戦国時代の謎とは?有名な謎をピックアップ!

幕末とならび日本人に人気の高い戦国時代、幾多の武将が覇権をめぐり戦いあった激動の時代です。そんな戦国の世において、今だ解明されていない有名な謎をピックアップしてみました。戦国好きの方はぜひ知っておくべき謎ばかりですので、どうぞご参考にされてください。

目次

  1. 戦国時代は謎がいっぱい!
  2. 中国大返しの謎
  3. 山本勘助は実在したの?
  4. 千利休、その死の謎とは?
  5. 戦国の女性濃姫、その謎多き人生
  6. 謎を知り、より楽しめる戦国時代
  7. 終活の専門家に相談してみよう

戦国時代は謎がいっぱい!

歴史

歴史好きなら誰もが胸躍らせる激動の時代、それが戦国時代です。足利将軍家の没落、武田信玄と上杉謙信の戦い、織田信長の天下布武、豊臣秀吉の台頭、大阪夏冬の陣、そして徳川家康による天下統一など、様々なドラマが生まれました。この記事ではそんな戦国時代でとくに謎とされるものをピックアップしてみました。これを見て、ぜひ戦国時代に面白さに触れてみてください。

中国大返しの謎

素早く終わらせた備中高松城攻め

中国大返しは備中高松城を攻めあぐねていた羽柴秀吉が織田信長に援軍を要請したことに端を発しています。信長は秀吉の頼みを聞き入れ、この援軍に明智光秀を派遣しました。その途中で本能寺の変が起こることになるわけですが、経緯としては次のようになります。
秀吉が信長に援軍要請→光秀を派遣させるも途中で裏切り本能寺の変が起こる→知らせを聞いた秀吉は毛利と条件付きで和睦、東へとって返す(中国大返し)→山崎の合戦で光秀に勝利する
秀吉は備中高山城城主清水宗治の切腹と要求していた5ヵ国割譲を3ヵ国割譲にするという条件で毛利と和睦を結び、東にとってかえすことになります。その行軍速度は約200㎞を8日間で踏破するというとんでもないスピードで、常識的に考えてありえないため、秀吉黒幕説など多くの謎をはらむことになりました。

不自然な本能寺の変の報告

行軍スピードはもちろんのこと、他にも不審な点は多々あります。まず、本能寺の変で信長が死んだのが、1582年6月2日の朝ですが、秀吉が毛利と和睦を結んだのは6月4日です。秀吉はもちろん信長死の報をきかないと動けません。つまり、6月3日、もしくは4日未明ぐらいには信長が死んだことを知っていないとおかしいわけです。
情報を知るのも早すぎますし、和睦交渉がとりまとめられるのも早すぎるように思えます。こういった不可解な点が秀吉黒幕説を後押ししているのでしょう。

中国大返しは本当に可能だったか?

秀吉が高松の陣を引き上げたのが6日、光秀に勝利した山崎の合戦が13日、だいたい8日という短い日数で甲冑をまとった軍勢が移動するのは、普通に考えると不可能です。かといって、秀吉が黒幕で光秀と共謀していたという説も違和感がぬぐえません。
現在、新しく出た資料などから推察された説は、「秀吉は共謀こそしていなかったが、事前にこの情報をつかんでいた」という説です。光秀が謀反を起こす可能性が高かったために、和睦交渉も早くからすぐにまとまるよう事前準備をしておきタイミングを見計らっていたのでしょう。
兵も6月4日に和睦がなされることが決定した時点で先にある程度出発させていたとすれば、この行軍速度もなんとか納得できる範疇におさまるかと思われます。いずれにせよ、多くの情報把握と十分な事前準備を秀吉は行っていたはずです。実に秀吉らしいといえますね。

山本勘助は実在したの?

戦

「名軍師 山本勘助」は架空が定説だった

武田家の名軍師として知られる山本勘助は『甲陽軍鑑』という資料でその活躍が書かれ、さまざまな軍略を駆使して武田を支えたとありますが、これ以外資料から山本勘助の名が出てくることはなく、この資料も後世が脚色した架空のもので歴史的価値はないと判断されたために、山本勘助は実在しない架空の人物であるという説が一般的になりました。

山本勘助は実在した

しかし、その後、歴史的価値のないとされていた『甲陽軍鑑』の中に戦国当時の言葉が多々使用されている点が指摘され、さらに平成20年に発見された新資料により、山本勘助という人物が実際に居たことが確実となりました。

歴史的事実と創作の混合が生み出した謎

新しい発見により『甲陽軍鑑』はいわゆる「後世が作り出した偽書」とはいえなくなりましたが、その一方で、事実誤認や創作が紛れ込んでいるのも確かです。現在の通説はこの軍艦を元にしたものが主流ですが、それだと他の資料とかみ合わない不自然な点が多く、「川中島合戦」や「山本勘助」など多くの謎をさらに深めることとなっています。

千利休、その死の謎とは?

茶の湯の大成者として知られる千利休は豊臣秀吉と友好関係にあったにも関わらず、最終的には切腹を命じられています。二人の間に何があったのでしょうか?いくつか有名な説をご紹介いたします。

大徳寺に自身の木造をおいたため

大徳寺と深いつながりがあった利休はこのお寺の山門修繕に資金援助を行い、これを恩義に感じた住職が感謝の意をあらわすために山門の上に利休の木造を建てました。
しかし、これに秀吉は激怒しました。いわく「山門の上に木造があるということはそこを通る貴人たちを踏みつけていると同じことだ」というのです。ほぼ言いがかりですが、これに対し利休は反論せず、切腹を受け入れています。これが「千利休切腹」の表向きの理由ですが、あまりにも不自然なため、多くの説が生まれました。

茶道に関する考え方の違い

ひとつは茶道に対する考え方の違いです。「わび・さび」を理想とする千利休の茶道は秀吉の好む豪華で華美な茶道とはまったく正反対で、その考え方の違いから袂をわかつこととなったという説です。

娘を側室に出すのを拒んだため

利休には二人の娘があり、その一人を秀吉が気に入り側室に迎えようとしましたが、利休はこれを拒みました。事件当時はこれが理由で切腹されたのだという噂が巷に流布しています。

堺の権益を保持しようとしたため

利休は自身の生まれ育った堺の自主性や権益を守ろうとし、それを是としない秀吉と対立したのだというのも有力な説です。当時最大級の貿易地であった堺の独自性を最後まで守り抜こうとし、秀吉はそんな利休を邪魔に思ったのかもしれません。

戦国の女性濃姫、その謎多き人生

道三死後の資料がない濃姫

濃姫は美濃の斎藤道三の娘であり、信長の父である織田信秀と同盟を結んだ際に、信長の許嫁となり、1549年に信長の元に嫁ぎ正室となりました。ですが、その後、濃姫について書かれた資料はなく、どのような人生をおくったのか、いつ頃亡くなったのかなどが一切不明となっているのです。

記載がないのは名前が変わったからか?

『濃陽諸士伝記』という資料によれば、道三の息子である斎藤義龍が信長と対立した際、同盟破棄によって離縁された濃姫は国元に戻った際に義龍によって殺害されたとあります。
しかし、その後、おそらく濃姫ではないかと思われる女性が各資料に所々出てくることから、この説は否定されがちです。とくに織田信雄の分限帳(家計簿のようなもの)に書かれた「安土殿」という女性が名前やその扱いから正室である濃姫の可能性が高いと指摘されています。この説が正しいならば、本能寺の変後も長く戦国の世を生き抜いたこととなるでしょう。

謎を知り、より楽しめる戦国時代

戦国時代の有名な謎をいくつかご紹介してきました。どれも、いまだに所説あるミステリーばかりです。この記事でもし戦国に興味をもってくださったなら、ぜひ、伝記や小説、映画などもご覧になって、より深く戦国を知ってみてください。きっと素晴らしい戦国ライフが待っています!

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