沖田総司のお墓はどこにあるのか?

沖田総司は若くして新撰組の一番隊組長となった、腕の立つ剣士でした。
日本の剣士の中でも指折りの知名度を持ち、美形であったと言われていることや若くして亡くなった悲劇性から、今も多くのファンがいる人物です。
そんな沖田総司のお墓がどこにあるか、ご存知の方は少ないのではないでしょうか?
今回終活ねっとでは、そんな沖田総司のお墓について
- 沖田総司とはどんな人物か?
- 沖田総司のお墓はどこにあるの?
- 沖田総司のお墓は現在立ち入り禁止なの?
- 沖田総司ゆかりの地をご紹介
以上の点を中心にご紹介していきます。
ぜひ最後までご覧ください。
沖田総司とは?

沖田総司は天保13年(1842年)に白河藩藩士・沖田勝次郎の子として生まれました。
9歳頃には天然理心流の剣術道場である試衛館に通っていたようで、そこで後に新選組の幹部となる近藤勇、土方歳三と知り合い、同門として過ごしました。
文久3年(1863年)には、浪士組結成に際し、近藤・土方らと共に上洛(じょうらく)し、浪士組の分裂等を経て結成された新撰組の隊士として活躍します。
沖田は新撰組の中でも特に精鋭であった一番隊の組長に任命され、池田屋襲撃などの重要な任務に数多く参加しました。
組内での剣術指南役を務めていたりと、その実力が周囲から高く評価されていたことが分かります。
若くして活躍した沖田総司でしたが、肺結核に冒されてしまい、一線での活動が困難になってしまいます。
そして、慶応4年(1868年)に死去します。
諸説ありますが享年27歳であったといわれています。
普段は明るい人柄で、冗談を言ってまわりを和ませていたといった人物評や、病弱の美青年といったドラマ性から、現在でも様々な創作に登場し、多くの人に愛されています。
沖田総司のお墓はどこにある?

まず沖田総司のお墓はどこにあるのかというと、東京都港区の元麻布にある専称寺の境内にあります。
日比谷線・六本木駅から600m先に位置します。
徒歩約6分ほどです。
テレビ朝日通り沿い、六本木ヒルズの裏手にあたる場所にあります。
専称寺は浄土宗に属する寺院で、織田信長の側室であった三光院清心比丘尼が開基したお寺です。
譽傳郭上人が開山となって創建されたといわれています。
立派な木造の山門があり、本堂の裏に植えられている桜の木も相まって、都心にありながら静かで落ち着いた雰囲気のお寺です。
沖田総司は賢光院仁誉明道居士という戒名でこの地に眠っています。
また、終活ねっとでは沖田総司が眠る東京都港区の墓地・霊園を比較検討することが可能です。
沖田総司が眠るお寺の近くにお墓を建てたいと考えている方は、ぜひご利用ください。
沖田総司のお墓は立ち入り禁止

沖田総司のお墓は立ち入り禁止となっています。
実は、以前は参拝は自由だったのですが、残念なことに立ち入り禁止となってしまったのです。
なぜ立ち入り禁止となってしまったのか、経緯をご説明します。
なぜ立ち入り禁止になったのか?
なぜ立入禁止になったのか、そこにはファンが関係していました。
新撰組がブームとなって以降、沖田総司のファンが頻繁にこのお墓を訪れるようになりました。
しかし、ファンの中には沖田総司のお墓を削ってかけらを持ち帰ったり、お墓の前で大音量でギターを弾いて歌ったりといった迷惑行為をする人がいました。
こうした迷惑行為は後を絶たず、お墓と境内の環境の保全のため、お寺と沖田家の方の意向で沖田総司のお墓は立ち入り禁止となりました。
境内にある堀越しに沖田総司のお墓が見られるので、参拝はそこからすることになっています。
沖田総司忌について
普段は立ち入り禁止となっている沖田総司のお墓ですが、年に一度お墓参りをすることができる日があります。
それが毎年7月に行われている沖田総司忌です。
沖田総司忌は新選組友の会という新撰組の同好会の主催で行われています。
専称寺による催しではないのでお気を付けください。
沖田総司忌は毎年7月1日に専称寺で行われています。
墓前で沖田総司のお墓参りができる唯一の日ということで、多くのファンが集まる日となっています。
しかし、お墓参りが禁止されたこともあり、参加者には節度のある行動とマナーを守ることが大いに求められています。
新撰組友の会のホームページでは以下のような注意事項が呼びかけられています。
- 専称寺はイベントに関知していないので、問い合わせは必ず新選組友の会にすること
- 献花やお供え物はできない
- 墓参りのみの参加は、誰でも自由にできる
- コスプレや帯刀、下駄履きは禁止、日常的な服装で来ること
- これらが守られない場合は、以降のイベントが中止になる恐れがある
- ネット上に多くの誤報があるので、公式サイトの記述を確認し、疑問や不安なことは新選組友の会に問い合わせること
沖田総司忌は、専称寺の善意により開催が許可されている催しです。
参加される方は専称寺にご迷惑をおかけすることがないように気をつけなければいけません。
沖田総司ゆかりの地

沖田総司ゆかりの地をご紹介します。
沖田総司との関係や所在地も掲載していますので、ぜひ参考にしてください。
桜田神社
桜田神社は、1180年に源頼朝の令により霞ヶ関桜田門外に建立し、1624年に現在の場所に移されました。
1189年に頼朝公により寄進された田畑と一般の田を区別するために、シンボルとして桜を植えたことが桜田の由来となっています。
江戸時代末期はこの周辺に白河藩の下屋敷があり、そこが沖田総司生誕の地といわれています。
桜田神社は沖田総司が初参りをした地として、御朱印にも沖田総司の名が記されています。
今戸神社
今戸神社は、1063年に源頼義・義家が奥州討伐の折に祈願したのが始まりであるといわれています。
招き猫発祥の地ともいわれており、縁結びの神社としても有名です。
今戸神社は沖田総司の終焉の地とされており、石碑と案内板が立っています。
京都
京都は沖田総司が新撰組の一員として活動した地です。
新撰組の屯所があった壬生郷士・八木邸は一般公開されており、新撰組の残した足跡を感じることができます。
新撰組の異名であった「壬生狼」もこの地から由来するものです。
沖田総司のお墓についてまとめ

今回終活ねっとでは、沖田総司のお墓についてご紹介してきましたが、いかがでしたか?
この記事の内容を以下にまとめます。
- 沖田総司は天保13年(1842年)に生まれ、幼くして剣術を学んだ。
成長すると新撰組に参加し、一番隊組長として活躍するが、肺結核に冒され27歳で亡くなる。 - 沖田総司のお墓は東京都港区元麻布にある専称寺というお寺の境内にある。
沖田総司は賢光院仁誉明道居士という戒名でこの地に眠っている。 - マナーの悪いファンによる迷惑行為から、沖田総司のお墓は現在、立ち入り禁止となっている。
だが、毎年7月1日に行われている沖田総司忌にはお墓参りができる。
その際には規則を守って節度ある行動を心がけなければならない。 - 沖田総司ゆかりの地として、桜田神社、今戸神社、京都が挙げられる。
新撰組の隊士として有名な沖田総司ですが、お墓に関しては、今回初めて知るという方が多いのではないでしょうか?
今回の記事が沖田総司を深く知るお手伝いとなっていたら嬉しいです。
終活ねっとでは、お墓に関する様々な情報が掲載されております。
有名人のお墓についてもご紹介していますのでぜひご覧ください。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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