明るい方へ!枕草子にみる、清少納言の中宮定子への愛。

「清少納言」が書いたエッセイ「枕草子」。「春はあけぼの」の出だしで有名な枕草子では、清少納言が感じた細々したことだけでなく、仕えた「中宮定子」が光り輝いていた頃の思い出を振り返っています。清少納言は優しさと知性あふれる定子を賛美し、尊敬していました。

目次

  1. そもそも、清少納言ってどんな人?
  2. そもそも、中宮定子ってどんな人?
  3. 枕草子が書かれた頃の政治的背景
  4. 「枕草子」の特徴、清少納言と定子の関係
  5. 清少納言と中宮定子1・香炉峰の雪
  6. 清少納言と中宮定子2・紙のプレゼント
  7. 「清少納言」と「中宮定子」に関するまとめ

そもそも、清少納言ってどんな人?

エッセイ(随筆)「枕草子」の作者です。
平安時代、代々歌人として有名だった清原氏の家に生まれます。
漢学に通じていて、知性があるだけでなく、美意識が鋭くて、明るく、社交的でした。
一条天皇の妃、定子に仕え、その才能がおおいに花開き、男性との歌の送りあい、機知に満ちた駆け引きにより名声を高めました。
清少納言のさばさばした気質を、定子はとても気に入り、心の慰めにしました。
定子が第3子出産で亡くなって後は、清少納言は宮仕えを辞め、その後は、再婚した、出家したとも言われています。

清少納言

そもそも、中宮定子ってどんな人?

一条天皇の妃。位は中宮。のちに皇后。
一条天皇との間に1男2女をもうけます。
14歳で一条天皇に入内し、寵愛を受けました。
文学、漢文に通じていて、その知性と明朗さは、一条天皇に愛されました。
第3子出産後に亡くなっています。24歳でした。

枕草子が書かれた頃の政治的背景

定子は一条天皇の寵愛を一身に受け、春を謳歌していましたが、19歳で父の関白・藤原道隆を亡くしてからは、後ろ盾となるはずの実家が不運に巻き込まれ、人生が急変し、没落していきます。

20歳の時、権力闘争に破れた兄弟が流罪になり、絶望した定子は勢いで出家をします。
しかし、定子を愛する一条天皇の意向で、定子は還俗させられます。(静かな出家の生活から俗世間への復帰)

一条天皇は定子へ個人的に大きな愛情を注ぎましたが、それは、天皇というものはしっかりした後ろ盾を持つ妃を大切にすべきで、かつ、子孫を残さなければならないという当時の社会のルールを逸脱する行為で、批判の的になりました。

また、定子も還俗したことで激しい批判を浴び、特に娘(彰子)の入内を計画していた権力者藤原道長からは陰湿な扱いを受けました。

道長が「1人の天皇には1人の中宮」というルールを破り、中宮定子を皇后に、彰子を中宮にした(史上初の、1帝2后)ことで、定子はよりいっそう肩身の狭い思いをすることになります。
しかも、定子は実家を火事でなくしてもいます。

定子は、一条天皇との間に、1男2女をもうけるものの、第3子を出産した後、24歳の若さで亡くなりました。

枕草子

「枕草子」の特徴、清少納言と定子の関係

枕草子には、四季、日常の様々なことへの観察や記録、清少納言が宮廷で過ごしていた頃に興味を持ったことなどがまとめられています。
ただ、清少納言は定子との出会いがなければ枕草子を書かなかったと言っても過言ではありません。

枕草子は清少納言が定子に仕えた7年間の後宮での生活をもとに書かれましたが、枕草子には定子が輝いていた頃の1年半にのみ焦点を合わせ、没落してからの定子のつらい立場を代弁した箇所はありません。

定子との明るく、楽しかったやり取りを書き連ね、いかに定子のサロンが魅力にあふれるものだったかをつづっています。
清少納言は悲しい思い出はあえて書かなかったのです。

では、清少納言と定子の、心温まるやりとりを具体的に見ていきましょう。

桜

清少納言と中宮定子1・香炉峰の雪

【枕草子 284段「雪のいと高う降りたるを」より】

雪がとても高く降り積もっていましたが、いつもと違って格子を下ろして、炭びつに火をつけて、皆でおしゃべりをしていました。
定子さまが、「清少納言よ、香炉峰(こうろほう)の雪はどんな様子かしら」とおっしゃるので、私は格子を上げさせて、御簾(みす、すだれ)を高くあげたところ、定子さまはお笑いになりました。
女房たちも、「そういう漢詩は知っていて、歌にまで詠んでいるけれど、思いつきませんでした。やはり、(清少納言さんは)中宮さまにお仕えする人としてふさわしいようですね」と言いました。

これは、白居易の漢詩の一部「香炉峰の雪はすだれをかかげてみる」を踏まえて、外の雪景色を見たい定子の気持ちを清少納言がくみ取ったことで有名です。
定子は白居易の漢詩の世界を後宮で再現してみたかったのでしょうね。
清少納言はその定子の思いを理解し、素晴らしい対応で返しました。
定子は清少納言を信頼し、ふたりは気持ちが通じあっていたことがこの段で分かります。

雪

清少納言と中宮定子2・紙のプレゼント

【枕草子 262段「御前にて人々とも」より】

ある日、定子さまや女房たちとおしゃべりしていた時に、
私(清少納言)は、「世の中のことが腹立たしく、憂鬱で、ほんのしばらくの間でもこの世にいたくない気持ちがして、どこでもいいからどこかに行ってしまいたいと思っているような時に、とても白くて綺麗な紙やよい筆などが手に入ると、このうえなく気持ちが慰められて、なにはともあれ、生きていてよかったなぁと思います」と申し上げると、
中宮さまは、「あまりたいしたことがないことで慰められるのね」とお笑いになられた。
(略)
それからしばらくして、心から思い乱れることがあって(藤原道長のスパイではないかと疑われていた)、実家に下がっていた時、中宮さまが素晴らしい紙を20包みほど、私に贈ってくださった。
中宮さまは、「早く参上しなさい。この紙はいつだったかの話を思い出してのものです。あまり上等な紙ではないけれど」
と書いていらっしゃったのはとても興味深かったです。
自分でも忘れていたことを、中宮さまが覚えていてくださったので、とても感激しました。
心が乱れて、どうお返事すればいいか分からなくて、ただ、
「おそれ多いことですが、頂いた紙はまるで神さまのように効能があって、鶴のように千年も長生きができそうな心地がいたします」
と書いて、ご返事を差し上げました。

当時、紙や筆など筆記用具は高級品でした。
清少納言は嫌なことがあっても、素晴らしい文房具が手に入れば、それだけで気持ちを切り替えることができると言っています。
書くことが本当に好きだったのですね。
しかも、定子は清少納言がかつてそう言っていたことを覚えていて、彼女の心を慰める贈り物をしました。
定子は知性にあふれているだけでなく、とても思いやりのあるあたたかな人柄だったのですね。

和紙

「清少納言」と「中宮定子」に関するまとめ

いかがでしたか?
清少納言は敬愛する定子に触発されて、枕草子を書きました。
定子が幸せの絶頂にいた頃から、不遇の時代まで、清少納言は常に定子のそばにいました。
あの頃の幸せの記憶をつづっていく。
明るく、楽しく、好奇心で満ちあふれていたあの頃。
それが枕草子なのですね。
あなたも、「清少納言」と「定子」の関係を意識しながら、「枕草子」に触れてみてはいかがでしょうか。

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