実は権威が高かった!江戸時代の天皇の様子とは?

実は権威が高かった!江戸時代の天皇の様子とは?

江戸時代は将軍が政治の舞台での最高責任者とされていますが、京都には天皇も存在していました。では、江戸時代の天皇の権威や知名度などは一体どのようなものだったのでしょうか。

最終更新日: 2020年03月12日

江戸時代の天皇

江戸時代と言えば、国政を担っていた最高責任者は征夷大将軍と言われていますが、京都には天皇がおり、日本の国体自体は不変の時代が続いていました。
一方、現在の高等教育の試験などでも、江戸時代の将軍の名前などは出題されますが、当時の天皇に関しては出題される傾向は低いようです。

このように、江戸時代は将軍に比べて天皇はあまり表舞台に出ていなかった印象がありますが、実際にはどうだったのでしょうか。
江戸時代の天皇の権威や知名度、生活の様子について見てみることにしましょう。

江戸時代は、政治の実権そのものは征夷大将軍が持っていたとされています。
征夷大将軍は将軍とも呼ばれ、江戸幕府で有名だった人物には初代将軍徳川家康・3代目将軍徳川家光・8代目将軍徳川吉宗・15代将軍徳川慶喜などがいました。

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今回「終活ねっと」では江戸時代の天皇に関して以下のような事柄を中心に説明していきます。

  • 天皇の権威について
  • 天皇の知名度は?
  • 天皇はどんな生活をしていたの?

時間がないという方やお急ぎの方も、知りたい情報をピックアップしてお読みいただけます。
ぜひ最後までお読みください。

江戸時代の天皇の権威

江戸時代の天皇は、将軍の存在の陰に隠れた印象がありますが、むしろ将軍以上に強い権威を有していたと言われています。
これを江戸時代の有名な法令である「禁中並公家諸法度」の成立経緯から見てみることにしましょう。

禁中並公家諸法度

江戸時代の天皇と将軍の関係を示している法令の一つに、禁中並公家諸法度があります。
これは、天皇家や公家に対し江戸幕府側が定めた法令で、従来の見解では天皇や公家を監視する目的で作られたのではないかと考えられていました。

しかし、実際にはこの法令は江戸時代から新しく作られたものはなく、鎌倉時代や室町時代に慣習となっていたものを幕府側が確認したに過ぎないことが後の研究でわかりました。

つまり、幕府側にとっては少なくても朝廷に対し本気で統制を行うつもりで制定したものでは無かったようです。
では、禁中並公家諸法度はどのような目的があったと考えられているのでしょうか。

実は当時の江戸幕府の考えとして、天皇の権威を高めることにより基盤を安泰化させる狙いがあったのではないかとの説があります。

実際、江戸時代初期の朝廷は風紀が乱れた状態にありました。
1609年には猪熊事件と呼ばれる醜聞事件が発生し、幕府が介入してことを納める事態にまで発展してしまいました。

後陽成天皇は、その以前から公家の乱れた生活により朝廷、ひいては天皇の権威が凋落することを非常に恐れていました。
実際に幕府の介入案は非常に手ぬるいとされるもので、この内容に不満を持った後陽成天皇は退位をしてしまいます。

このような経緯から、幕府側も朝廷の没落を防ぐ目的で「禁中並公家諸法度」を制定したとされています。

天皇の権威強化

禁中並公家諸法度により、朝廷の秩序回復が図られ、天皇の権威強化につながっていきました。
これは幕府にとっても全国の大名への統治権を明確にするとともに、江戸幕府の安泰化を図れることになりました。

よって江戸幕府が260年余り続くことができたのも、天皇の権威が強かったためできたことであると考えることもできます。

江戸時代の天皇の知名度

では、江戸時代における庶民への天皇の知名度はどうだったのでしょうか。

禁裏御所への参詣

江戸時代に天皇が住んでいた場所は京都御所で、「禁裏御所」とも呼ばれていました。
一般的には皇族や王族の御所に庶民が立ち入ることは一切出来ないところです。

しかし京都御所に限っては、儀式や行事等がある場合は、庶民であっても立ち入って参詣することが可能でした。
当時の資料では節分の時など、混雑するほどの入場者数がいたとの記録もあります。

暦の策定

暦の策定なども天皇、朝廷が行っており、庶民にとっても非常になじみ深いものでした。
暦は江戸時代においても非常に重要なもので、正月や節分、お盆など重要な行事は、策定された暦に従って執り行われていました。

これらの件からも、江戸時代においても天皇は重要な役割を果たし、庶民にとっても非常に大きな知名度を誇っていたことが伺えます。

江戸時代の天皇の住まいや食事

次に、江戸時代における天皇の暮らしはどのようなものだったのでしょうか。

天皇の住まい

江戸時代の天皇は、南北朝時代以来の御所である「京都御所」に住んでいました。
現在の京都御所はこのうち里内裏が起源となっています。

江戸時代の京都御所周囲には公家屋敷等が集まっていました。
その周囲には主に町人や寺社仏閣などがあり、落ち着いた雰囲気の街並みだったようです。
一方で、武家が住んでいたのは、現在の二条城周辺で奉行所や武家屋敷などが立ち並んでいました。

江戸時代に天皇が住んでいたのは、京都御所の御常御殿(おつねごてん)という場所で、主に清涼殿で政務や儀式などを執り行っていました。

これらの建物は江戸時代に再建されたものもありますが、現存しており京都御所が公開される際には見学することも可能です。

天皇の食事

江戸時代の天皇の食事は、平安時代の頃に倣って銀の食器を使っていました。
これは、銀のさらを使う事により毒が混入した際も見破ることができるといった考えからでした。

献立はご飯にあつもの、魚介類や海藻類などがメインだったようです。
また、行事などがある際には鮭の塩焼きや大根のなます、伊勢海老やお雑煮なども食べていたようです。

当時の朝廷の財力などの影響もあり、将軍家などに比べると比較的質素な料理が多かったようです。
もちろん当時には肉食などはなく、魚介類や、野菜、海藻類を中心とした食事となっていました。

また、下記の記事では江戸時代の庶民の暮らしについて紹介しています。
ぜひ、こちらもあわせてご覧ください。

まとめ

江戸時代の天皇家は、大きな権威を持ち知名度も非常に高かったようです。
しかし生活様式は極めて質素で、ぜいたくな暮らしをしていたわけではなかった点も特筆すべき点です。

また、下記の記事では江戸時代の刑罰について紹介しています。
ぜひ、こちらもあわせてご覧ください。

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