ブッダが生涯求めたもの

釈迦の生誕時のエピソードは、だれでも知っているかなり有名なお話が残っています。
一国の王子として生まれ、全てが揃っている環境を捨て何を求めて生涯を掛けたのでしょうか。
何を悟り何を私たちに、教えようとしたのでしょうか少したどってまとめてみました。
ブッダの生きた時代
当時のインドでは、今以上にカースト制度が厳しく生きる事が生きていくことが苦しいと人々が思っていたと文献は伝えています。
ブッダの出家と釈迦一族
何を求めて出家する事を決めたのか、お言葉としては善を求めて出家したと語っています。
善という言い方は、あまりにも抽象的な言い方ではないかと思います。
老人と出会い、病人、死者と出会い人として悩み修行僧に会い感銘を受けたことから出家した。
自身のあまりにも恵まれた環境と、二度と生まれ変わって来たくないと思うくらい苦しい生活をしている民との生活環境の差が根底にあるのではないでしょうか。
弟子の中には、釈迦族から実子や従兄弟達が帰依し教えに従っています。
ブッダの教え
人が成仏するためには、三十七の修行方法が有ると大般若経などの経典では説いています。
それは一言で云えばとても簡単で、実践するにはとても難解な修行方法です。
日本では、弘法大師空海が、密かに自分だけ行ったと記載されている文献が有るそうです。
縁起思想
縁起思想とは、因が有って縁が生じ結果がでる因果応報と言う言葉に象徴されていると思います。
この世の全ての事に偶然は無く、全て必然であると言うこと全ての物事は縁で繋がっていると言う思想です。
例えば、水を因と考えると氷ると言う縁を得てはじめて氷になりまた火と言う縁がなければお湯にはなれないのです。ブッダの教えの中では、一番分りやすく納得できる教えではないでしょうか。
釈迦族の滅亡
ブッダは自分自身の故国が、先祖の作った因縁に由りいずれ滅亡する事を知るのです。
ブッダは三年街道に座り退けたが、入滅すると次の年に攻め滅ぼされました。
今の、インドやネパールにかけて釈迦の故国は有ったと云います。
ブッダであっても、祖国の因縁を切る事は難しく因縁が動けば止める事はできないと言う事です。
現代でも争いは有り、争いが無くなる事は難しいと痛感させられます。
ブッダが得た本当の悟りとは
悟りには大まかに二通りの物が有ると思います。何かに気ずく、と言う悟り日々誰にでも起こりうる事です。他方ブッダが得た究極の悟り、成仏して涅槃に入ると言う最も人が切望しても手に入りにくい事が有ります。
苦行の果てに得た悟り
ブッダは苦行をこのまま行っても、悟は得られないと言うことをこの時悟ったと云います。
本当に悟りを得たのは、この直後だと言われているのです。
生きるための欲
全ての欲と煩悩を捨てると言う事は、人が生きていくうえで必要悪も有ると思いますから無理です。
最低限度生きていく為の欲は、何時の時代でも必要な事ではないでしょうか。
弟子に伝えた教え
ブッダの教えは、言葉を書き留めるのではなく出家の弟子や在家の弟子への口伝のみです。
全ての弟子たちは、一度だけ集まりその後二度と集まる事はありませんでした。
ブッダの死後
ブッダ釈尊が入滅なさり、インド全土に仏教の布教のために散っていた弟子たちが一度だけ集まり釈迦からの教えを纏めた物が今に残っているお経です。
在家の信者と出家の信者
ブッダが入滅してから500年後、上座部(出家者)と下座部(在家者)の信者間で争い事が起こります。出家信者は、ブッダの教えであるお経を在家信者に対して教える事をやめてしまったのです。
在家信者は困り、この争いから独自にお経を作ることになり分裂してしまったのです。
上座部の信者は、何故このような事をおこなったのでしょか?
ブッダの教え、三悪の一つ妬みから組織が衰退し滅んでいく事が現代でも有ります。
ブッダの教えは、弟子であっても実行する事は修行をしても難しいことなのかもしれません。
無と空
当時のインドの民で、文字が読める人間がどのくらいいたのでしょうか。
そんな在家信者にも分りやすく、教えを無と空の二文字に集約させて大般若波羅蜜多経を作ったのです。大般若波羅蜜多経は、無を超えたところに空が有ると説いています。
一般的には、般若心経の短いお経がよく使われています。
まとめとしてブッダが伝えたかった教えとは

ブッダが伝えたかった教え、仏教とは「仏になる方法を教えること」これに尽きるのではないでしょうか。
悟りを得て涅槃に入ると言う事でしょうか?しかし、誰でもいける所ではありません。
ブッダ自身も、針の穴をゾウが通るよりも難しいとおっしゃっているくらいですから。
しかし、ブッダの教えの一つ縁起がいいとか悪いとか、縁起思想この言葉は意外なほど日本人の中に根付いているのではないでしょうか。