佐々木小次郎の愛刀【物干し竿】とはどんな刀?どれくらい長いの?

佐々木小次郎の愛刀【物干し竿】とはどんな刀?どれくらい長いの?

佐々木小次郎が宮本武蔵との決闘の際に使用していた刀と言われている、物干し竿。当時は「変わった刀」と言われていたようですが、一体どのような刀だったのか?他にも、佐々木小次郎と言う人間についてや、他の変わった武器についても解説していきます。

最終更新日: 2020年03月12日

刀の使用者、佐々木小次郎について

まずは、「物干し竿」と言う刀の所持者であり、使用者でもあった、佐々木小次郎について簡単に説明します。

佐々木小次郎(ささきこじろう)
生年月日不明-1612年5月13日
安土桃山時代から江戸時代初期にかけての剣客の1人であり、号は岩流(巖流、岸流、岸柳、岩龍など)、また、その出自については諸説様々です。
「燕返し」の剣法を編み出し、「岩流」と呼ばれる流派を創始。
小倉藩の剣術師範となります。
最強の剣豪と呼ばれることになる宮本武蔵に挑戦し、九州小倉の「舟島」で決闘し、これに敗れて死んでしまいます。
ちなみにこの時、佐々木小次郎の武器は刀だったのに対し、宮本武蔵は木刀(木の棒?)で挑んでいました。
ここまでは、結構有名な話なので、聞いたことがある人も多いのではないでしょうか?

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「終活ねっと」運営スタッフ

今回「終活ねっと」では佐々木小次郎の物干し竿に関して以下のような事柄を中心に説明していきます。

  • 佐々木小次郎とは何者?
  • 佐々木小次郎の刀・物干し竿とは
  • その他の変わった刀について

時間がないという方やお急ぎの方も、知りたい情報をピックアップしてお読みいただけます。
ぜひ最後までお読みください。

謎に包まれた佐々木小次郎

しかし、その佐々木小次郎が刀を持ち、宮本武蔵と戦ったのが、彼が何歳の頃だったのか?

また、「燕返し」とはどのような技だったのか?など、佐々木小次郎についての明確な情報については意外と残っていないため、一説では武蔵と戦ったのが、彼が60歳の頃と言われていたり、はたまた、他の作品などでは、美しい青年と言う設定となっていたりと、その後登場する作品によって、各々の作者による様々な解釈がされてきています。

佐々木小次郎についての一番古いと思われる記録は、豊田景英が著した宮本武蔵の伝記である「二天記」(にてんき)や、宮本武蔵の養子・宮本伊織が刻んだと思われる小倉碑文(こくらひぶん)などがありますが、他の諸説などとは食い違ったところもあり、そのどちらも、全てが真実とは言い切れないのではないか?と思われる箇所があるようです。

作品によって違う佐々木小次郎

今日にまで、佐々木小次郎は様々な作品に登場してきました。
それらについても少し紹介していきましょう。

映画

佐々木小次郎(1967年、東宝、監督:稲垣浩 演:尾上菊之助)
上記の他にも、佐々木小次郎を主役とした映画作品は、過去に何作も作られています。

アニメ

剣勇伝説YAIBA(青山剛昌 テレビ東京)
こちらの佐々木小次郎は、女性にめっぽう弱いお調子者となっています。

漫画

バガボンド(原作:吉川英治 画:井上雄彦)
こちらの佐々木小次郎は、耳が聞こえず、言葉を持たない人物として描かれています。
年齢も武蔵と同年齢である29歳と言う設定になっています。

ゲーム

戦国無双シリーズ(コーエー)
こちらのシリーズ作品では、刀で人を斬ることに愉しみを見出した、狂気的なキャラクターとして描かれています。

このように、作品によって「佐々木小次郎」と言う名前は同じでも、様々な描き方をされています。

また、下記の記事では日本刀を所持する方法や値段について紹介しています。
ぜひ、こちらもあわせてご覧ください。

佐々木小次郎の愛刀、物干し竿はどんな刀?

では、この物干し竿とは、どのような刀だったのでしょうか?

「物干し竿」は後から付けられた名前?

実は佐々木小次郎の刀は、当時は「物干し竿」とは呼ばれていませんでした。
正式名称は「備前長船長光(びぜんおさふねながみつ)」と言う業物の刀です。
では何故、佐々木小次郎の所持していたこの刀が「物干し竿」と呼ばれるようになったのか?

資料によりますと、その長さは刃長3尺余(約1メートル)と言われています。
その時代の権力者である徳川家康が、刀の長さを2尺8寸(約87.5cm)以内にするようにお触れを出していたため、当時の人々は、佐々木小次郎の所有していた刀の長さを大変珍しがったそうです。
その長さから、「まるで物干し竿だ」と思われ、後の世で「物干し竿」と言う名前が定着したと言われています。

誰が作ったのか?

この刀の作成者は、一説には備前長船長光の子、将監長光(二代目)の作とされています。
備前長船長光と名のついた刀は名刀と名高く、現存する何本かの刀は国宝や重要文化財として、博物館や美術館に展示されています。
この長光の子である備前長船景光(三代目)の打ったとされる太刀ですが、あるテレビ番組では、その刀に2500万円もの価格がついたそうです。
となると、佐々木小次郎の所持していた刀も、相当な値打ち物だったのではないでしょうか?

物干し竿…現在この刀の行方は…

では、佐々木小次郎が使用していた、この物干し竿と言う刀、現在でも目にすることは可能なのでしょうか?調べてみたところ、実物が現存していると言う確かな情報についてまでは確認出来ません。
ただし、熊本県にある「武蔵博物館」に、その刀のレプリカが展示されています。
実感はあまり湧かないかとは思いますが、かなりの長さです。
佐々木小次郎はこの刀をどのように振るっていたのでしょうか?

また、備前長船長光の一振りと言う説もありますので、同じ一族の作品である、大般若長光(東京国立博物館)や、津田遠江長光(徳川美術館)は現在でも該当施設にて、閲覧することが出来ますので、それらの刀を見て、佐々木小次郎がどのように武蔵と戦ったのか思いを馳せてみるのも楽しいかもしれませんね。

他にもあった?昔のかわった武器

しかし、佐々木小次郎が使用していた「物干し竿」と言う刀を「変わった武器」と言いますが、他にも昔使用されていた刀剣類で、変わった物は本当になかったのでしょうか?
調べてみますと、その用途や名前などが変わっている、色々な刀剣類が出てきました。

兜割(かぶとわり)

所持者:楠木正成(くすのきまさしげ)
これは十手に類似した武器で、別名鉢割(はちわり)とも呼ばれます。
どちらかと言うと斬撃を旨とする日本刀とは違い、十手と同じく打撃を主目的としています。
主に敵の捕縛に使用されていたと思われます。

蜻蛉切(とんぼきり)

所持者:本多忠勝(ほんだただかつ)
戦国最強と謳われた武将、本多忠勝が愛用した事で知られる天下三名槍と呼ばれた槍。
その名称の由来は、戦場で槍を立てていたところに飛んできた蜻蛉が当たって二つに切れたことから、その名がついたと言われています。

当時、通常の槍は4.5メートルだったと言われていますが、この槍の柄の長さは約6メートルと、長めの作りになっています。
どこか、佐々木小次郎の物干し竿を彷彿とさせますね。

他にも、攻城戦などで使用された熊手(くまで)や、蕨手刀(わらびてとう)と言った物など、時代や人に合わせた武器があったようですね。
徳川家康が刀の長さの基準を定めていなければ、物干し竿など目でもないくらい、変わった刀剣が生まれていたのかもしれませんね。

佐々木小次郎とその刀のまとめ

佐々木小次郎

いかがでしたでしょうか?
佐々木小次郎やその刀について解説をしてきましたが、現在でもその存在は沢山の謎に包まれています。
山口県には彼のお墓や銅像もありますが、その墓や銅像は何も語ってはくれませんし、子孫についてもはっきりしていません。

「奥さんが隠れキリシタンだったので、佐々木小次郎は武蔵との決闘での死亡ではなく、暗殺されたのでは?」
「物干し竿と言う刀は、実は存在しなかったのではないか?もしくは、〇〇と言う刀が実はそうだったのではないのか?」
などと言った説もあるほどですが、やはり前述した話と一緒で、どれも確かな物は確認できていないのが現状です。

しかしそんな存在だからこそ、後の世において佐々木小次郎が有名になれた一旦の一つになり得たのではないでしょうか?「剣術に堪能」、「かの有名な宮本武蔵と対決」…そのくらいの史実さえあれば、誰しも「自由な佐々木小次郎」を作り出せるからです。
史実が沢山残っている偉人ほど、「〇〇さんはこんな人ではない!」と言う「縛り」が大きくなります。

「もしかしたらこのような人物だったのかもしれない」

…と言う、素性がわからない部分が多かった存在だからこそ、今日まで愛されてきた人物なのかもしれませんね。

「あなた」の中の佐々木小次郎は、どんな人物ですか?

また、下記の記事では日本刀の種類や現存する日本刀について紹介しています。
ぜひ、こちらもあわせてご覧ください。

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