京都、銀閣寺についての歴史をまとめました!

今回は、銀閣寺の歴史についてです。金閣寺の方が観光としては有名ですが、銀閣寺もぜひ足を運んで頂きたい素敵なところです。では、歴史から見ていきましょう。

目次

  1. 京都、銀閣寺について
  2. 銀閣寺は誰が建てたのか?
  3. 足利義政について
  4. 銀閣寺の歴史について
  5. 金閣寺について簡単にまとめました
  6. 金閣寺と銀閣寺の違い

京都、銀閣寺について

場所は、京都府京都市の左京区にあります。
そして歴史についてですが、創建されたのは延徳2年(1490年)。銀閣寺は、慈照寺(じしょうじ)とも言います。室町時代の後期に栄えた東山文化を代表とする建造物で平成6年(1994年)には世界遺産にも選ばれました。
こちらの宗派は臨済宗相国寺派で銀閣寺は相国寺境外塔頭です。
銀閣寺はというのは観音殿、寺院の全体を含めたの事で、観音殿のみですと「銀閣」です。
構造は、1層に真空殿という書院造、2層に仏殿造となっています。

※臨済宗相国寺派とは、1382年に臨済宗の禅僧である、夢窓疎石(むそう そせき)によって始められました。

向月台と銀沙灘

上記の画像は左から、銀閣寺の「向月台・こうげつだい」と「銀沙灘・ぎんしゃだん」という砂盛です。

向月台の盛られている砂の高さは約180cmです。月に1,2回の手入れをされているそうです。
一方、銀沙灘の盛られている砂の高さは約65cmで、こちらが造られたのは江戸時代です。
銀沙灘の砂は、「白川沙」という種類だそうで、月の光がこの砂を照らすと、うっすらと銀色に輝くと言われているそうです。
夜の観覧は行っていないので見る機会がないのが残念です。

銀閣寺は誰が建てたのか?

それは、室町幕府8代将軍、「足利義政」です。

銀閣寺は義政の祖父である3代将軍、足利義満(あしかが よしみつ)の金閣寺を見本に建築されたといわれています。

足利義政について

足利義政(あしかが よしまさ)
永享8年1月2日(1436年1月20日)~延徳2年1月7日(1490年1月27日)、父は室町幕府6代将軍、足利義教(あしかが よしのり)で、母は日野重子であり、義政は三男です。
父義教の暗殺や兄・義勝の早世などの為、義政は元服を迎えた、文安6年4月29日(1449年)の14歳にして室町幕府8代将軍となり、将軍の職を継ぐことになったのです。
義政の正室の妻は日野富子で側室の妻は2人いました。

義政は政治に対して、とても積極に取り組んでいました。父義教や、祖父の義満の政策を自らがまた復活させて行おうとしていました。しかし、乳母の今参局・鳥丸資任・有馬持家の「三魔」や実母、正室の妻富子の実家などが、政治に介入してきたことによって、義政は自分の政治を進めることが難しくなってしまいました。

応仁元年(1467年)~文明9年(1477年)に後継者を義視と義尚のどちらにするのか?という足利家の跡継ぎ問題で、これを応仁の乱(応仁・文明の乱)と言います。
この争いは、なんと、約11年間続きました。

1490年に足利義政は山荘で亡くなりました。

なぜ銀閣寺が建てられたのか?

今から500年以上の歴史がある銀閣寺が建て始めた時は丁度、幕府財政はあまり豊かではなく、他の大名たちからの援助もありませんでしたが、義政は政治・正室の妻富子などから逃げるために銀閣寺を建築したとも言われています。
この頃、和歌、茶の湯、生け花などが盛んであったため、文化人でもあった義政もまた、銀閣でこれらをしながら風流な生活をしていたようです。

銀閣寺の歴史について

歴史を辿っていくと、銀閣寺がある場所は、元は天台寺門宗・宗祖である智証大師(ちしょうだいし)・円珍(えんちん)が平安時代中期に浄土寺が創建されていた場所でした。
この浄土寺は、応仁元年(1467年)~文明9年(1477年)の応仁の乱の兵火により、焼失してしまいました。

文明5年(1473年)に義政が将軍の職を長子・義尚に譲ったのち、浄土寺跡に造営されたのが始まりです。
文明14年(1482年)に東山山荘(東山殿)の造営が始まり、文明15年(1483年)にはここに移り住んでいます。この山荘には、会所、泉殿、常御所などが建てられました。そして、金閣寺ほどの政治的機能はないのですが、ある程度は備えられていました。

以上が、銀閣寺(慈照寺)についての歴史です。

完成までに8年かかっているのですが、義政は完成を見ることなく亡くなってしまいました。

金閣寺について簡単にまとめました

金閣寺

金閣寺の歴史

歴史を簡単にまとめました。
場所は、京都府京都市の北区にあります。「鹿苑寺(ろくおんじ)」とも言います。
金閣寺が建てられる前は、「西園寺」がありました。
そして、応永4年(1397年)に室町幕府3代将軍の足利義満によって建てられました。
構造は、1層に寝殿造、2層に書院造、3層に仏殿造となっており、その上に金色に輝く鳳凰があります。
歴史のある金閣寺でしたが、昭和25年(1950年)に故意の放火によって全焼してしまいました。昭和30年(1955年)には再建されています。なので、現在の金閣寺はこの時の再建されたものです。

以上が、金閣寺(鹿苑寺)についての簡単な歴史です。

金閣寺と銀閣寺の違い

金閣寺は3層で、2層と3層には金箔が貼られていて、「北山文化」の代表的な歴史のある建築物です。
銀閣寺は2層で、銀箔は貼られおらず、黒漆が塗られ、こちらも「東山文化」の代表的な歴史のある建築物です。そして、銀閣寺と呼ばれるようになったのは、江戸時代からです。

銀閣寺、歴史のまとめ

銀閣寺(慈照寺)の歴史はいかがでしたか?義政は、完成をみることができぬまま、亡くなってしまったのが残念ですが、歴史のある、銀閣寺を今後も大切にしていかなければいけません。
銀閣寺は金閣寺とは少し距離は離れていますが、ぜひ、歴史ある銀閣寺へも足を運んで頂きたいです。

「銀閣寺・歴史」に関連する記事

この記事に関するキーワード

ランキング

シェアする

関連する記事

「銀閣寺・歴史」についてさらに知りたい方へ

金閣寺と銀閣寺の歴史・場所・違い・建てた人などをを紹介。のサムネイル画像

金閣寺と銀閣寺の歴史・場所・違い・建てた人などをを紹介。

世界遺産 金閣寺 その金色の後ろにあるもののサムネイル画像

世界遺産 金閣寺 その金色の後ろにあるもの

日本文化の原点はこの時代にあった!室町時代の文化をご紹介します。のサムネイル画像

日本文化の原点はこの時代にあった!室町時代の文化をご紹介します。

京都にある応仁の乱にゆかりの場所はこちらのサムネイル画像

京都にある応仁の乱にゆかりの場所はこちら

金閣寺の見所はどこ?金閣寺トリビアをまとめてみた!のサムネイル画像

金閣寺の見所はどこ?金閣寺トリビアをまとめてみた!

金閣寺はなぜ金色?どのくらいの金箔が使われているの?のサムネイル画像

金閣寺はなぜ金色?どのくらいの金箔が使われているの?

金閣寺と銀閣寺の歴史・場所・違い・建てた人などをを紹介。のサムネイル画像

金閣寺と銀閣寺の歴史・場所・違い・建てた人などをを紹介。

謎に包まれる卑弥呼には、どんな歴史があるのでしょうかのサムネイル画像

謎に包まれる卑弥呼には、どんな歴史があるのでしょうか

お墓の歴史について知りたくないですか?ディープな世界をご案内のサムネイル画像

お墓の歴史について知りたくないですか?ディープな世界をご案内

日本の神社の歴史って?神社の成り立ちから有名な神社の歴史も解説!のサムネイル画像

日本の神社の歴史って?神社の成り立ちから有名な神社の歴史も解説!

人気のキーワードの記事一覧

キーワード記事一覧へのリンクです

ランキング

よく読まれている記事です

神社参拝の正しい作法・仕方とは?参拝に適した時間や服装も紹介!のサムネイル画像

神社参拝の正しい作法・仕方とは?参拝に適した時間や服装も紹介!

1
神社のお賽銭はいくらがいいの?起源や相場・正しい作法まで解説!のサムネイル画像

神社のお賽銭はいくらがいいの?起源や相場・正しい作法まで解説!

2
年賀状はいつまでに出せば元旦に届く?販売期間や投函期間も解説!のサムネイル画像

年賀状はいつまでに出せば元旦に届く?販売期間や投函期間も解説!

3
神社と寺の違いって?それぞれの定義や参拝方法・建物の違いを解説のサムネイル画像

神社と寺の違いって?それぞれの定義や参拝方法・建物の違いを解説

4
年賀状の正しい書き方を知っていますか?立場別に文例をご紹介!のサムネイル画像

年賀状の正しい書き方を知っていますか?立場別に文例をご紹介!

5

関連する記事

「銀閣寺・歴史」についてさらに知りたい方へ

金閣寺と銀閣寺の歴史・場所・違い・建てた人などをを紹介。のサムネイル画像

金閣寺と銀閣寺の歴史・場所・違い・建てた人などをを紹介。

世界遺産 金閣寺 その金色の後ろにあるもののサムネイル画像

世界遺産 金閣寺 その金色の後ろにあるもの

日本文化の原点はこの時代にあった!室町時代の文化をご紹介します。のサムネイル画像

日本文化の原点はこの時代にあった!室町時代の文化をご紹介します。

京都にある応仁の乱にゆかりの場所はこちらのサムネイル画像

京都にある応仁の乱にゆかりの場所はこちら

金閣寺の見所はどこ?金閣寺トリビアをまとめてみた!のサムネイル画像

金閣寺の見所はどこ?金閣寺トリビアをまとめてみた!

このページの先頭へ

終活ねっと 〜マガジン〜  Copyright© 株式会社 終活ねっと