真田幸村と武田信玄の関係性について、真実を知ろう!

真田幸村と武田信玄は師弟関係のような形にするゲームや漫画、そしてアニメといったものがありますが、実は実態は違うものなのです。そこで、今回は真田幸村と武田信玄の関係性について解説します。

目次

  1. 真田幸村と武田信玄は部下ではない?
  2. 真田幸村と武田信玄の年代は?
  3. 武田信玄の弟子は真田昌幸
  4. 真田幸村は武田信玄の教えを知る
  5. 真田幸村と武田信玄について まとめ
  6. 終活の専門家に相談してみよう

真田幸村と武田信玄は部下ではない?

風林火山

戦国時代の人気に火をつける要因には色々とあります。それは、個人的に調べてみると面白くなってしまってはまったという人もいるでしょうし、映画やドラマがあまりにも面白いから好きになってしまったという人もいるでしょう。それ以外にも大きな影響力があるのがアニメや漫画、そしてゲームといったカテゴリーです。

アニメや漫画やゲームといったものは様々な登場人物を魅力的なキャラクターに仕立て上げるので、そこからその登場人物のことが大好きになってしまってそのモデルとなったキャラクターを調べつくすという人もいるでしょう。その時、知らなかった真実を知ってしまうかもしれません。

真田幸村と武田信玄の年代は?

まず、武田信玄は1521年12月1日に産まれて、1573年5月13日に没したと言われております。この時代の有名な方々は50歳前後で没しているので、武田信玄もその例にもれずに長生きできなかったのです。

一方真田幸村は仙台真田系譜によると1570年3月8日生まれで、1615年6月3日に没したとあります。この時点でものすごい矛盾に気が付きます。つまり、武田信玄が死ぬ1573年だったとしても真田幸村はまだ3歳なのでぎりぎり記憶に残っているかどうかというレベルではないでしょうか。

このことからも分かるように、師弟関係とか部下といった関係であったというのは完全に架空の話であり、年代が思いっきりずれ込んでいるのです。生まれた年代が50年も違うので、戦国時代では師弟関係を築ける人は稀でしょう。

真田幸村は人質として武田家に送られてはいましたが、師弟関係とか武田家の家臣といった状態ではなかったのです、さらに言ってしまえばその後の頭首である武田勝頼も1582年に自害していて武田家は滅亡します。つまり、真田幸村は元服した状態で武田家のために武働きをすることができなかったということです。

武田信玄の弟子は真田昌幸

武田信玄にとっても師弟関係とか優秀な部下という扱いをしていたのは真田幸村の父親である真田昌幸です。もともと、真田幸村のおじいちゃんにあたる真田幸隆が息子を甲府に人質にするなら上田市の土地を与えるという約束があって、武田信玄はその約束通り真田昌幸を人質として預かるようになります。

この真田昌幸1547年生まれで、1611年7月13日没している人間ですが、この人は真田幸村並みにすごい功績を残し、父の幸隆も兄の信綱や昌輝と非常に優秀な人間でした。そのため、武田二十四神将に真田家一家4人が入っており、武田家の筆頭という扱いを受けていたのです。

この真田昌幸は武田臣下の部下という扱いでしたが、人質に送られてすぐに身辺の世話をする奥近習衆に取り立てられました。この取り立てられた経緯は色々ありますが10歳にも満たなかったころから甲州法度之次第を理解し感想を聞かせて武田信玄をびっくりさせたというのが有力なようです。

つまり、この真田昌幸は小さいころから武田信玄の教えを一身に受けた存在になるということです。ゲームや漫画のように武田信玄と真田幸村が師弟関係のようにふるまっているところがありますが、本当のところはその位置にいるのは父である真田昌幸ということになります。

真田幸村は武田信玄の教えを知る

武田信玄の教えをずっと受けてきた真田昌幸はすさまじい軍略を後に発揮します。その最たるものが「上田合戦」です。いきさつを細かく書くと長くなってしまいますのである程度は割愛しますので、ざっくりと記載します。織田信長によって武田家が滅亡すると真田家は降伏して、織田氏の家臣である滝川一益の与力武将となってしまいます。この時、真田幸村は人質として滝川一益に差し出されています。また人質生活が続く真田幸村君です。

しかし、本能寺の変が起きると事態は急激に動き始めます。織田家と友好関係だった北条家が織田信長公が死んだことを手切れとして北条氏直が兵を率いて織田家の軍団を撃退し始めます。この結果織田領であった信濃と甲斐と上野後が空白状態になってしまうのです。その時のごたごたで、真田昌幸は沼田領を手に入れます。その返却を徳川から求められても拒否することになって、徳川家と真田家の戦が始まります。

徳川家康側の兵力は圧倒的で7000はいたとされていますが、真田家は2000で守り切りむしろ撃退に成功してしまい、徳川方にダメージを与えてしまうのです。他にも北条家からの攻撃もあったようですが全部撃退したと言われております。

真田幸村と武田信玄について まとめ

人々

真田幸村と武田信玄は直接的にはつながっていませんが、その父である真田昌幸は武田信玄の教え子といっても良い人間となっております。その武田信玄の教えを受けている真田昌幸から様々な軍略を学んだ真田幸村は武田信玄の戦い方をしっかりと理解していたのではないでしょうか。

徳川家康は、三方ヶ原の戦いにおいても武田信玄にボロボロにされ、その教えを受け継いでいる真田幸村の父親である真田昌幸にもボロボロに負け、真田幸村にもぎりぎりのところにまで追い込まれています。このように考えると、真田家は徳川家キラーなのかもしれません。

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