日本三大大仏とは? そしてその開眼法要は?

皆さん、日本三大大仏を御存じでしょうか? 奈良の大仏、鎌倉の大仏、そして? 今回は日本三大大仏とその開眼法要などを調べてみました。開眼を前に倒壊した大仏も存在するなど興味深いですね!

目次

  1. 日本三大大仏と開眼法要
  2. 日本三大大仏「東大寺の大仏」
  3. 日本三大大仏「鎌倉の大仏」
  4. 現在の日本三大大仏に「定説無し」
  5. まとめ

日本三大大仏と開眼法要

大仏とは大きな仏像の通称で、中国の摩崖仏などが良く知られていますね。
日本では奈良時代・聖武天皇の世、国家安寧を願って建立した東大寺の大仏が始まりとされ、今も全国各地に数多く残る大仏様が国民の平和な暮らしを見守っておられます。

開眼法要は、仏像や仏壇、お墓などを新しく造ったり設置した後に魂を入れるため僧侶を招いて行う儀式で753年(天平17年)に執り行われた大規模な東大寺の大仏の開眼法要は、史実として歴史の教科書にも載っています。

今回は国内に残る日本3大大仏を訪ね、開眼法要のエピソードなどにも触れてみましょう。

日本三大大仏「東大寺の大仏」

東大寺大仏

奈良の大仏とも呼ばれる東大寺の大仏は、華厳宗大本山東大寺(別名:金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら))の本尊の廬舎那仏のことです。
修学旅行のコースなどにもなっていてお参りされたかたも多いのではないでしょうか?

仏像の大きさ(高さ)は、お釈迦様の背丈(一丈六尺)が一つの基準となっていて、概ねこの高さ(坐像はその半分)より高い仏像を大仏と呼んでいます。
一丈六尺は約4.8mです。

東大寺

東大寺

西暦728年(神亀5年)幼くして亡くなった皇子を弔うため、聖武天皇が若草山山麓に僧9名が住む山房を設けたのが東大寺の前身とされる金鐘(こんしゅ)寺の始まりとされます。

その後、741年(天平13年)に聖武天皇より全国に国分寺建立の詔(みことのり)により金鐘寺は、奈良の国分寺となり名を金光明寺と改めています。

東大寺の名称が記録に最初に現れるのは、748年(天平20年)の「造東大寺司」(東大寺建設のための役所)の記述です。

東大寺大仏の開眼会(法要)

聖武天皇が大仏造立の詔を発したのは743年(天平15年)。

当時都だった恭仁京(現・京都府木津川市)の北東方法に築いた離宮、紫香楽宮(現・滋賀県甲賀市信楽町)で大仏の造立がはじめられ、2年後の745年(天平17年)に平城京に都が移されたことに伴い、現在の東大寺で改めて大仏造立が行われました。

苦心の末に大仏の鋳造が完成し、天竺(インド)出身の菩提僊那(ぼだいせんな)による開眼会により魂が宿ったとされるのは752年(天平勝宝4年)のことでした。

大仏殿は大仏が完成した後に建設が始まり、竣工は758年(天平宝字2年)のことです。

日本三大大仏「鎌倉の大仏」

鎌倉の大仏

鎌倉の大仏(阿弥陀如来)を本尊とする高徳院の創建につては遺された資料が乏しく定かではありませんが、初期は真言宗のお寺で江戸時代の正徳年間(1711年 - 1716年)に再興されて以降浄土宗に属するようになったようです。

鎌倉の大仏と開眼法要

鎌倉の大仏の創建などについても諸説ありますが、鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」によると、
僧淨光が諸国から集めた浄財により、1238年(暦仁元年)大仏殿とともに大仏の造営を始め5年後の1243年(寛元元年)に開眼法要が行われています。
ただ、この時の大仏は木造で4年後に倒壊してしまい、改めて造営した青銅製の大仏が現在に伝わるものです。

一方当初存在した大仏殿は、台風による倒壊と再建を2度繰り返し、更に1495年(明応四年)の大津波で流されてから再建はされず、現在の露座の大仏になっています。

鎌倉の大仏様は自然災害の被災者だったのですね。

現在の日本三大大仏に「定説無し」

日本三大大仏の二尊は奈良の大仏と鎌倉の大仏ですが、残る一尊は時代とともに移り変わり、現在は
いくつかの候補が並び立つ状況です。

江戸時代の三大大仏「京の大仏」

豊臣秀吉によって造営が始まった京の大仏です。
初代の大仏は1596年に発生した地震(慶長伏見地震)で開眼法要を前に倒壊、秀吉の遺志を受け継いだ豊臣秀頼による2代目の大仏も工事中の事故で融解してしまいました。

江戸時代に入りようやく完成し、人々に親しまれた京の大仏も結局、1798年(寛政10年)に落雷で焼失、小規模に再建されたものも昭和の時代に焼失してしまいました。

京の大仏と豊臣秀吉

慶長伏見地震で倒壊した大仏を見た秀吉は、「自分の身も守れぬ大仏か!」と怒り、「倒壊した大仏の眉間に矢を射た」との逸話が残っています。

戦前の三大大仏「(初代)兵庫大仏」

兵庫大仏

戦前は日本三大大仏に数えられた(初代)兵庫大仏は、1891年(明治24年)に建立されましたが、戦中の金属回収令で供出され(1944年)、戦後の1991年に二代目が再建され開眼供養がとりおこのわれました。

二代目の兵庫大仏の開眼法要には、奈良の大仏の東大寺管長、鎌倉の大仏の高徳院貫主も臨席したそうです。

戦後以降の三大大仏は定説無し

日本三大大仏の候補 「高岡大仏」

高岡大仏

1222年源義勝によって建立された木造大仏が始まりの高岡大仏。
複数回の消失を乗り越え、銅製の大仏を再建して1933年に開眼供養がとりおこなわれました。
鳳徳山大佛寺: 富山県高岡市大手町11番29号

日本三大大仏の候補 「岐阜大仏」

岐阜大仏

1791年(寛政3年)頃より造立が始まった岐阜大仏(釈迦如来像)。
完成は38年後の1832年(天保3年)、災害で亡くなった人々を弔う岐阜大仏です。
金凰山正法寺:岐阜県岐阜市大仏町8

まとめ

いかがでしたか、日本三大大仏?

日本の大仏さまの多くは、ご自身も自然災害の被害者なのですね。
開眼供養を前に、地震で倒壊した大仏を目の当たりにした豊臣秀吉の胸中はどのようだったのでしょう?

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