奈良の東大寺の大仏殿の大きさは?また、その歴史について

奈良の東大寺にある大仏殿。歴史の授業で勉強したり一度は足を運んだこともあると思います。そんな奈良にある大仏殿について詳しく見ていきましょう。

目次

  1. 奈良の東大寺の大仏殿
  2. 奈良の東大寺の歴史
  3. 東大寺大仏殿
  4. 奈良の東大寺盧舎那仏像
  5. 奈良の大仏殿のまとめ

奈良の東大寺の大仏殿

奈良県にある東大寺、その境内にある大仏殿に一度足を運んだことがある方は多くいらっしゃると思います。しかし、実は2度の火災に遭っていたことや、この大仏殿と大仏の建造費など、あまり知られていない東大寺や大仏殿、大仏の歴史と豆知識を見ていきましょう。

奈良の東大寺の歴史

奈良県奈良市雑司町にある東大寺、華厳宗大本山の寺院です。1998年には、ユネスコの世界遺産に「古都奈良の文化財」の一部として登録されました。

東大寺の創建

天平5年(733年)に若草山麓に建てられた金鐘寺が東大寺の起源だとされています。

天平15年(743年)に聖武天皇が大仏造立の詔を発します。この当時、都を現在の京都府木津川市にあたる恭仁京に移しますが、天皇は紫香楽宮という現在の滋賀県甲賀氏信楽町にいたためこの地で大仏の造立が始められますが、天平17年(745年)に都が平城京に戻ると、大仏の造立も移り、東大寺の地で行われることになりました。

その後、天平19年(747年)に大仏の鋳造が始まり、この頃から東大寺という名が用いられるようになったそうです。

奈良時代

奈良時代の東大寺は、南北の方向に南大門、中門、大仏殿、講堂が一列に並んでおり、講堂の北側にコの字型の僧房が並び、その東には、食堂がありました。また、南大門と中門の間左右高さ約70m以上あったと推測される東西2基の七重の塔があったとされています。

これらは、起工した天平17年(745年)から完成までに40年ほどの時間を要したそうです。

平安時代

桓武天皇による南都仏教抑圧策により、造東大寺所が廃止されてしまうなどの圧迫をうけます。また、講堂や僧房が失火で焼失してしまったり、西塔が落雷により焼失。南大門、鐘楼が暴風により倒壊してしまう事件が起こりました。

中世以降

治承4年12月28日には、興福寺と共に南都焼討を受け、平重衡の兵火によって多くの堂塔や大仏殿などを失ってしまいます。この時、俊乗房重源の精力的な活動により再建されます。

その後、戦国時代には永禄10年10月10日の三好・松永の戦いにより東大寺の主要堂塔が消失してしまいます。そして、大仏殿は再建されたものの講堂などは再建されることなく礎石や土壇のみが残されています。

東大寺大仏殿

奈良の東大寺の大仏殿の正式な名前は「東大寺金堂」といいます。実は2度の火災に遭っていたことや一時期大仏が野ざらしになっていたことなど、大仏殿の歴史や豆知識についてみていきましょう。

大仏殿について

奈良県にある東大寺の中央にあり、境内の建物の中で最も大きな建物です。大仏殿の正面には、金銅八角燈籠があり、国宝に指定されています。

木造軸組建築としては世界最大の建物で内部には大仏の鼻の穴の大きさと同じ穴があけられた柱があります。

柱くぐり

皆さん修学旅行などで訪れた際に、一度はくぐった?ことがあるかもしれない有名な柱くぐり。直径120㎝の柱に30㎝×37㎝の穴があけられています。この穴をくぐり抜けると無病息災のご利益があると言われています。

しかし、この穴の本来の理由はご利益の為ではありませんでした。この穴の開いた柱は、大仏殿の北東に位置し鬼門にあたるため、穴をあけ邪気を逃すために開けられたものだったそうです。

大仏殿の大きさ

現在の大仏殿の大きさは幅57.5m、奥行が50.5m、棟までの高さが49.1mとなっています。これは創建当初にくらべれば、幅が3分の2程度縮小していることになります。

大仏殿の建造費

とても大きな大仏殿、そして大仏。これらを建造するのに要して費用とはどれほどのものだったのでしょ。

約9年という歳月と、延べ260万人がかかわったとされ、その建造費は、現代でいうと約4657億円だそうです。

大仏殿焼失

大仏殿は、平安時代末期と戦国時代に焼失しており、その都度再興されてきました。

平重衡の兵火

一度目は、治承4年(1180年)の平重衡の兵火によるものです。この時は、大勧勧職・俊乗房重源が再建に奔走し、来日していた宋の鋳工・陳和卿らの協力のもと、大仏を再興。文治元年(1185年)に後白河法皇により開眼の筆が入れられ無事開眼法要が営まれました。

三好・松永の兵火

二度目は、永禄10年(1567年)の松永久秀の兵火によるものです。戦国の世という時代背景のせいかなかなか復興は進まず、仮堂をひとまず建てたものの慶長15年(1610年)の大風で倒壊してしまい、雨ざらしのまま数十年を過ごします。

貞享元年(1685年)、公慶が大仏再興のための資金集めの許可を幕府から得て、ようやく元禄4年(1691年)完成するのです。

奈良の東大寺盧舎那仏像

「奈良の大仏」でお馴染みの東大寺の大仏殿の大仏ですが、正式には「盧舎那仏坐像」といいます。

大きさ・重さ

大仏の大きさは、高さが約15m、基壇の周囲が約70m、重さは約250tです。

歴史

聖武天皇により発願され、天平17年(745年)より造像が始められ、天平勝宝4年(752年)に開眼供養が行われました。

その後、平安時代末期と戦国時代の2度焼失してしまいますが、その後再興されてきました。現代の大仏は、頭部は江戸時代のもの、体の大部分は鎌倉時代のものであり、台座や大腿部など建立時の天平時代のものが残っている部分もあります。

昭和33年(1958年)2月8日「銅造盧舎那仏坐像1躯」として国宝に指定されました。

奈良の大仏殿のまとめ

天平時代よりその長い歴史の中で、戦火や天災に遭いながらもそのたびに再興され、現代まで残されてきた大仏様。

その壮大なお姿は、皆に愛され、また心の糧となってきたからこそ、この長い歴史の中で壊されてもまた再興されてきたのでしょう。そんな人々に愛された大仏様ぜひ今一度お会いしてみてはいかがでしょう。

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