千利休に学ぼう。千利休の名言集を集めてみました

「千利休」をご存知ですか?戦国時代から安土桃山時代にかけての商人、茶人です。千利休は数多くの格言や名言を残されています。とても為になる名言なのでご紹介します。

目次

  1. 千利休(せんのりきゅう)とは
  2. 千利休の名言
  3. 千利休が名言を残せた理由
  4. 名言で学べること
  5. まとめ

千利休(せんのりきゅう)とは

困った人々

信長、秀吉という2人の天下人に仕え、茶道千家流の始祖となった“茶聖”千利休。本名は田中与四郎、号は宗易(そうえき)といいます。大阪堺の魚問屋『ととや』に生まれました。
父は堺で高名な商人であり、利休は店の跡取りとして品位や教養を身につける為に、16歳で茶の道に入る。18歳の時に当時の茶の湯の第一人者・武野紹鴎(じょうおう)の門を叩き23歳で最初の茶会を開きました。

1585年(63歳)、秀吉が関白就任の返礼で天皇に自ら茶をたてた禁裏茶会を利休は取り仕切り、天皇から「利休」の号を勅賜されます。(それまで宗易と名乗っていた)。
このことで、その名は天下一の茶人として全国に知れ渡りました。
翌年に大阪城で秀吉に謁見した大名・大友宗麟は、壁も茶器も金ピカの「黄金の茶室」で茶を服し、「秀吉に意見を言えるのは利休しかいない」と記しています。

1590年(68歳)、秀吉が小田原で北条氏を攻略した際に、利休の愛弟子・山上宗二が、秀吉への口の利き方が悪いとされ、その日のうちに処刑されてしまいます。
利休は衝撃を受けます。茶の湯に関しても、秀吉が愛したド派手な「黄金の茶室」は、利休が理想とする木と土の素朴な草庵と正反対のものでした。秀吉は自分なりに茶に一家言を持っているだけに、利休との思想的対立が日を追って激しくなっていきます。

そして翌1591年1月13日の茶会で、派手好みの秀吉が黒を嫌うことを知りながら、「黒は古き心なり」と平然と黒楽茶碗に茶をたて秀吉に出しました。
他の家臣を前に、秀吉はメンツが潰れてしまうことになります。
それから1ヵ月後の2月23日、利休は突然秀吉から「京都を出て堺にて自宅謹慎せよ」と命令を受けます。利休が参禅している京都大徳寺の山門を2年前に私費で修復した際に、門の上に木像の利休像を置いたことが罪に問われました。
(正確には利休の寄付の御礼に大徳寺側が勝手に置いています)。
大徳寺の山門は秀吉もくぐっており、上から見下ろすとは無礼極まりないということでした。
秀吉は利休に赦しを請いに来させて、上下関係をハッキリ分からせようと思っていました。

ですが利休が謝罪に来ず、そのまま堺へ行ってしまったことに秀吉の怒りが沸点に達しました。
2月25日、利休像は山門から引き摺り下ろされ、京都一条戻橋のたもとで磔にされます。
26日、秀吉は気が治まらず、利休を堺から京都に呼び戻します。
27日、織部や三斎ら弟子たちが利休を救う為に奔走します。
そして28日。この日は朝から雷が鳴り天候が荒れていました。
利休のもとを訪れた秀吉の使者が伝えた伝言は「切腹せよ」でした。この使者は利休の首を持って帰るのが任務でした。利休は静かに口を開き「茶室にて茶の支度が出来ております」と。
使者に最後の茶をたてた後、利休は一呼吸ついて切腹しました。
享年69歳。利休の首は磔にされた木像の下に晒されました。

千利休の名言

人々

ほんの一部だけ、千利休の名言をご紹介します。

頭を下げて守れるものもあれば・・

名言【頭を下げて守れるものもあれば、頭を下げる故に守れないものもある】
信長・秀吉と天下人に仕えてきた千利休ですが、晩年にはそれぞれ派手好きな秀吉に対し彼は地味好きだったといいます。
切腹を命じられたのはそのあたりの価値観の違いだとする説もあるほどです。頭を下げて守れないもの、それは美学に反することかもしれませんし、単に政治権力に屈することが嫌だったということかもしれません。

上手にはすきと器用と功積むと・・

名言【上手にはすきと器用と功積むと この三つそろふ人ぞ能くしる】
物事が上達するには数奇であること、器用であること、そして功を積むことの3つが必要である、ということです。
「器用」は茶道具の扱いのことかもしれませんが、ここでは人使いにおける器用と理解する方が自然です。そして「功を積む」は努力を続けること。これは何事においても大事ですね。

家は洩らぬほど、食事は飢えぬ・・

名言【家は洩らぬほど、食事は飢えぬほどにて足ることなり】
家も食事も、最低限でいいということです。
華美な生活を送らずとも、自然体であることが幸せであるということですね。

稽古とは一より習ひ十を知り十より・・

名言【稽古とは一より習ひ十を知り十よりかへるもとのその一】
稽古においては簡単な事から入り、難しいことを全て習得し、そして最後にまた初めの簡単なことに戻って来ること。こうすることで、より深く理解し、身につけることが出来るのです。
また、初歩をおろそかにするな、という意味にもとれますね。

その道に入らむと思ふ心こそ・・

名言【その道に入らむと思ふ心こそ 我が身ながらの師匠なりけれ】
何事においてもそれを知ろう、学ぼうと思う心が自分の指針であり、師匠であるということではないでしょうか。師匠とは何かを教えてくれる人の事ではなく、自分を適切な方向へと導いてくれる人の事を言いたいのかもしれません。
好奇心があれば自ら様々な事を知り、考え、そこから多くを学び取ることが出来ます。そうして自分で成長していくことこそ、自然に従った正しいあり方であるということかもしれませんね。

千利休が名言を残せた理由

困った人々

千利休が名言を残せたのは、千利休の性格が関係しているような気がしますね。
千利休は、「自分の信念を曲げない人物であり、さらに嘘をつけない、思ったことをすぐ口にする」人物だったと思います。だからこそ、数々の名言が残されたのでしょうね。

名言で学べること

時代は違えど、生活の中で名言から学べることがありました。
人それぞれ響く名言は違うと思います。千利休だから、こんなこと言えるんだよ。とも思うかもしれません。でも、躓いてしまったときに自分を見失わずにやり直すための言葉がたくさん千利休の名言にはあるように感じます。

まとめ

千利休

二人の天下人に仕えた千利休。とても偉大な方でした。
それでも最期は切腹でした。仕えた人からの指示でした。
とても悲しい最期ですが、千利休は最後まで茶を愛していました。
茶を大事にしていました。私たちも、そのようなものを持って生きていきたいものです。

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