上杉謙信の謎多き家臣団、軍神を支えたもの

上杉謙信という戦国武将は有名ですが、その家臣の詳細は謎めいています。そんな家臣について紹介していきたいと思います。軍神、上杉謙信を支えた家臣たちはどのような人物だったのでしょうか。

目次

  1. 軍神、上杉謙信
  2. 頭脳派家臣、直江景綱
  3. 義の家臣、甘粕景持
  4. 絶対的家臣、柿崎景家
  5. 上杉謙信を支えた暗号
  6. 似てるのは誰?
  7. 上杉謙信の隠された苦悩

軍神、上杉謙信

戦国武将トップクラスの個性派です。
いきなり一人旅に出たり、いきなり敵陣に突っこんだりします。
誰も想像しない突拍子のない行動をとります。

独特の価値観を持ち、謙信特有の美学があります。
それも全て、毘沙門天を熱心に信仰していたが故です。
どちらかというと、武将というよりも僧侶としての特徴が濃い稀な武将です。

絶対的な力で戦には負けません。
軍神という異名はだてではなく、戦いのセンスは天才的でした。
あの戦国きっての異端児、織田信長が恐れた武将でした。

ものすごく強くてものすごく酒のみです。
それだけを聞くと、男まさりなイメージですが、歌を詠んだり恋愛物語を読んだりと文化人な一面もありました。
謙信の詠んだ歌はそれはそれは見事な作品だったそうです。

そんな個性派武将、上杉謙信ですが、彼の家臣はどのようなメンバーだったのでしょうか。

頭脳派家臣、直江景綱

主に内政、外交を担当していました。
謙信が一番信頼していたひとりで、終生側近として勤めました。

謙信が出家騒動でごたごたしているときも、景綱は政務を任されていました。
相当有能な家臣だったことがわかります。

戦においても、川中島の合戦では「小荷駄奉行」として出陣します。
これは、兵糧や弾薬、陣地設営、道具などを運ぶ役割です。
なんだか地味ですが、とても重要なポジションです。
兵糧を運んでいるので、当然狙われやすいです。
そして、兵糧の損失は軍全体の大ダメージにつながります。
そのため、それなりの戦闘力が求められます。
ただの凄腕政務担当ではありません。
実際、武田義信(信玄の息子)の軍を敗走させています。

「愛」のルーツはここにあった!

この直江景綱ですが、息子がいなく婿養子である信綱が後を継ぎました。
しかし、1581年に毛利秀広により殺害されます。
その後、上杉景勝の命で樋口兼続が信綱の妻を娶り、直江家を継ぐことになりました。

あの「愛」の兜で有名な直江兼続の誕生です。
景綱失くしては、直江兼続という人物は生まれず「愛」の兜も生まれなかったのではないでしょうか。

義の家臣、甘粕景持

景持は謙信に似ていて、義に篤い人だったように思われます。
謙信と伊勢姫との恋愛(実証はされていません)にも、家臣のなかで唯一、謙信の味方になったのがこの景持です。
「想い合っている男女の間に家同士のいさかいは関係ない」と言いました。
当時の武家社会では当たり前のことでしたが、そんな社会とは無縁だった景持だからこそ言えた言葉です。
さらに、謙信と引き離され、強制送還された伊勢姫を迎えに行こうとまでしていました。
自分を家臣に入れてくれた謙信のために、なんとかして伊勢姫との恋を成就させたいと思っていたのかもしれません。

そんな景持は、川中島の合戦でも義の心を見せます。
川中島の合戦では、武田軍の別働隊を迎撃します。
しかし、武田別働隊1万2千、対する甘粕隊は千。
あっけなく撃破されてしまいます。
しかし景持はここで終わりません。

上杉軍が撤退するときに殿軍を任されます。
このときの景持の動きは軍神さながらでした。
信玄も、殿軍に謙信がいると間違えたほどでした。

そんな活躍を見せた景持は、すぐに撤退せず戦場近辺に留まります。
逃げ遅れた兵が追いついてくるまで可能な限り待ち続けたそうです。
情が深く、義に篤い武将です。

謙信亡き後も、景勝に仕えました。
会津、米沢と二度の国替えにもついて行き忠義を尽くしました。
景持亡き後、子孫の代にいたるまで上杉家に仕え続けました。

スカウト?!

甘粕景持という人物には面白いエピソードがあります。
なんとこの方、謙信にスカウトされて家臣になったそうです。
なんともウソくさいです。

景持は、甲斐と信濃の国境にある山の中で暮らしていたそうです。
そこでスカウトされたらしいですが、普通に考えてあり得ません。
あの上杉謙信が他国の山の中に理由なく現れることが奇妙ですよね。
ますますウソくさいです。

ですが、このあり得ない話をあり得るかもしれないと思わせるのが、上杉謙信という人なのです。

いきなり一人旅に行ったり、いきなり敵陣に突っこんだり、思いがけない行動を取ることが多かった謙信です。
そんな謙信がいきなり他国の山の中に現れてもおかしくないのです。

そんなわけで、景持の生い立ちや家臣になった詳しい内容は不明のままです。

絶対的家臣、柿崎景家

上杉家家臣のなかでも、最強だったのが柿崎景家です。
先陣を切って突撃、勇猛果敢な切り込み隊長です。
名前を聞いただけで逃げ出す敵もいました。
謙信だけでも恐ろしく強いのに、更にこんな切り込み隊長までいたら、もはや手におえないような気さえします。

そんな景家は、ものすごく真っ直ぐです。
景家にとっては主家は絶対的存在だったようです。

1545年、黒田秀忠が反乱を起こします。
秀忠の娘が妻だった景家は、その妻と離縁します。
おしどり夫婦だったようですが、妻よりも主家への思いを優先させました。

1569年に北条氏と結んだ同盟のときにも、息子を人質として北条側へ差し出しています。
ここでも、家族よりも主家への思いを優先させていました。

そして景家といえば、1561年に起きた川中島の合戦での勇猛さです。
景家は武田信繁めがけて猛攻撃を開始します。
とてつもない猛攻で、武田軍全体に大きく影響するほどでした。
そして山本勘助を討ち取る手柄をあげました。

そんな景家ですが、ただ強いだけではありません。
なんとこの方、重要な外交を任されたりと、国政にも関わっていました。

1542年に伊達家との養子縁組の交渉役を務めたり、上記でも紹介した北条氏との同盟においても、上杉側の代表を務めています。

戦も出来て外交も出来る、謙信にとってこれほど頼れる存在はいなかったのではないでしょうか。
事実、北条氏との同盟における人質は、景家本人を要求されていました。
それほどまでに景家の存在は大きかったということになります。

詳細不明?!

上杉家にとっても謙信にとっても、大きな存在の景家ですが、没年や晩年の記録が残っていません。
1574年を境に記録から消えています。
この間に死去したとされていますが、詳細はわかっていません。

一説には、織田信長との内通を疑われ、謙信に誅殺されたとされています。
ですが、信ぴょう性がありません。

これほど多くの功績をあげ、数々の戦を勝ち取り、上杉家への忠義を貫いた景家だけに、最期が不明というのはとても残念でなりません。

上杉謙信を支えた暗号

上記では、上杉謙信を支えた家臣団の代表格を紹介しました。
続いては「暗号」です。

上杉家で使われていた「上杉暗号」と呼ばれる暗号があります。
少しマイナーですが、この暗号は上杉家家臣である、宇佐美定満が書いた「武経要略」という本で「字変四十八」として紹介されています。

いろは48文字を7×7のマス目において、ひとつの文字を行と列の数字で表すというものです。
聞くだけでなんだかややこしいですが、これに和歌を絡め更にややこしくしてセキュリティ強化をしていたそうです。

しかし、一説には江戸時代以降に作られたとされています。

似てるのは誰?

謙信と共通点の多い武将がいることをご存じですか?
とても意外な武将です。

①コレと思ったものに対して、ストイックすぎるぐらいに真っ直ぐ突き進んでいました。
②理想に対して、とっても誠実に向き合ていました。
③自分の信念に一切の迷いがありません。
④宗教勢力が武力や財力をもつことをきらっていました。

いくつか紹介しましたが、誰と共通するかわかりましたか?
実は、織田信長なんです。

方向性は違いますが、信長は武力をもって天下統一を目標にしていました。
その目標に向かい、苛烈なまでの勢いで勢力拡大していきました。
謙信はというと、天皇や将軍に筋をとおすことに重きをおき、そこから一切ブレることはありませんでした。

二人は敵対関係でしたが、同盟を結んでいた期間もあり、その期間は一番長かったとされています。
もしかしたら、親友のような関係になっていたかもしれないですね。

しかし、一方は戦国一の個性派である謙信、もう一方は戦国一の異端児である信長というのはなんとも面白いです。

上杉謙信の隠された苦悩

最初に少し触れましたが、上杉謙信という人は、武将としてよりも僧侶としての特徴のほうが強い珍しい武将です。
自信を毘沙門天の化身と言い、熱心に信仰していました。
兄の晴景が家督を継ぎ、謙信はお寺で育ったので、このまま自分は仏門に生きると考えていたのかもしれません。

しかし、家督を継いだのは兄ではなく謙信でした。
やはり天性のカリスマ性は謙信にはあったのでしょう。

けれど「武将としての自分」と「仏門に生きる自分」との間で葛藤があったのかもしれません。
そんな葛藤が爆発して、あの出家騒動が起こったのです。

家臣たちからの説得で出家にはいたりませんでしたが、頼まれると断れない、頼られるとほっとけない、そんな性格だったのでしょう。

上杉謙信は、軍神などという異名もあってか、どこか人間味のかんじない人というイメージがある方もいると思います。
しかし、知れば知るほど人間味あふれるひとだとわかります。
いい意味での人間くささが、上杉謙信というひとの魅力の一部なのかもしれません。

史実では語られていないことを、想像し考察してみるのもまた歴史を楽しむ秘訣です。
もう一度、上杉謙信という戦国の世を生きた一人のひとに思いを馳せてみませんか?

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