかと考える方も多いでしょう。
ここでは日本の年賀状の慣習がいつ頃から存在し、どのような流れで今日に至っているのかについて、詳しく見ていきましょう。
平安時代からあった
日本の年賀状の歴史は実は非常に長く、およそ1000年ほど前の平安時代のころから存在していました。
この当時、貴族は毎年の年始に年始回りと呼ばれる慣習を行っていました。
年始回りは自分の知り合いのところに挨拶に出かけ、新しい1年の付き合いをお願いするためにものです。
しかし、都やその近辺に住んでいる知り合いであれば直接挨拶に出向くことはできますが、遠方の場合は直接の挨拶にも時間がかかるという問題がありました。
そこで、遠方の知り合いには直接出向く代わりに、挨拶状を送ることで年始回りの代わりとしていました。
この慣習が年賀状の原型とされていますが、当時の年賀状はあくまで貴族の慣習であり、一般庶民には普及していませんでした。
江戸時代
日本の歴史の中で年賀状に転機が訪れるのは江戸時代に入ってからのことです。
すでに戦国時代のころには書状による年始回りの慣習は武士にも広まっていました。
その後、江戸幕府成立で戦乱の世が終わったことに加えて、五街道や飛脚制度が整備されたことで、国内で円滑に書状のやり取りができるようになったと考えられています。
それに伴って武士たちの間で正式な年始挨拶がますます盛んになっただけではなく、庶民の間でも年始の簡単な書状のやり取りが行われるようになりました。
ただし、現在のように元旦や正月期間中にきちんと届くようにしていたわけではなく、中には梅雨の時期(6月ごろ)に届いたという話さえも伝わっているほどです。
明治維新後
明治維新によって江戸幕府の時代から明治新政府の時代に入ると、日本は欧米諸国に負けないように近代化に着手します。
近代化の過程で年賀状の慣習にも大きな変化がもたらされるようになっていきました。
郵便制度の誕生
今でこそ、年賀状のやり取りは郵便局を通じて行われていますが、郵便局ができたのは明治時代の近代化の中で郵便制度が誕生したことがきっかけでした。
郵便局の設立に多大に貢献した歴史人物が前島密です。
彼はイギリスを視察した際に現地の郵便制度についてつぶさに見聞を重ね、帰国後に郵便制度の必要性を力説します。
彼の尽力で1871年には東京や大阪などの大都市間で、1872年には全国的な郵便通信網が確立しました。
はがきの登場によって急速に普及
前島密による郵便制度創設とともに登場したのが「はがき」でした。
実ははがきも、前島がイギリスを視察した際に、ポストカードが流通しているさまを見た経験をもとに登場したもので、彼は日本の郵便定着でポストカードが重要な役割を果たすと考えました。
簡単かつ安価で近況などを遠くの人に伝えるための手段として登場したはがきですが、これに古くからある年始の挨拶状の慣習が結びつくようになります。
やがて、年ごとにはがきを使って年始の挨拶をする人が急増したために、1886(明治20)年ごろには年始の時期の郵便業務が滞ったり、年賀状の到着が遅れたりするような状況になりました。
年賀郵便制度の完成
以上の状況に対して政府側も、年始の時期の集配の頻度を減らすなどいろいろと対策を講じましたが、根本的な解決にはなりませんでした。
そこで、1899(明治32)年に指定郵便局に持ち込んだ年賀状を通常の郵便とは違う特別枠で扱うという年賀郵便制度を導入します。
年賀郵便制度は、12月20日から30日に郵便局に持ち込まれた年賀状を1月1日以降に届け先に配達するというものです。
まもなく、1905(明治38)年になると全国すべての郵便局で年賀郵便制度が適用されるようになります。
太平洋戦争
以上のようないきさつで国民の間に広く定着したはがきによる年賀状の慣習や年賀郵便制度ですが、実はその後一時的に年賀郵便制度が中止になった時期がありました。
それが、1937(昭和12)年に中国との間で起こった日中戦争、そして1941(昭和16)年からアメリカなどとの間で発生した太平洋戦争の時期のことです。
日中戦争が勃発したのが1937年のことでしたが、その後時期が経つにつれて戦局が悪化していったため、国内では年始に年賀状をやり取りするような空気ではなくなっていきました。
まもなく、1940(昭和15)年には年賀郵便制度の中止措置が取られたほか、太平洋戦争が始まってからは自粛ムードが広まっていきました。
戦後
1945(昭和20)年8月15日、日本がアメリカなどの連合国に無条件降伏したことで戦争が終わります。
空襲などの戦火から解放されはしましたが、日本の戦後は一面焼け野原の状態から始まりました。
そして、戦後復興の中で年賀状の慣習も徐々に復活するようになります。
年賀郵便制度の復活
戦争の影響で一時的に途絶えて年賀状も終戦の年の末に見られるようになります。
ただし、終戦直後の混乱や物資不足の影響もあり、お互いの生存を喜び合ったり、また安否を確認しあったりするためにやりとりされたものでした。
戦前と同じように年始の挨拶のために年賀状をやり取りすることができるようになったのは、戦争が終わってから2、3年ほど経ち、幾分か復興が進んできた時期のことです。
この流れから1948(昭和23)年には中止となっていた年賀郵便制度も再開されるようになります。
お年玉付き年賀はがきの誕生と大ヒット
年賀郵便制度が復活したとはいえ、世の中はいまだに戦争の痛手から立ち直っておらず、敗戦の暗いムードを引きずっている状況でした。
そのような状況の中、京都のある民間人が、年賀状を通じてお互いの安否を確認しあえるように年賀状にお年玉くじをつけることを当時の郵政省に提案しました。
最初は却下された提案でしたが、その後粘り強い交渉の結果、ついに1949(昭和24)年の12月からお年玉付き年賀はがきが登場するようになります。
このお年玉付き年賀はがきは、くじ番号がついており抽選の結果当たった場合に賞品が送られてくる仕組みです。
その後、お年玉付き年賀はがきは大ヒットし、現在では複数の景品から1つ選ぶ方式に変わったものの、今でも正月の時期の楽しみの1つとして人気があります。
現在の年賀状

平安時代に登場して以来、さまざまないきさつを経て日本人にとって不可欠な慣習となった年賀状ですが、現在の年賀状事情はどのようになっているのでしょうか?
ここでは、現在の年賀状事情を見ることで、年賀状が置かれている現状について理解を深めていきましょう。
年賀状増加による改革
1950年代の初め(昭和25年前後)までに戦後復興がひと段落したことで、ようやく日本全体で年始に年賀状のやり取りを行えるほどの余裕が出てきました。
このため、年を追うごとに年賀状の取扱量が増えていくようになります。
そこで郵便局側も年々増える年賀状に対応できるようにするために、さまざまな改革を行うようになっていきました。
まず、1961(昭和36)年にはがきの額面表示の下に、消印に模した丸表示を印刷したスタイルを導入するようになります。
これにより、それまでは年賀状に1枚ずつ消印を押す業務を省略することができるようになったことで、年賀状が増加しても郵便局でスムーズに対応できるようになりました。
さらに、1968(昭和43)年には郵便番号制度が導入されるようになります。
これは郵便局での送り先ごとの分類作業の自動化が大きく関係しており、郵便番号を機械で読み取ることで、分類作業の効率が劇的に向上し、配達も早くできるようになりました。
ちなみに、導入当初の郵便番号は5桁でした。
多様化する年賀状
その後も年賀状は年を追うごとに取り扱いが増え続けますが、一方で多く出す必要のある人は年賀状を書くために膨大な時間や労力を必要としていました。
そこで、1979(昭和54)年には好きな絵や写真を手軽に印刷できる年賀状印刷が登場するようになります。
これによって、日頃忙しくても絵や写真入りの年賀状を簡単かつ短時間で作ることができるようになりました。
さらに、21位世紀に入ると、デジタルカメラなどで撮った写真をそのまま年賀状に使うことのできる写真年賀状印刷も広く使われるようになります。
このため、その年に流行した話題のものが写った写真を簡単に年賀状に印刷できるようにもなりました。
さらに近年では、海外在住の日本人や友人に送ることのできる海外年賀状も広まっています。
なお、送り方は英語でエアメールと表記するようなやり方が一般的です。
年賀状の値段の改定
長い間年賀はがきの値段は50円でしたが、2014(平成26)年の消費税増税に伴って52円となりました。
その後、2017(平成29)年には普通のはがきの値段が62円に改定されたものの、年賀はがきについては52円のままとなっていました。
しかし、2019(平成31)年用の年賀はがきから62円に統一されました。
日本以外の年賀状

年賀状は日本だけの慣習のように見えますが、実は日本以外でも年賀状の慣習があります。
ここでは、韓国と中国の年賀状の慣習をご紹介しましょう。
韓国
韓国の場合は毎年11月に国の機関である郵政事業本部が発売することで、年賀状の取り扱いの機関が始まります。
ただし、日本の年賀状の慣習に比べると、軽い年始の挨拶に使われるグリーティングカードのようなものといえるでしょう。
中国
中国の場合は、王朝社会の時代の有力者たちが年始にやり取りした挨拶状がルーツになっています。
日本との違いは、旧正月(2月前半)にやり取りするという点だけで、基本的には年始のお祝いの言葉をやりとりするためのものです。
年賀状の歴史まとめ

今回「終活ねっと」では、年賀状の歴史についていろいろと見てきました。
内容をまとめますと、以下のようになります。
年賀状の歴史は平安時代の貴族が遠方の知り合いに年始回りの代わりに送っていた挨拶状に由来し、江戸時代には武士や庶民にもこの慣習が広まるようになる。
本格的な年賀状の制度は明治時代の郵便制度の確立と共に生まれ、戦争による中断はあったものの、戦後に復活して現在では日本人に不可欠な慣習となっている。現在の年賀状は増加する需要に伴って、郵便番号制度の導入や消印省略がなされてきている。
また、作成する側の負担を軽くするために年賀状印刷などといった多様な種類も登場してきている。韓国や中国にも年賀状の慣習はあるが、韓国の場合はグリーティングカードとしてやり取りされるのが一般的である。
中国の場合は、王朝社会の年始の挨拶状の名残で現在に至るが、やり取りされるのは旧正月である。
日本の年賀状の慣習は平安時代以来の年始の挨拶状の慣習に、明治時代の近代化で確立した郵便制度が組み合わさってできたものといって良いでしょう。
その後1世紀以上にわたって広く普及してきていることは、日本人に息づくお互いを思いやる気持ちを体現したものといって良いのではないでしょうか。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。