武田信玄の輝かしい家系図より初代から信玄までをたどります。

武田信玄は清和源氏の流れをくむ甲斐武田家の当主です。武田信玄の先祖がどのようないきさつで武田を名乗り、甲斐の地にかかわりを持ち、どのようにして甲斐の地で勢力を延ばしていったのか家系図をもとに武田家家系図より初代から起こしていき解説していきたいと思います。

目次

  1. 家系図より初代から武田信玄まで
  2. 武田信玄は清和源氏出身
  3. 平安時代の武田氏
  4. 源平争乱期の武田氏
  5. 鎌倉時代の武田氏
  6. 南北朝時代・室町時代の武田氏
  7. 武田信虎の出現
  8. 武田信玄の登場
  9. 武田家の滅亡
  10. 武田信玄家系図から信玄と信虎
  11. 武田家家系図まとめ

家系図より初代から武田信玄まで

武田家家系図より、武田家当主初代から武田信玄までをたどってまいりたいと思います。

清和天皇(850-881)
貞純親王(873?-916)
源経基(?-961)鎮守府将軍 源姓を賜与され臣籍降下
源満仲(912-997)武蔵守、摂津守、越後守、越前守下野守、美濃守、信濃守等
源頼信(968-1048)鎮守府将軍、検非違使、常陸介、伊勢守、河内守、甲斐守、信濃守
源頼義(988-1075)相模守、陸奥守、伊予守、鎮守府将軍
源義光(1045-1127)甲斐武田氏初代
源義清(1075-1149)甲斐武田氏第2代 
源清光(1110-1168)甲斐武田氏第3代 
武田信義(1128-1186)甲斐武田氏第4代 遠江守
武田信光(1162-1248)甲斐武田氏第5代 伊豆守、甲斐・安芸守護
武田信政(1196-1265)甲斐武田氏第6代 甲斐・安芸守護
武田信時(1220-1289)甲斐武田氏第7代
武田時綱(1245-1307)甲斐武田氏第8代
武田信宗(1269-1330)甲斐武田氏第9代 安芸守護
武田信武(1292-1359)甲斐武田氏第10代 陸奥守、伊豆守、甲斐守
武田信成(?-1394)甲斐武田氏第11代 甲斐国守護・守護代
武田信春(?-1413)甲斐武田氏第12代 陸奥守及び伊豆守
武田信満(?-1417)甲斐武田氏第13代 安芸守
武田信重(1386-1450)甲斐武田氏第14代 甲斐国守護
武田信守(?-1418?)甲斐武田氏第15代 伊豆守、安芸守
武田信昌(1447-1505)甲斐武田氏第16代 甲斐国守護
武田信縄(1471-1507)甲斐武田氏第17代 陸奥守
武田信虎(1494-1574)甲斐武田氏第18代 陸奥守
武田信玄(1521-1573)甲斐武田氏第19代 信濃守
武田勝頼(1546-1582)甲斐武田氏第20代

武田信玄は清和源氏出身

武田信玄から家系図をたどって行くと河内源氏の棟梁源頼義の子源義光となり、さらに遡ると清和天皇になります。清和天皇の孫、経基王が源姓を賜り、清和源氏が誕生しました。

平安時代の武田氏

<甲斐武田氏初代から第4代まで 家系図より>
源義光は甲斐守に任官され甲斐に赴いたと言われています。山梨県北杜市須玉町若神子の若神子城が彼の在所であったと言われていますが、確かではありません。しかし、甲斐への足掛かりがこの頃からあったものと思われます。
義光の子、源義清が常陸国那珂郡武田郷(現・茨城県ひたちなか市武田)に居を構え、地名から武田を名乗り始めました。彼が武田家初代です。しかし、義清の子清光が狼藉行為を働き、その咎で父子とも甲斐国巨摩郡市河荘(現在の山梨県西八代郡市川三郷町)へ配流されたそうです。
その後清光は逸見荘に住み逸見(へみ)を名乗りましたが、清光の子信義が甲斐国巨摩郡武田(現在の山梨県韮崎市一帯)に移り住み武田姓に復しました。

源平争乱期の武田氏

<甲斐武田氏第4代から第5代まで 家系図より>
武田信義(源信義)は治承4年(1180年)4月に以仁王から平家打倒の令旨を受け取ると一族を率いて挙兵し、源頼朝の挙兵に協力し、治承4年10月20日の富士川の戦いで戦功を上げ伊豆の、駿河守護を任ぜられました。その後、木曽義仲追討、平家討滅で武功を上げましたが武田氏の勢力増大を警戒した頼朝から粛清を受けて信義は失脚。弟や息子達の多くが死や配流に追いやられました。信義の五男・信光だけは頼朝から知遇を得て甲斐守護に任ぜられ、韮崎にて武田氏嫡流となりました。

鎌倉時代の武田氏

<甲斐武田氏第5代から第10代まで 家系図より>
信光は承久3年(1221年)の承久の乱でも戦功を上げ、安芸守護職に任ぜられ、安芸武田氏の祖となりました。信光の息子である信政の子の代に2つに分かれ、政綱が甲斐を、信時が安芸を継承しました(武田信玄の祖は一時安芸に本拠を移しておりました)。

南北朝時代・室町時代の武田氏

<甲斐武田氏第10代から第17代まで 家系図より>
その後南北朝時代には安芸守護であった信時流武田氏の武田信武が、北朝・足利尊氏に属して各地で戦功をあげ甲斐国守護となりました。信武の子孫の信成・信春も甲斐守護を継承したと見られています。
信武の子の代で武田氏惣領家は三家に分かれました。甲斐武田家・安芸武田家・京都武田家がそれです。
甲斐国は鎌倉府の管轄でありましたが、室町時代の応永23年(1416年)に鎌倉府で関東管領の上杉氏憲(禅秀)が鎌倉公方の足利持氏に反旗を翻し、上杉禅秀の乱(上杉氏憲と足利持氏が関東管領の地位をめぐり対立)が発生しました。
武田信春の子である武田信満は女婿にあたる禅秀に味方しましたが、幕府の介入で禅秀は滅亡し、信満は鎌倉府から討伐を受けて自害し、甲斐武田家は滅亡の危機に瀕しました。
これにより甲斐は守護不在状態となり、甲斐国人領主たちが台頭し、自らが守護職になろうと鎌倉公方の取り入り、さながら戦国乱世・下剋上の様相を呈するようになりました。
室町幕府では甲斐武田家に守護職に着かせるべく、出家していた信満の子の武田信重を還俗させ任地の会へ向かわせようとしましたが、国人たちの抵抗にあうなど、甲斐の統治が混迷を深めていた時代が武田信虎が出現するまで続きました。

武田信虎の出現

<甲斐武田氏第18代 家系図より>
武田家家督と甲斐守護職を相続した武田信虎ですが、甲斐における後継者争いで同族同士と戦うことになりました。後継者争いで勝利することができましたが、台頭してきた国人たち及び甲斐に侵攻してくる今川氏との戦に絶えず出兵していました。
それでも信虎は甲斐一国にまとめ上げることに成功しました。
その後居を躑躅ヶ崎館へ移転するなど、着々と勢力拡大の足元を固めていきました。

武田信玄の登場

<甲斐武田氏第19代 家系図より>
甲斐を一国にまとめ上げた信虎ですが、強引な統率が家臣たちから不満を生み、家臣たちと武田晴信(信玄)で信虎を追放する計画が練られ、実行され信虎は駿河の地に追放。隠居の身となりました。
武田信玄が家督を引き継ぎ、信濃を吸収し、川中島で上杉謙信と五度の合戦をし、今川氏弱体化の後は遠江に侵攻しました。皆さんよくご存じの通りの活躍です。
いよいよ武田の御旗を京の都に建てるべく、京の都に上洛しようとし、若き日の徳川家康を三方ヶ原で撃破したまでは良かったのですが・・・・・

武田家の滅亡

武田信玄の子勝頼は、長篠の合戦にて織田・徳川連合軍に惨敗し、その後武田家は織田・徳川連合軍による甲州攻めにて勝頼が自刃。ここに武田家は滅びました。
歴代の武田家当主が長い時間をかけ、苦難の時代を経て、武田信玄の時代に目覚ましい発展を見せ、花開きました。
しかし、落ちるときは早く、儚いものです。

武田信玄家系図から信玄と信虎

武田信玄がその人生において父信虎から影響を受けたものは計り知れないと思います。
武田信玄は京への上洛の途上病にて享年53歳で亡くなりましたが、その時まだ父信虎は生きていました。自分を追放した甲斐が発展拡大していく様子を見、また息子が自分より先に逝ってしまったこのに何を思ったでしょうか?
信虎は孫勝頼とも対面したそうです。まだ未熟な孫を見て何を感じたでしょうか?

武田家家系図まとめ

誰でも自分の出自が明らかであれば、また先祖が著名であれば先祖を誇りに思うここと思います。武田信玄も先祖を誇りに思ったに違いありません。家系図に記載された先祖に恥じぬよう、武田の棟梁として天下に号令をかけたい。武田信玄のそんな思いが見えるような気がします。

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