国宝・松江城。その歴代の城主とはどのような人物だったのか

2015年に国内のお城の天守として63年ぶりに国宝に指定された松江城。その松江城の歴代の城主とは?今回は松江城城主についてみていきましょう。

目次

  1. 松江城について
  2. 松江城を築城し、初代の城主・堀尾家
  3. 松江城の堀尾家の次の城主・京極家
  4. 10代続いて松江城主・松平家
  5. 松江城城主のまとめ

松江城について

現在の島根県松江市殿町にあるお城で、江戸時代に築かれました。別名「千鳥城」と呼ばれ、城跡は、国の史跡に、天守は国宝に指定されています。

松江城築城

松江城が築城される以前、鎌倉時代~戦国時代にかけて末次城(末次の土居)がありました。その後、関ヶ原の戦いにおいて功労のあった、堀尾忠氏が24万石を得て、月山富田城に入り松江藩ができました。

そして、慶長12年(1607年)に末次城跡に松江城の築城をはじめ、慶長16年(1611年)の冬に完成します。

江戸時代

築城以降堀尾家の居城としていた松江城でしたが、寛永10年(1633年)に初代城主の堀尾忠治が子供のないまま亡くなってしまったため、堀尾氏は改易となってしまいます。

翌年の寛永11年(1634年)に若狭国小浜藩(若狭・越前敦賀郡)の京極忠高が、出雲・隠岐に26万石入封します。この時に、三の丸が造営され現在の松江城が完成します。

しかし、寛永14年(1637年)に、京極忠高が子供がいないまま没してしまったので、京極氏は一時廃絶してしまいます。

そして、翌年寛永15年(1638年)、信濃国松本藩の松平直政が18万6千石を入封し、明治に入るまで松平家が城主となりました。

明治時代以降

明治4年(1871年)の廃藩置県により廃城となってしまいます。

明治6年(1873年)の廃城令により、売却されることとなりますが、勝部本右衛門や高木権八により買い戻され、保存されるのです。

昭和10年(1935年)に旧国宝に天守が指定され、平成27年(2015年)7月8日に改めて天守が国宝に指定されました。

松江城を築城し、初代の城主・堀尾家

松江城の築城をした堀尾家、その始まりは堀尾吉晴です。豊臣政権三中老の一人として豊臣政権に参与し、豊臣秀吉の死後、慶長4年(1599年)10月1日に家督を忠氏に譲り隠居します。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍につきます。その功労により、出雲国と隠岐国に24万石を与えられ、月山富田城に入城します。

松江城の築城

城

出雲国と隠岐国に24万石を与えられ、松江藩が成立し、堀尾忠氏は、松江藩の初代藩主となりますが、慶長9年(1604年)8月4日に堀尾忠氏は27歳の若さで早世してしまいます。

その後、息子の堀尾忠晴が家督を継ぎますが、まだ幼い忠晴に代わり吉晴が統治することとなり、慶長12年(1607年)堀尾忠氏の遺志を継ぎ松江城の築城を始めます。

慶長16年(1611年)に松江城が完成するものの、同年の6月に松江城の完成をみず、堀尾吉晴死去。

松江城初代城主

慶長16年(1611年)の末に完成した松江城の初代城主についたのは、堀尾吉晴の孫・堀尾忠晴でした。

堀尾忠晴は、祖父・吉晴、父・忠氏の遺志を継いで藩政を行いますが、寛永10年(1633年)に子供がないまま死去してしまいます。

松江城を築城した堀尾家は、初代の松江城主の忠晴で途絶えてしまったのです。

松江城の堀尾家の次の城主・京極家

寛永11年(1634年)、若狭小浜藩主であった京極忠高が加増転封となり、松江城主となります。

しかし、京極忠高は松江にきて3年後に死去してしまいます。また、京極忠高には跡取りがいなかったため、京極氏は一時的に廃絶してしまうのです。

京極忠高と正室・初姫

京極忠高が松江城主となる前の話ではありますが、正室・初姫との話です。

京極忠高の正室・初姫は、2代将軍・秀忠の四女であり、3代将軍・家光の姉でした。京極忠高と初姫は、慶長11年(1606年)に結婚するものの、二人の夫婦仲はあまりよくなく二人の間には子供がいませんでした。

寛永7年(1630年)3月4日に初姫が29歳で没してしまうのですが、初姫の臨終の際、忠高は相撲見物をしており、知らせが入るものの無視したといいます。

京極家は、徳川家姻戚として優遇されていましたが、初姫の葬儀には秀忠や家光に許可されなかったため、京極家関係の者は参列できなかったそうです。

松江城主としての3年

京極忠高は、松江城主としての期間は3年と短いものの、三の丸を造営し松江城の現在の姿を完成さるなどの功績があります。

また、この時代何度も氾濫を起こしていた斐伊川に大土手を築き改修し、それは現在でも若狭藩主であった忠高にちなみ「若狭土手」と名付けられています。

そして、当時幕府の直轄であった石見銀山の監督権を得るなど、松江城主の中でも最大の領地を治めたのです。

10代続いて松江城主・松平家

寛永15年(1638年)、信濃国松本藩の松平直政が18万6千石へ加増移封され松江城の城主となります。
以降10代にわたり松江城の城主として、明治になるまで統治することとなるのです。

お鶴の霊と松平直政

松平直政が松江城に入城した際、天守閣は荒れており夜な夜な「天狗の間」に娘の霊が出たそうです。

その霊は、松江城築城時に石垣に人柱として埋められてしまったお鶴という娘だったそうで、この娘を哀れに思った直政が供養のため、「このしろ」を供えるようになると、霊は出なくなったそうです。

以前の城主である堀尾氏と京極氏が改易になってしまったのに対し、供養をした松平家は明治まで10代にわたり統治できたのはこの娘の供養をしたからなのでしょうか。

第7代城主・松平 治郷

茶人として有名な松平治郷、彼が家督を継いだころの松江藩は財政が破綻しており、滅亡の危機に面していました。

そのため、松平治郷は藩政改革を行います。まずは、農業政策に乗り出しました。木綿や朝鮮人参などの価値の高い特産品を栽培するようにします。そして、厳しい倹約令や藩札の使用禁止、年貢の引き上げなど厳しい政策を行い財政改革に成功するのです。

しかし、そこでめでたしと終わらないのが治郷。財政が潤ったと思いきや、茶人としてとても優れていた治郷は茶器などに多額のお金をつぎ込んでしまい再び財政を悪化させてしまうのでした。

松江城城主のまとめ

国宝の松江城。同じ国宝の姫路城などに比べ松江城の城主には日本史に出てくるような有名人はいませんが、松江城の歴史、城主たちそれぞれの歴史を見ていくのもとても面白いです。

天守が国宝に指定されている中でも平成に入り指定された松江城。その歴史をぜひ、目で見てみてはいかがでしょうか。

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