上杉の為に生きた男・戦国武将直江兼続の名言

愛の兜で有名な上杉家の家老、直江兼続をご存知でしょうか。上杉一筋に生きた彼の名言を集めてみました。智勇に優れた武将であった直江兼続にはどんな名言があるのでしょうか。

目次

  1. 直江兼続とはどんな人?
  2. 直江兼続の名言は?
  3. 大河ドラマ天地人からの名言
  4. 直江兼続の逸話
  5. 直江兼続の名言 まとめ

直江兼続とはどんな人?

困った人々

直江兼続の名言に入る前に、彼がどんな人であったかみてみましょう。

長尾家に仕える樋口家の長男として誕生

直江兼続は樋口家の嫡男として誕生しています。誕生年は1560年。織田家が今川家を破った年であり、あの石田三成と同い年です。幼いころから聡明であった直江兼続はその才能を景勝の母に見抜かれ、幼いころから小姓として仕えることになります。1564年に景勝に仕えていますが当時4歳。景勝の初陣は1566年と言われていますから、6歳のときに景勝に仕えて出陣したのかどうかは分かっていません。特出して記録に残される家柄でもなかったことが悔やまれます。

直江兼続の誕生

1578年、突然上杉城主、上杉謙信が死去。後継ぎなど決めていなかった為、後継ぎを巡る御館の乱が起こりました。そこで景勝は勝利し、上杉家を継ぐこととなります。それから3年後の1581年、上杉家重臣直江信綱が不慮の死を遂げます。名家である直江家断絶を惜しむ景勝は、兼続を直江家の婿養子にします。ここで直江姓を継ぎ、現代でも知られる直江兼続が誕生しました。

秀吉に認められ、家康に歯向った直江兼続

直江兼続の才能を特に評価していたのは豊臣秀吉でした。家臣にならないかと誘ったり、米沢に領地を与えたりと目をかけていたことが分かります。徳川家康には歯向かう姿勢が現代にも伝えられており、関ヶ原の戦いがはじまったのは徳川家康が上杉征伐に出陣したときとなっています。また、伊達政宗と大変仲が悪かったという逸話も残されています。

直江兼続の名言は?

では直江兼続の残した名言をみていきましょう。

孟子を用いた名言

こちらは直江兼続の名言として有名ですが、もともとは孟子の言葉です。
天の時は地の利に如かず 地の利は人の和に如かず

簡潔に、「天の時、地の利、人の和」とも表わされることがあります。
天に味方されていても地の利に劣り、地の利を得ていても人の団結には及ばないという意味になります。主に戦場にて使用していた戦略の心得となりますが、運がよくても、その地を知り尽くしていようとも、大事なのは人との和であり団結していてこそ天が運を授け、地の利が活かせるという意味です。豊臣秀吉に認められるほどの知将であった直江兼続がよく分かる名言になっています。

師の教えからの名言

景勝と兼続は幼き頃、雲洞庵にて通天存達和尚に学問を習ったとされています。
そこで師からの言葉で生まれた名言がこちらです。

国の成り立つは、民のなり立つとする。

当時まだ景勝が上杉家を継ぐことなど誰も知らなかったわけですが、このときから景勝と景勝を生涯支えることとなる直江兼続に国づくりの基礎を学んでいたことになります。
意味はそのままで、国が成り立つということは民が生き生きと生活できる国であるということという意味です。関ヶ原の戦いの後、減封されたにも関わらず家臣のほとんどは上杉景勝についていったとされています。名言が生きていた証拠と言えるでしょう。

大河ドラマ天地人からの名言

こちらの名言は2009年に放送された大河ドラマ、天地人からきています。
ドラマとはいえども、直江兼続の人格があって生まれた名言なのでフィクションとも言い切れません。

力によってねじ伏せられた者は

1589年の小田原征伐にて、上杉景勝、前田利家、真田昌幸らが松井田城を囲み、大道寺政繁を攻撃します。大軍の前に勝てないと判断した大道寺政繁は自分の命と引き換えに家臣の助命を嘆願します。それを上杉景勝らは受け入れ、敵に酒や食料をふるまったとされています。そのときの直江兼続の名言がこちらです。

力によってねじ伏せようとしたものはいつかそれ跳ね返そうとする。しかし、真心をもって扱われた者は心で返してくれる。

人と人の繋がりを大事にする直江兼続、人の扱いがいかに大事かを物語る名言です。現代においても上から無理やりおしつけても心まではおしつけることができません。真心を持って対応するからこそ、相手からも真心をもった対応が返ってくるという名言です。

史実はどうだったのか

あくまで食糧をふるまったのはドラマ上の演出で、本当にあったかどうかは記録にありません。大道寺政繁も籠城を一か月続けていますので、何とか勝ちたい気持ちはあったのでしょう。しかし上杉らの温情のある行為が分かる行動が残っています。大道寺らは籠城し戦いますが、どんどん廓が落ちていき負けを覚悟します。せめて孫たちだけでも脱出させたいと、討たれる覚悟で外へ出します。これに気づいていないわけはありませんでしたが、上杉らは見て見ぬふりをして逃がしました。無益な殺生はしなかったことが分かります。

直江兼続の逸話

残念なことに知将直江兼続の名言は記録としてあまり残されていません。
しかし逸話がいくつか残されていますのでご紹介します。

愛の兜は愛情の証?

この時代、側室を持つことは珍しいことでもなんでもありませんでしたが直江兼続は生涯側室を持ちませんでした。兜も愛の字を掲げておりますので、愛一筋かと思いきやそういう理由でもないようです。先に述べた通り、直江兼続は婿養子で直江家は名家でした。立場を憚って持たなかったのではという説が濃厚のようです。兜の愛は愛宕神社に戦勝祈願をしており、愛宕の愛から来ているというのが有力説となっています。

直江状の真偽

関ヶ原の戦いのきっかけとなる、会津征伐を決めたのが直江状のせいだったというのは有名な話です。しかし直江状の真偽は分かっていません。簡単に直江状の内容を説明すると五大老の中で優位に立ちたい徳川家康が上杉景勝に言いがかりをつけてきている内容を全て皮肉を込めて言い返したものになります。会津征伐を決めたくらいなのでよっぽど腹の立つ内容だったのでしょう。創作説が強いですが、直江兼続が直江状の内容まではいかずとも書状を返しているのは事実のようです。上杉家を守る為の直江兼続の頭のきれる部分が分かる逸話です。

直江兼続の名言 まとめ

いかがでしたでしょうか。
上杉家を語るには切っても切れない武将、直江兼続。彼の名言のように、人の心を大事にして生きていけると素敵だと思います。

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