武田信玄の息子達。後継者は誰が相応しかったのか?

武田信玄の死後、家督を継いだのは息子武田勝頼でした。一般的には思慮の足りない愚将とかなり評価が低いです。武田勝頼以外には相応しい息子がいなかったのか?武田信玄の息子達を調べてみました。

目次

  1. 有名な武田信玄。武田家とは
  2. 息子武田義信
  3. 息子武田勝頼
  4. 武田信玄の他の息子達
  5. まとめ

有名な武田信玄。武田家とは

武田信玄

武田家は平安時代~戦国時代の有力な武士で第56代清和天皇の皇子を祖とする清和源氏の氏族です。武田家の始祖は源義光で、その息子である源義清の時に武田姓を名乗ったとされています。その後は源平合戦での戦功により甲斐守護に任じられ、さらに南北朝時代には安芸守護に任じられます。そして武田家は宗家の甲斐武田家、安芸武田家等の分家と分かれました。甲斐武田家が武田信玄の家系です。武田信玄にはどのような息子達がいたのでしょうか?

息子武田義信

武田義信は今川義元の斡旋によって正室となった三条夫人との間の子で嫡男として生まれました。

盤石の地位の嫡男

13歳の元服の際には同じく今川義元の娘を正室として迎え入れたことによって当時の天下人に最も近い男の後ろ立てを得ることになりました。家中では譜代家老である猛将飯富虎昌が傅役となっています。由緒正しい血統の嫡男、天下一の舅、譜代家老の後見人だけではなく武田義信には戦場での数々の武功もありました。正に武田信玄の後嗣を継ぐに相応しい嫡男でした。

武田信玄の窮地を救った第4次川中島の戦い

第4次川中島の戦いでの戦いぶりは凄まじく敵である上杉側の資料に記載されています。その内容は上杉謙信率いる軍が武田信玄本陣を追い詰めている所を武田義信率いる800余りが救援に駆けつけて激闘の末に追い返したらしいです。

嫡男武田義信の失脚

武田義信の失脚の始まりは1560年桶狭間の戦いでの舅今川義元の戦死からです。今川義元の死後、今川氏真が家督を継ぎます。父今川義元の力量には遠く及ばなかったので今川家は混乱してしまいます。後に武田家は外交方針が転換し、駿河侵攻となります。親今川派の武田義信と対今川派の武田信玄との間は徐々に冷めた関係となっていきます。
こういう状況下において1565年に焦った飯富虎昌ら側近達による武田信玄暗殺の謀略が露見し側近達は処刑されます。武田義信は甲府の東光寺に幽閉され、今川義元の娘と強制的に離縁されて廃嫡されてしまいます。その2年後の1567年に幽閉されたまま亡くなります。処断されたとも云われています。

息子武田義信が埋葬された東光寺

武田信玄と瓜二つ?

武田信玄も武田家の家督を継ぐ前は由緒正しい血統の嫡男、戦場での武功、当主である父武田信虎に対してクーデターを行っています。武田義信とはクーデターの成功、失敗という差以外は驚くほど似ています。
武田信玄はそんな自分に似ているからこそ父武田信虎以上に厳しい処分(幽閉後に処断)を行ったのかもしれません。父武田信虎は武田家を追放されただけで比較的自由に1574年まで長生きしました。武田信玄死後の3年後に亡くなっています。

息子武田勝頼

側室との間の庶子で四男として生まれます。諏訪家の名跡を継ぎますが武田家の後継者になったことで武田姓に復帰します。なぜか武田家の通字である「信」の継承が許されませんでした。

義信事件後に後継者に

嫡男である武田義信が武田信玄暗殺未遂事件で失脚し、後継者としての地位を失うと武田勝頼が後継者になりました。後継者になれた一番の理由としては武田勝頼以外に適当な息子がいなかったからです。
他の理由も挙げると1563年の初陣から着々と武功を積み重ねて勇将としての評価を得ていたこと、織田信長の養女との婚姻等が後継者の指名に繋がったともいえます。

武田家滅亡へ

武田信玄死後、家督を継ぎ、1571年から1575年の長篠の戦いで敗戦するまでが武田勝頼の絶頂期でした。その敗戦によって有能な家臣が多数戦死し、武田家滅亡の始まりとなりました。さらに1578年上杉謙信死後の上杉家の家督争いである御館の乱では同盟国の北条家と歩調を合わせないで中立の立場を取ってしまったために北条家が援助をしていた北条氏政の実子上杉景虎が上杉景勝との家督争いに敗れてしまった。
この判断ミスが致命的となり1582年織田家の甲州征伐でかつて頼れる同盟国であった北条家も侵略してきたため織田家、徳川家と三方向から攻め込まれて武田家はあっけなく滅ぼされてしまいました。

武田信玄の他の息子達

武田信玄には武田義信、武田勝頼以外に息子が5人いた。

海野信親

三条夫人との間の子で次男として生まれます。武田義信の同母弟。幼少期に全盲となり出家した後に海野家の名跡を継ぎます。全盲であった為に後嗣からは外れる。織田家の甲州征伐で自害したとも殺害されたともいわれる。海野信親の息子信道の子孫が武田家の嫡流として現代まで続いています。

西保信行

三条夫人との間の子で三男として生まれます。武田義信の同母弟。幼少期に西保家の名跡を継ぐが11歳で夭折します。

仁科盛信

側室との間の庶子で五男として生まれます。幼少期に仁科家の名跡を継ぎます。武田信玄死後、異母兄である武田勝頼に尽力し信濃国の高遠城を任される。織田家の甲州征伐では高遠城で城兵500余りと篭城します。織田軍5万の兵を相手に奮闘するも衆寡敵わずに自害して亡くなります。

葛山信貞

側室との間の庶子で六男として生まれます。仁科盛信の同母弟。駿河侵攻の後に葛山家の名跡を継ぎます。織田家の甲州征伐で甲府の甲斐善光寺で自害して亡くなります。

武田信清

側室との間の庶子で七男として生まれます。幼少時に出家するも後に還俗し、安田家の名跡を継ぎます。織田家の甲州征伐後は越後国の上杉景勝を頼り、武田姓に復帰し米沢武田家として再興を果たします。現在も子孫は続いています。

まとめ

以上が7人いた武田信玄の息子達でした。後継者として全ての点において相応しかったのは武田義信でした。何も問題なく家督を継いでいれば武田家の滅亡は避けれたかもしれません。
武田義信を廃嫡したことが武田信玄の最大の過ちだったのかもしれません。

「武田信玄・息子」に関連する記事

「武田信玄・息子」についてさらに知りたい方へ

この記事に関するキーワード

ランキング

よく読まれている記事です

シェアする

関連する記事

「武田信玄・息子」についてさらに知りたい方へ

武田信玄の輝かしい家系図より初代から信玄までをたどります。のサムネイル画像

武田信玄の輝かしい家系図より初代から信玄までをたどります。

武田信玄家臣団「武田二十四将」の逸話を厳選してご紹介のサムネイル画像

武田信玄家臣団「武田二十四将」の逸話を厳選してご紹介

武田信玄のお墓はどこにある?信玄を祀る武田神社についても紹介!のサムネイル画像

武田信玄のお墓はどこにある?信玄を祀る武田神社についても紹介!

武田の有名な武将たち二十四将どれだけ凄かったのかまとめましたのサムネイル画像

武田の有名な武将たち二十四将どれだけ凄かったのかまとめました

真田幸村と武田信玄の関係性について、真実を知ろう!のサムネイル画像

真田幸村と武田信玄の関係性について、真実を知ろう!

人気のキーワードの記事一覧

終活

ランキング

よく読まれている記事です

盛り塩の「効果」とその「処分方法」は?「交換時期」も教えますのサムネイル画像

盛り塩の「効果」とその「処分方法」は?「交換時期」も教えます

1
水引アクセサリーの簡単な作り方!和服にも合う結び方を紹介!のサムネイル画像

水引アクセサリーの簡単な作り方!和服にも合う結び方を紹介!

2
礼服のポケットのふたとポケットチーフについて紹介します。のサムネイル画像

礼服のポケットのふたとポケットチーフについて紹介します。

3
お参りとお詣りの意味の違い~神社は?お寺は?のサムネイル画像

お参りとお詣りの意味の違い~神社は?お寺は?

4
おしゃれな御朱印帳ならこれ!おすすめの御朱印帳をご紹介しますのサムネイル画像

おしゃれな御朱印帳ならこれ!おすすめの御朱印帳をご紹介します

5

目次

目次です

このページの先頭へ

終活ねっと 〜マガジン〜  Copyright© 株式会社 終活ねっと