豊臣秀吉のど派手な兜はいったいどのような意味があるの?

戦国時代の武将は己の存在をアピールするために、兜屋鎧をど派手なものにする方々がかなりいます。その筆頭ともいえるのが豊臣秀吉です。今回はそんな豊臣秀吉の兜について解説いたします。

目次

  1. 色んな兜は在れど意味はいったい?
  2. 豊臣秀吉で有名兜はこれ!
  3. 他にも豊臣秀吉の兜はある
  4. 豊臣秀吉は兜で目立ち過ぎた?
  5. 豊臣秀吉の兜 まとめ

色んな兜は在れど意味はいったい?

戦国時代の人たちの兜や鎧はど派手なものが多く、「さすがにそれはどうなんだろう」と思ってしまう物すらあります。しかし、それらには深い意味合いが隠れているものも多く、縁起物という物を大切にしていた昔の人からすれば、大切な事柄だったのかもしれません。

そこで、今回は豊臣秀吉の兜に隠された意味を読み解いて、いったいどのような目的であのような形になったのかを推察し、解説したいと思います。

豊臣秀吉で有名兜はこれ!

豊臣秀吉

豊臣秀吉で最も有名な兜はやはり画像のような「一の谷馬蘭後立付兜」ではないでしょうか。朝日が昇ることをイメージして造られたと言われているこの兜は非常に特徴的で、一回見たら忘れることはできません。インパクトが非常に強く、様々な戦国物のゲームでもこの兜をモチーフにしたものを豊臣秀吉に良くかぶせているので、おそらくほとんどの方がこの兜をイメージすると思います。

この兜の意味を紐解いていきましょう。まず「一の谷」とは摂津国の一の谷で、「馬蘭」とは菖蒲の一種である植物になっております。菖蒲とは「しょうぶ」と読むため、縁起物として使われたようです。

ちなみに、この兜は豊臣秀吉がずっとかぶっていたわけではなく、蒲生氏郷の家臣である西村重就に1587年の九州攻めの褒美として与えられているのでつけていた期間は非常に短いと言われているのです。ただし、あまりにもインパクトがあるので「豊臣秀吉の兜=一の谷馬蘭後立付兜」となってしまったのは致し方ないと言えるでしょう。

復元したものは大阪城天守閣にある

この豊臣秀吉の兜は大阪城の天守閣で陣羽織と共に試着することができるので、気になる方は現地でかぶってみるといいでしょう。少しでも豊臣秀吉の気分になることができますよ。

それ以外にも、真田幸村・加藤清正・後藤又兵衛・黒田官兵衛といった名武将の兜もあるので豊臣秀吉以外の戦国武将ファンの方々にも確実に楽しめるところと泣ております。

他にも豊臣秀吉の兜はある

豊臣秀吉

豊臣秀吉の兜は「一の谷馬蘭後立付兜」が有名すぎるために他はあまり知られておりませんが、他にも「黒熊毛椎形兜」のような兜も伊達政宗に豊臣秀吉が小田原の役で使用して拝領したといわれております。今は仙台博物館にしまわれているそうです。

あとは、「金小札色々威胴具足」に合わせて作られた兜もありこれは木下家に代々伝わってきたと言われております。

このように一人の武将がずっと同じ兜を使っているわけではなく、状況や戦場によって変える人が多いので、イメージが固定化されている現代ではありますが付け替えているということを覚えておいてください。

ここら辺は歴史資料がどれだけ残っているのかどうかにかかってきますし、現物も残っているかどうかで変わってくるので、これからの発見次第で新たな秀吉の兜が出てくることもあるでしょう。

実際に、豊臣秀吉由来の品々は徳川政権になっても持っているのは危険ということでひた隠しにされてきたという逸話が残っており、兜といったものも表に一切出てこないで埋まっている可能性もあります。また、持っているだけで反逆罪扱いされてしまう恐れがあり、捨てられてしまった可能性だってあるでしょう。

豊臣秀吉は兜で目立ち過ぎた?

兜

戦国時代というのは己の名前を高く売ってなんぼという時代でもあるので、できる限りめだとうという人がたくさんいました。しかし、火縄銃という現代よりも性能は劣りますが狙撃可能な武器が登場したことによって、兜によって目立っている人を撃ち抜くといった事態が発生します。

実際に、目立ち過ぎたがゆえに狙撃されたというエピソードはいろんな人たちに残っており、黒田官兵衛の用紙である黒田一成も関ヶ原で兜で目立ち過ぎて狙撃されたという話が残っております。

しかし、あの時代の鎧や兜は狙撃されても討ち取られないように作られているものが多く、伊達政宗や徳川家康が狙撃された時も鎧や兜によって一命をとりとめたという逸話も残っております。彼らが鎧を脱ぐと銃弾が落ちてきたとか、兜にへこみができていたという話もあるようです。

そのことをわかっていた方々は、自分が使っていた鎧や兜を部下に与えてある意味おとりとして使っていたというエピソードもありました。鎧や兜はその人の象徴となっているので、その鎧と兜を着ている似たような背格好をしている人がいたら、優先的に狙ってしまうのも分かりますよね。

豊臣秀吉の兜 まとめ

豊臣秀吉の兜は「一の谷馬蘭後立付兜」があまりにも有名で、レプリカもいろんなところにあり、豊臣秀吉の鎧や兜のミニチュア版もこの兜で販売されているので、今や日本人にとってこれが当たり前という意識が強く広まってしまいました。

あの兜を使って戦った期間はそこまで長くはなかったのですが、あまりにも秀吉のイメージとマッチしてしまったので、殆どの人たちが認めてしまったのも納得してしまうのではないでしょうか。

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