名古屋城って誰の城?17人の【歴代城主】を一挙ご紹介します

名古屋城は大阪城、熊本城とと共に3大名城に数えられる名城です。金のしゃちほこでも有名ですね。有名なお城でも、城主は誰?と聞かれるとあれ、誰だったかな、となる方も多いのでは。この記事では17人の名古屋城城主を全員ご紹介します!

目次

  1. 名古屋城の基礎知識
  2. どこにある?
  3. 誰が建てた?
  4. 誰のために建てられた?
  5. 名古屋城の歴代城主
  6. ついに将軍が出なかった尾張徳川家
  7. 名古屋観光ならこちら

名古屋城の基礎知識

名古屋城の城主をご紹介する前に、名古屋城についておさらいをしたいと思います。

名古屋城

どこにある?

名古屋城があるのはかつての尾張の国愛知郡名古屋、今の愛知県名古屋市中区です。名古屋城があった場所には織田信長が生まれた城、那古野城があったのですが、時代とともに役目を終えた那古野城は1582年ごろに廃城となり、そのあと地に名古屋城が建てられたのです。
名古屋城が建てられている場所は、崖や川で囲まれていて、天然のもので城を守ることができる上、経済の発展も見込めるとても条件の良い場所でした。

誰が建てた?

名古屋城は徳川家康が建てた城です。豊臣秀吉の軍勢との緊張が高まる中、軍事面での要所となる名古屋に築城を決めました。1609年に正式に天下普請によって建てられる旨が正式に発令され名古屋城は1614年に完成しました。
天下普請とは江戸幕府から諸大名に命令して行う大規模な工事です。そのため卓越した石積みの技術を持つ熊本城城主、加藤清正も名古屋城の天守台を担当しています。

誰のために建てられた?

名古屋城は徳川家康の尾張徳川家の家祖で13歳で尾張藩の領主になった九男の徳川義直(よしなお)のため建てられた城です。以降尾張藩主の居城として使われました。

名古屋城は尾張徳川家の藩主のもの

尾張徳川家は約62万石もの領地を有した紀州徳川家、水戸徳川家と並ぶ徳川御三家の一つで、徳川将軍家に継ぐ地位を持っていました。三つ葉葵の家紋の使用も許されていた名家です。名古屋城はその尾張徳川家の当主が住むための城です。

名古屋城の歴代城主

それではいよいよ名古屋城の城主をご紹介します!

初代城主 義直(よしなお)

名古屋城の初代城主になったのは義直(よしなお)です。義直は関ヶ原の合戦の年の1600年に生まれた徳川家康の九男。若干4歳で今の山梨県である、甲斐国の25万石の領主になりました。その後、尾張国清洲(きよす)の領主だったお兄さんがなくなったので、1607年に尾張国清洲の領地を譲り受けました。その後13歳で尾張国の領主になり、名古屋城も出来上がったので1614年に清洲から丸ごと名古屋に引越ししてきて名古屋城の初代城主になりました。

文武両道の人

義直は儒学を深く信奉した人です。また父、家康の文武両道の教えを固く守り、素晴らしい剣豪でもありながら書籍をたくさん集めて一般にも公開するほど学問の普及に熱心だったそうです。
将軍の中でも秀忠と家光を補佐しましたが、家康の実子というプライドが高くいささか堅物だったこともあり、叔父でも年が4つしか変わらない三代将軍家光と度々衝突があったとも伝えられています。義直は寝返りを打つときは脇差の位置も変えていたというほど真面目で貴重面な性格だったようです。

二代城主 光友(みつとも)

光友(みつとも)は義直の長子です。三代将軍、家光の長女が光友の正室に迎られ、将軍家と尾張徳川家の結びつきは強固なものになっていました。光友もやはり文武両道の人で、秀でた文化人として知られていました。

三代城主 綱誠(つななり)

綱誠(つななり)は光友の長子で、正室の他に13人の側室がおり、22男18女、なんと40人の子供がいましがその大半は早くに亡くなってしまいました。小さい頃から頭が良く、聡明な人でしたが家督をついでたった6年で亡くなります。死因は苺。早苺を食べたことで食中毒になったと見られています。

四代城主 吉通(よしみち)

綱誠の死後は綱誠の十男吉通(よしみち)が家督を継ぎ、四代目の城主になりました。内政の面でも優れたリーダーであり、尾張柳生新陰流9世を継承した剣豪でもありました。六代将軍家宣はこの吉通を後継にと考えていましたが、若干25歳で亡くなってしまいます。

五代城主 五郎太(ごろうた)

吉通の長子ですが、幼名のままであることからも分かる通り、家督を継いで2ヶ月後、たった3歳で亡くなってしまったもっとも幼い名古屋城の城主です。このことで尾張徳川家の直系は途絶えてしまいました。

六代城主 継友(つぐとも)

子沢山の三代城主、綱誠の十一男の継友(つぐとも)が六代目です。尾張徳川家の財政立て直しに成果をあげました。継友も将軍候補に上がるのですが、結局は徳川吉宗が八代将軍になりました。

七代城主 宗春(むねはる)

この宗春(むねはる)も子沢山の綱誠の二十男です。「暴れん坊将軍」がお好きな方ならご存知かもしれません。というのも宗春(むねはる)は八代将軍吉宗の、緊縮財政を良しとする享保の改革に「身の丈にあった遊びは必要」とし、真っ向から反対した人物なので物語の中では吉宗の仇役として描かれていることもあるのです。実際には遊び心のあるファッションリーダーで、祭りを催しては庶民を喜ばせ、社会的弱者も大切にした名君でした。しかしついに吉宗から隠居を命じられてしまいました。

八代城主 宗勝(むねかつ)

宗春の隠居後に分家の高須松平家から迎えられたのが八代当主の宗勝(むねかつ)です。尾張徳川の財政が逼迫していたこともあり、宗春の政策を一掃して吉宗の享保の改革に則っとる政策で財政を再建させました。もともと低身分の家で育てられた宗勝だったので、お金に苦労した経験もあり倹約には積極的だったようです。カリスマ性のあった宗春に隠れてはいますが、財政を立て直した手腕は大変なものでした。

九代城主 宗陸(むねちか)

宗陸(むねちか)は宗勝の次男です。父が立て直した財政を維持しながらも新田開発などで成功し、役人の不正を正すために藩政を改革したり、または学校を創設したりと様々な面で改革をしました。しかし皮肉にも改革のしすぎで財政が再び赤字になってしまいました。しかし残したものは大きく、宗陸は「中興の名君」と称されています。また宗陸は寛政の改革でも相談役として政策決定に関与しました。

十代城主 斉朝(なりとも)

十一代将軍、徳川家斉(いえなり)の甥っ子、斉朝(なりとも)が宗勝の養子となって十代当主を継いで名古屋城に入ったので、この時点で尾張徳川家の血統は断絶しました。宗勝ほどは優秀でなく、名古屋城の庭園を改造してみたり、新御殿を建ててみたりと浪費を重ね、再び尾張徳川家の財政は逼迫してしまいました。本人は35歳の若さでさっさと隠居してしまいました。

十一代城主 斉温(なりはる)

35歳で隠居した斉朝に変わって養子の斉温(なりはる)が十一代当主になりますが、幼かったこともあって21歳でなくなるまで尾張藩に足を踏み入れることはありませんでした。唯一名古屋城に居城しなかった城主です。城主でありながら一度も名古屋城に住まなかったことが大いに家臣たちの士気を下げました。ちなみに部類の鳩好きであったと伝えられています。

十二代城主 斉荘(なりたか)

先代の斉温は病弱で子供がいなかったので、藩内で後継争いになりましたが、斉温の異母兄弟の斉荘(なりたか)が家督を継ぐことになりました。しかし斉荘は財政が厳しいにもかかわらず、藩政にはあまり積極的でわありませんでした。それどころか裏千家の茶の湯にかまけ、倹約令も無視して遊びに夢中でした。

十三代城主 慶臧(よしつぐ)

斉荘の娘と婚約し、田川徳川家から養子になって十三代当主になったのが慶臧(よしつぐ)です。将軍家の周りから四代も続けて養子をとったので、そもそもの城主、初代義直(よしなお)の血統が全く無視されているとして家臣たちは不満が募っていました。
しかしこの十三代城主の慶臧は10歳で家督を継ぎ、14歳で天然痘のため亡くなってしまいました。

十四代城主 慶勝(よしかつ)

慶臧の死後、尾張徳川家から当主を出したい家臣と将軍家の周りから養子をとって将軍家との結びつきを維持しておきたい重臣の間で激しい対立が起こりました。そこで十四代当主に迎えられたのが尾張藩の支藩である高須藩から養子にとった慶勝(よしかつ)です。家臣たちの願いが叶う結果でした。
慶勝(よしかつ)は御三家の一つ、水戸徳川家の血も引いていることもあり、尾張徳川の家祖、義直が主張した尊王攘夷の意思を継ぐ城主でした。このとき時代は明治維新の頃なので十四代城主、慶勝は幕末の尾張藩主です。のちに安政の大獄によって隠居謹慎させられてしまいます。

十五代城主 茂徳(もちなが)

次に家督を継いだのが慶勝の弟、茂徳(もちなが)です。慶勝、茂徳(もちなが)の兄弟たちは大変優秀な人ばかりで皆名家に入り家督を継ぎました。
安政の大獄で隠居させられた兄の慶勝が、桜田門外の変で井伊直弼の暗殺により復帰できる見通しがついたため、兄の息子の義宣(よしのり)に家督を譲ります。のちに徳川慶喜に代わって一橋家の当主を継いだことからも優秀な人物だったことがわかります。

十六代城主 義宣(よしのり)

義宣(よしのり)はまだ6歳だったので、実際の藩政は父であり、隠居から政治に復活した十四代城主の慶勝が行なっていました。義宣自身は藩政に携わらないまま18歳で早世してしまいます。

十七代城主 慶勝(よしかつ)

息子の義宣の死後は再び十四代城主の慶勝(よしかつ)が城主になります。
明治維新の1870年、明治3年に慶勝は名古屋城を壊し、金のシャチホコを武士が帰農する際の手当にしてはと新政府に申し出ます。しかし名古屋城は姫路城とともにそのまま保存されることが決まり、主なきまま今日も姿を留めています。

ついに将軍が出なかった尾張徳川家

立派な城主がいながらも将軍が一人も出なかったことでも知られる尾張徳川家。少々お堅い家風は戦国の後継争いにはいささか真面目すぎたのではとも言われています。
名古屋城を観光される時、ご紹介した歴々の名古屋城城主に思いを馳せてみるのも面白いのではと思います。

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