徳川家康は短気だった?その意外な内面、性格に迫る!

皆さま知っているようで意外と知られていないのが、天下人・徳川家康の内面について。我慢強く狡猾、陰湿な性格といったイメージが付きまとう家康ですが、それだけではないんです。ここでは、徳川家康の隠された性格や日常生活において見せた内面について、お話していきます。

目次

  1. 徳川家康の生涯
  2. 気長で恐ろしいおじさん……
  3. 実生活での徳川家康、その性格
  4. 冷静、狡猾な性格は後天的なもの
  5. 「悪の親玉」徳川家康も、面白い

徳川家康の生涯

「知っている」という方も多いと思いますが、まずは徳川家康の生涯について簡単に説明します。

家康の生まれは三河。岡崎城主である松平忠広の嫡子として生まれます。
その後祖父が亡くなったことから松平家は今川義元に従属。
そして今川家に人質として護送される途上、護送者の裏切りによって織田家に身柄を引き渡されます。どうやら、ここで織田信長と出会ったようです。
その後再び、人質交換により今川家に戻ります。

そして今川の優秀な人材として厚遇され様々な教育を得ますが、皆様ご存知の、桶狭間の戦いにより、主君の今川義元が戦死。この知らせを受けて独立を決意します。

その後織田信長と同盟を結び、三河の一向一揆や武田による領内侵攻などの危機を幾度も迎えますが、勢力を少しずつ拡大。やがては旧主・今川家の領地や武田領地の一部を併呑し、大勢力のひとつとして台頭していきました。

本能寺の変で信長が横死すると、今度は豊臣秀吉と天下の覇権を争って小牧・長久手の地で戦い、局地戦では圧倒的勝利を収めるものの戦略面では敗北し、以後は秀吉配下の大名として、その覇業を支えるようになります。
秀吉が北条家を下すと、家康は関東圏に転封、ここで当時未開の地であった江戸を本拠に据えたと言われています。

そして秀吉の死後、本格的に天下取りに乗り出します。
禁止されていた他大名との縁組を積極的に行い味方を増やしていき、秀吉直属であった石田三成らと敵対します。
有名な関ヶ原の決戦により、敵対勢力を一網打尽にし、その3年後には江戸幕府を設立、ここに、事実上天下人となりました。

その後は息子・秀忠に将軍職を譲りつつも、自身も大御所として政治世界に立ち続けます。

そして、自身の天下を安泰とする総仕上げに移ります。豊臣家の滅亡です。これが、真田丸などでも大々的に取り上げられた「大坂の陣」です。冬、夏の二回に渡る激戦を制し、ついに徳川家による天下を完全に成し遂げた家康でしたが、その翌年、旧主・今川の本拠であった駿府にて、静かに息を引き取りました。

これが、言わずと知れた徳川家康の経歴になります。

気長で恐ろしいおじさん……

この事績を見てみると、そんな印象を受けますよね。実際、私もこの分野をよく知らなかったときは、本当にそんな感じの印象でした。しかし、よくよく調べてみると、真逆――とまではいいませんが、全然違った内面も顔をのぞかせるのです。

こう見えて短気な性格!

「鳴かぬなら 泣くまで待とう ホトトギス」。この歌は代々、家康の性格をよくあらわしたものだと言われています。実際、彼の天下取りへの姿勢は、この歌に集約されていると言えるでしょう。

しかし、個人の性格はどうかというと……実は結構な短気で、怒りっぽい人物だったのです。追い詰められればしばしば「切腹」「討ち死に」などと物騒なことを口にし、家臣からは慌てて止められる逸話も多く持っています。

それをよく表している逸話が、武田信玄が上洛作戦にあたって徳川領に侵攻した、三方ヶ原の戦いでしょう。武田信玄は、家康自身が出せる兵力の2倍とも3倍とも言える兵をもって攻撃を仕掛けてきましたが、家康が籠る浜松城は素通りし、そのまま無視して西へ向かおうという構えを見せたのです。これを見た家康は大激怒。家臣らの反対を無視して追撃を敢行。自身の命もあわやという大敗北を喫したのです。

しかし、この短慮な一面は家康本人も理解していたようで、この敗戦の後、自身の情けない顔をした絵を描かせ、自らを律しようと努めたのです。

意外と甘々?

困った人々

当然、必要な場面での締め上げや粛清は積極的に行ってはいますが、案外甘いところがあったのではという資料も散見します

例えば大坂の陣の前後。最終的に豊臣家を滅ぼした家康でしたが、実のところあまり乗り気でなかったのではという説もあります。というのも、天下は徳川のものという意思表示をする一方、わざわざ生まれた孫娘、それも2代目将軍である秀忠の娘を、豊臣秀頼の妻として縁組。当然、後々滅ぼす家に我が孫娘を送るような人物は、戦国と言えどもそう多くありません。

他にも、関ヶ原の戦後処理でも敗軍にありながら改易を免れた大名も多く、本格的な締め付けが始まったのは、2代目将軍の秀忠が実権を握ってからでしたし、特に譜代の家臣は非常に大事に扱ったような逸話も散見されます。

以上の事から、家康の事を「実は甘い」と評する人も少なからずいます。

実生活での徳川家康、その性格

日ごろの生活においても、家康の意外な性格は隠れています。ここでは、それらをかいつまんで紹介していきます。

結構なケチ!

人々

この話題は、最近になってよく聞くようになったように思えます。
で、実際に気になるケチ具合はというと……

・汚れが目立たないから黄色っぽい下着を使う
・同じ着物を使いまわし、指摘されると「倹約してるんだよ!」と怒る
・漬物のの味が濃いと苦情が出た時、問い質した料理番の「味が濃いと飯が進まないから少量で済む」という言い訳を聞き、そのままにさせる

などなど。こう言うケチな性格が、徳川幕府の埋蔵金を作り出したのかもしれませんね。

健康オタク

家康の実生活、特に食事は質素なものだったと言われています。当時の武士としては珍しく、栄養バランスや量に気を使ったものでした。
また、専門家が驚くほどに生薬の知識にも精通し、自身で薬を作り出したり、それらを常備薬として持ち歩いたりしたそうです。

多趣味で特技も山ほど

鷹狩り、囲碁、将棋、香、能楽、薬づくり等々。人生楽しんでいるなと感心したくなるほどに多趣味なのも、家康の魅力のひとつです。
さらには愛読書も六韜、三略をはじめ多く残っており、武術諸々(特に剣、馬、水泳)は達人ともいえる腕前だったとか。

他にも、貴人相手に剣術を教えるときは一撃から身を守ることだけを教えたりとか、馬で細い橋を渡るときはできるのにわざわざ降りて危険を回避したりとか、むやみやたらに見せつけたりせず、必要のない曲芸じみたことは避けるあたりも、いかにもその道に精通した通人みたいで格好いいですよね。

冷静、狡猾な性格は後天的なもの

最初の「短気」の欄で述べたことになりますが、一般的に言われる狡猾さ、冷静さ、老獪さはすべて自身を律し、そうあろうと常日頃から心掛けてきた結果のものです。

本来の性格は元々寡黙であるものの、非常に短気な癇癪持ち。
ですが、そんな自身の内面を他の誰よりも見据え、克服しようと尋常ならぬ努力をし、苦しみぬいたうえで、昨今に伝わる「狸親父」な性格を自ら作り上げていったのです。

この強力な自制心、私も見習いたいものです……

「悪の親玉」徳川家康も、面白い

いかがでしたでしょうか?

一般的に狡猾で残忍卑劣とされる徳川家康も、その性格の細部を拾っていくと、こんなにも人間らしく面白い人物なのです。個人的観点ではありますが、恐らく信長、秀吉と比べると一番人間くさい人物なのではないかなと思ってます。

「悪の親玉・徳川家康」も面白いですが、これを機に、新たな家康像を築いていただければなと思います。

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