天下分け目の戦、関ヶ原の戦いで伊達政宗はどこにいた?

日本における最大級の戦で、天下分け目の大戦である関ヶ原の戦いは西軍と東軍に別れての戦いとなります。しかし、その中でも伊達政宗のような有名武将がこの戦いの中にいないのです。関ヶ原の戦いで伊達政宗はどこにいたのでしょうか。

目次

  1. 有名武将がちらほらいない関ヶ原の戦い
  2. 関ヶ原の戦いに伊達政宗はいないけど…
  3. 百万石のお墨付きを伊達政宗は貰う
  4. 関ヶ原の戦いは日本中の火種だった
  5. 関ヶ原の戦いと伊達政宗について まとめ

有名武将がちらほらいない関ヶ原の戦い

関ヶ原の戦い

東西に分けた天下分け目の関ヶ原の戦いはおそらく日本人ならほとんどの方が知っていることでしょう。しかし、この関ヶ原の戦いにおいて参戦していない有名武将というのはたくさんいるのです。おそらくそれらをリストアップして提示されると多くの方々がビックリすることでしょう。

その中の一人が伊達政宗です。伊達政宗は生まれるのが10年早ければ天下を取れていたと言われている麒麟児ですが、この戦場にいないのです。はたして、彼はこの時どこで何をしていたのでしょうか。今回は関ヶ原の戦いにおける参戦していなかった諸将について解説いたします。

関ヶ原の戦いに伊達政宗はいないけど…

伊達政宗は関ヶ原の戦いには参戦しておりませんが、関係する戦にはかかわっております。その戦とは「慶長出羽合戦」です。別名「東北の関ヶ原」と呼ばれるものであり、相手は上杉景勝と直江兼続、そして前田慶次となっております。有名どころが揃っておりすさまじい戦だったと多くの記述が残っているのです。

基本的に戦というのはいきなり始まって、いきなり終わるものではなく戦に至るまでには様々な謀略戦があるのです。秀吉が無くなった後に五大老筆頭だった家康は勢力を伸ばし、石田三成と敵対し始めますが、1600年7月25日に徳川家康が小山評定を行い、徳川か豊臣かどちらにつくのかを迫ったというのもあります。

徳川家康が小山評定を行った理由には、東北で上杉家が戦仕度を初めて直江状を用いて徳川家に喧嘩を売ったり、鳥居元忠の伏見城を石田三成の勢力が攻撃したことから本気で敵対することが確定した状態になったからというものもありましたが、このような情勢になっていたからこそ東北で上杉勢が暴れるのを東北にいる武将が放置するわけないですよね。

つまり、上杉家が怪しい動きをしていたから徳川家康は上杉征伐を行うつもりだったのに、石田三成が挙兵したことによりそちらを放置するわけにはいかないと転進する必要が出てしまい、東北の問題は東北にいる武将で片づけるしかなくなったということです。その問題解決に、伊達政宗は注力したということになります。

百万石のお墨付きを伊達政宗は貰う

伊達政宗は徳川家康が転身して関ヶ原の戦いに赴く前に伊達政宗に「百万石のお墨付き」という覚書を送っています。もともと、伊達政宗は豊臣秀吉が北条家と戦っている時に最後の最後まで悩んで大遅刻をして、その後領地没収をされています。その没収された旧領6郡49万石を回復することを約束された覚書ということです。

上杉方の武将である名将直江兼続が最上領内に突撃していき最上家は大苦戦します。この時の最上家は最上義光が率いておりますが、この人は血縁上政宗の叔父に該当しているので救援しない理由は無いのでしょう。「慶長出羽合戦」という名前に聞き覚えが無い方は「長谷堂城の戦い」といったほうが分かりやすいかもしれません。

まぁ、その戦でも伊達政宗はやんちゃをしてしまって領土を拡大しようと画策します。しかし、そのたくらみもばれて家康から大目玉をくらうことになり、100万石の話はなくなってしまうのです。それでも、上杉家が南下しないように防いだのは事実なのでやりすぎではありますが、仕事ははたした状態となっていたのです。

関ヶ原の戦いは日本中の火種だった

関ヶ原の戦いは本当天下分け目の多く差であり、多くの武将が参戦しておりますが、参戦していなかった方々も東と西に別れて大戦をしています。その筆頭が伊達政宗であり、上杉景勝と東北で死闘を繰り広げていたのです。そんな彼ら以外にも大きな戦を起こしていた人たちはたくさんいます。

関ヶ原の戦いに参戦していない猛将の戦といえば、立花宗茂も大津城の戦いで京極高次と戦っておりますし、田辺城の戦いでも細川幽斎と小野木重勝が戦っております。九州でも戦はあり黒田孝高と大友義統が石垣原の戦いを繰り広げました。

真田幸村も関ヶ原の戦いにはいませんでしたが、父親である昌幸と共に父子で上田城に籠城して関ヶ原に参戦するために行軍していた徳川秀忠と信之を迎え討ち戦っていたのです。幸村ファンの方は関ヶ原の戦いに真田幸村がいたら歴史は変わっていたと思っているかもしれませんが、立派に務めははたしていたと言えるのではないでしょうか。

関ヶ原にいなかったがゆえに注目されないことがありますが、当時の有名武将の方々は大なり小なりこの天下分け目の大戦に関与していると思ってください。「お気に入りの武将が関ヶ原にいない」と怒りの感情が沸いてしまった方は、その時何をしていたのかを調べてみると面白い逸話が見つかるかもしれませんよ。

関ヶ原の戦いと伊達政宗について まとめ

このように、伊達政宗は関ヶ原の戦いに参戦はしていなかったのですが、猛将がたくさんいる上杉家と東北でガチンコバトルを繰り広げており、ものすごい戦いを繰り広げたと言われております。

この東北の関ヶ原では有名武将が沢山いる戦となっているので、気になる方は伊達家VS上杉家の長谷堂の戦いをもっと掘り下げてみてはいかがでしょうか。皆さんが満足するお話が沢山ちりばめられております。

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