日本文化の原点はこの時代にあった!室町時代の文化をご紹介します。

金閣寺、銀閣寺に代表される室町建築。茶の湯や水墨画、芸能といった現代にも通じる多くの日本文化が生まれ、広がったとされる室町時代。この室町時代の文化の成り立ちや特徴をご紹介します。

目次

  1. 室町時代の文化「室町文化」とは?
  2. 室町文化の特徴
  3. 室町時代の建築
  4. 室町時代の芸術
  5. 室町時代の芸能・文学
  6. まとめ

室町時代の文化「室町文化」とは?

湖

室町時代には、武家文化と公家文化、大陸文化と伝統文化が交じり合い、中央文化と地方文化の融合も進み、それが洗練され、調和していく中から、しだいに独自の文化「室町文化」が生まれました。今日、日本の伝統文化の代表とされる能・狂言・茶の湯・生け花などの多くは、この時代に生まれ、中央・地方を問わず、武家・公家・庶民の別なく愛され、洗練されながら、その基盤を確立していきました。

室町文化の特徴

室町文化には、三代将軍義満の頃(14世紀末)の「北山文化」と八代将軍義政の頃(15世紀後半)の「東山文化」という特徴的な二大文化が栄えました。

義満の時代に生まれた「北山文化」

鎌倉時代末期に芽生え、室町時代に開花した文化を、義満が京都北山に造った別荘にちなんで「北山文化」と呼ばれます。
南北朝の動乱を経て、禅宗の影響を強く受けた新興勢力の武家文化が、それまで伝統的であった公家文化の融合と、交易によってもたらされた大陸文化が影響し新たな特色ある文化を生み出しました。

華やかな北山文化の源には、南北朝の動乱期にかけて、流行した「ばさら」という風俗がありました。ばさらとは、唐物で身体を飾り、人目をひく行動をなすことですが、大名の間で流行しており、このような大名たちによって、北山文化は確立していきました。北山文化で開花した室町時代の文化は、その芸術性が生活文化のなかにとり込まれ、新しい独自の文化として根づいていきました。

わび、さびの境地の「東山文化」

足利義政は応仁の乱後、京都の東山に山荘を造り、そこに観音殿を建てました。この観音殿が銀閣(慈照寺銀閣)です。この時期(15~16世紀前半)の文化は、東山山荘に象徴されるところから東山文化と呼ばれます。

禅の精神にもとづく簡素さ、枯淡の味わいと伝統文化における風雅、幽玄、侘(わび)を精神的基調とする東山文化として庶民にも浸透していきました。

つつましいながらも深みのある、生活に根ざした文化であり、床の間に飾る掛け物や生け花、茶の習慣、畳座敷でくつろぐ生活などがこの時代に始まりました。東山文化は現在の我々にとって、身近な文化と言えるでしょう。

民衆と地方への広がり

応仁の乱により京都の戦火を逃れた公家たちが地方の戦国大名を頼り、続々と地方に下りました。地方の武士たちも中央の文化への強い憧れから、積極的にこれを迎えました。このため、地方でその文化を広がり、民衆にも親しまれ、独自の文化も生まれるようになっていきました。

鎌倉時代におこった新しい仏教は、宗派ごとに教団が出来、地方や庶民の間に広まっていきました。浄土真宗は、北陸・東海・近畿地方の武士や農民の間に広まり、禅宗のうち、臨済宗は幕府の保護を受け、京都や鎌倉で栄え、それ以外の曹洞宗などは、都市部の商人や地方の武士、農民に広がりました。

室町時代は現代に通じる生活様式が生まれた時代でもあります。公家の年中行事が武士や民衆にも広まり、節句や盆踊り、村祭りなどが行われるようになりました。1日3回の食事や麺食も広まっていきました。

室町時代の建築

建築おいては、禅宗の寺院建築や庭園造りが盛んに行われた時代でした。義満が北山に建造した鹿苑寺金閣は寝殿造と禅宗仏殿を融合させたもので、北山文化を代表する建築です。義政の建てた慈照寺銀閣は禅宗仏殿に書院造を合わせた建築であり、この時代の特徴と言えます。また慈照寺内の東求堂同仁斎は四畳半の座敷で、初期書院造といわれ、今日の和風建築の基礎と言われています。

鹿苑寺金閣(ろくおんじきんかく)

金閣寺

正式名称を鹿苑寺といい、銀閣寺ともに相国寺の塔頭寺院です。舎利殿「金閣」の建物全面金箔張りあることから一般的に金閣寺と呼ばれています。
元は鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を足利義満が譲り受け、1397年、山荘北山殿を造りました。
義満の死後、遺言によりお寺となり、夢窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿から二字をとって鹿苑寺と名づけられました。

金閣寺は、木造3階建ての楼閣建築で第1層には阿弥陀三尊像がおかれ、平安時代の貴族の寝殿造となっています。第2層は観音像がおかれ、武士の武家造になっています。第3層は、仏堂になっています。

金閣を中心とした庭園、建築は、極楽浄土を表した言われ、伝統的な寝殿造風と禅宗寺院における禅宗様の建築様式を併せ持ったものであり、時代の特徴をよく表しています。舎利殿は室町時代前期の北山文化を代表する建築でしたが、1950年に放火により焼失し、1955年に再建されました。1994年にユネスコの世界遺産(文化遺産)「古都京都の文化財」の構成資産に登録されています。

慈照寺銀閣寺(じしょうじぎんかくじ)

銀閣寺は、足利義政が、1482年に京都の東山に建て始め、1489年に完成した山荘です。義満が金閣寺で政治を行ったのに対して、銀閣寺は、義政が政治と縁を切るための住居であったと言われています。

室町時代中期1467年に始まった応仁の乱は11年続き、京都の経済は疲弊し、将軍の権威は失墜し、この銀閣寺の建設に費用を出す守護大名はほとんどいなかったと言われています。また、屋根などにはる銀箔の費用が無かったため、手に入れることができなかったと言われています。しかし、もともと、銀箔をはる計画はなかったとされる説もあります。

銀閣寺は観音殿とよばれ、初層は書院造の心空殿(しんくうでん)と称し住宅風の造りになっています。上層は観音像がおかれ禅宗様の潮音閣(ちょうおんかく)に作られ、書院造と禅宗様の建築様式を併せ持ち、静かな雰囲気を漂わせています。同じ敷地内にある東求堂の同仁斎という部屋も書院書院造の源流といえるものです。

書院造

武士の屋敷のつくりを、書院造(しょいんづくり)といいます。畳、襖、障子、付書院(つけしょいん)、床の間(とこのま)、ちがい棚があります。

書院造は、その後の和風住宅のもととなった様式です。それまでの部屋は板の間でした。畳があっても、部屋の一部に敷かれているだけのものでした。しかし、書院造では、床全面に畳を敷き詰め、各部屋は襖で間仕切られるようになりました。付書院という机があり、その前には明かり取りの障子があります。

枯山水(かれさんすい)

枯山水とは日本庭園や日本画の様式のひとつです。
庭づくりは奈良時代から貴族の間に行われことに平安時代に寝殿造が行ってから盛んになりました。

室町時代以降には枯山水は禅宗の思想と結びつき、禅寺などで多く作られていきました。
枯山水は水のない庭のことで、池や遣水などの水を用いずに石や砂などにより山水の風景を表現する庭園様式を言います。白砂や小石を敷いて水面に見立てることが多く、橋が架かっていればその下は水で、石の表面の紋様で水の流れを表現することもあります。枯山水様式の登場後は必ずしも水を使わなくとも造園が可能になりました。

室町時代の芸術

茶の湯の始まり

鎌倉時代に栄西が宋からもたらした茶が日本でも栽培されるようになり、禅宗の僧や武士、堺の商人たちの間で「侘び茶」として広まっていきました。室町時代の八代将軍義政の頃に、禅の精神を取り入れた「書院の茶」と呼ばれる茶会が開かれるようになりました。ただ、これは豪華な道具を使い、芸術品を鑑賞しながら茶を飲むという貴族的なものでした。

一方で、作法も簡単で、茶を味わい、書画を心静かに鑑賞しながら主人と客人が和みあう「侘び茶」の精神をもつ茶会も始められた。茶室の飾りや道具を最小限にしました。この侘び茶が室町時代末頃になり、公家や武家、大商人の間に広まりました。

生け花

生け花の始まりは室町時代頃と言われています。それまでは、仏前に花を供える「供花」の習慣がありました。茶の湯の流行とともに、唐物陶器の輸入と呼ばれる中国の器物が多く日本にもたらされ、それらを飾るための書院造りが成立します。その床の間に飾っていたのが「立花(たてばな)」が生け花のもととなりました。投げ入れの技法を用いる生け花が主流となりました。

同朋衆の立阿弥(りつあみ)や京都頂法寺(ちょうほうじ)の池坊専慶(いけのぼうせんけい)が立花の名手として知られています。

水墨画

水墨画は、墨の濃淡やぼかしを生かし、風景などを描く、東洋独特の画法です。
この画法は中国の宋などで発達し、日本へは禅宗とともに鎌倉時代に伝わりました。はじめは禅僧たちが描いていましたが、貴族や武士に喜ばれるようになると、水墨画を専門に描く画僧も現れるようになりました。

水墨画の先駆けは、明兆(みんちょう)、如拙(じょせつ)、周分(しゅうぶん)の3人で、将軍おかかえの画僧でした。そして、水墨画(すいぼくが)の最盛期にあらわれたのが、雪舟(せっしゅう)でした。中国の明に渡り、帰国してからは守護大名の保護のもと、水墨画を描き続けました。

室町時代の芸能・文学

能楽(のうがく)の流行

芸能の分野では、能楽が流行しました。平安時代から村や寺社などで祭礼に奉仕する猿楽能に農民の間で行われてい田楽を取り入れ、足利義満の保護を受けた観阿弥・世阿弥(かんあみ・ぜあみ)の親子によって、能楽として大成されました。

また、能の合間には喜劇の狂言が演じられるようになりました。大名や僧を笑い飛ばすものが多く、武士や庶民に人気がありました。

軍記物・歴史書

南北朝の内乱を南朝・北朝双方の立場から描いた軍記物や歴史書が生まれました。『太平記』は戦乱の社会に生きる人々を描いた軍記物の代表的作品です。内乱を武家の立場から記述した『梅松論』や、今川了俊による『難太平記』書かれました。歴史書としては後醍醐天皇に仕えた北畠親房が南朝の正統性と皇位継承の在り方を『神皇正統記』や『増鏡』もつくられた。

連歌(れんが)

公家の勢力が衰えると、和歌にかわって、連歌が流行し始めました。鎌倉時代頃から、公家らの余技として、和歌の上の句と下の句を数人で交互に詠み連ねる連歌が生まれました。室町時代になって、連歌は地方にも広まり、連歌会が盛んに行われるようになりました。専門的に連歌をつくる連歌師も現れ、地方を旅して連歌を広めていきました。

お伽草子(おとぎそうし)

室町時代は、戦中の様子を書いた軍記物や歴史書が多くつくられましたが、庶民を主人公にした優しい絵入りの物語「お伽草子」が生まれ、広く大衆に親しまれるようになりました。
この時代に生まれた「一寸法師」や「浦島太郎」、「桃太郎」などが現在も愛されています。

まとめ

いかがでしたか?建築や芸術、生活様式など、現代の私たちの原点であった室町時代。長年育まれてきた日本特有の文化を知ることができたのではないでしょうか。これからも、守り伝えていきたい日本の文化です。

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