源義経に献身的に仕えた弁慶!~二人の出会いから最後まで~

弁慶は京都の五条大橋で源義経と出会い、最後まで仕えたとされていますが、歴史書には弁慶に関わる記載がほとんどありません。そのため、弁慶は実在しないのでは?とも言われていますが、創作の物語で弁慶は大活躍しています。源義経と弁慶の出会いから最後までを紹介しましょう。

目次

  1. 源義経とは
  2. 弁慶とは
  3. 源義経と弁慶の出会いと関係性
  4. 源平合戦での英雄が一転逃亡者に!?
  5. 源義経と弁慶二人の最後は?
  6. まとめ

源義経とは

源義経は平安時代末期の武将で、鎌倉幕府を開いた源頼朝の異母弟です。河内源氏の源義朝の九男として生まれ、幼名を牛若丸(うしわかまる)と呼ばれました。
平治の乱で、父が敗死したことにより鞍馬寺に預けられますが、後に平泉へ下り奥州藤原氏の当主・藤原秀衡の庇護を受けます。
その後源平合戦では英雄となりますが、それが一転逃亡者になるなど、その最期は世上多くの人の同情を引き、判官贔屓という言葉・多くの伝説・物語を生みました。

弁慶とは

武蔵坊弁慶は、平安時代末期の僧衆で、源義経の郎党です。京都の五条大橋で義経と出会って以来、彼に最後まで仕えたとされています。
講談などでは、義経に仕える怪力無双の荒法師として名高く、『義経記』では熊野別当の子で、紀伊国出身だと言われていますが詳細は不明です。
元は比叡山の僧で、武術を好み義経に仕えたと言われていますが、『平家物語』では義経郎党として名があるのみで、その生涯についてはほとんど判りません。一時期は、実在すら疑われたこともあります。
しかし、『義経記』を初めとした創作の世界では大活躍をしており、義経と並んで主役格の人気があります。

源義経と弁慶の出会いと関係性

源義経と弁慶の、出会いにまつわる逸話・唱歌・童話を紹介します。

出会いにまつわる逸話

弁慶は比叡山の僧でしたが、乱暴な性格が災いし山を追い出されてしまいました。
京都にやってきた弁慶は、道行く者を襲って千本の太刀を集めようと思い立ちます。ついに999本まで太刀を集め後1本というところで、五条大橋で笛を吹きながら歩く源義経と出会います。
源義経は、見事な太刀を持っていました。弁慶は「楽勝だ」と高をくくって挑みますが、源義経は橋の欄干を飛び回り、とても身軽で捕えることができません。
義経は弁慶に馬乗りになり、弁慶に「家来になるか?」と聞きます。子供だと思っていた義経に返り討ちに遭い、弁慶は降参して家来になることを誓うのです。

唱歌『牛若丸』

京の五条の橋の上 大のおとこの弁慶は 長い薙刀ふりあげて 牛若めがけて切りかかる
牛若丸は飛び退いて 持った扇を投げつけて 来い来い来いと欄干の 上へあがって手を叩く
前やうしろや右左 ここと思えば またあちら 燕のような早業に 鬼の弁慶あやまった

童話

日本の昔話に『うしわかまる』という物語があります。幼い頃、絵本で見た記憶がある人もいるかもしれません。
稚児水干をまとい笛を吹きながら橋を渡る少年、そしてそれを狙う破戒僧姿の大男。
このお話は、後の源義経となる牛若丸と、その最期の時まで義経に仕えたという武蔵坊弁慶との、ドラマチックな出会いの場面を描いたものです。

源平合戦での英雄が一転逃亡者に!?

弁慶は、源義経の忠実な家来として源平合戦で活躍します。
源義経は兄・源頼朝からその存在を恐れられるようになり、義経討伐の命令を出されてしまいます。
そこで源義経は、弁慶などの数名の家来と共に、縁のある奥州へと逃げるのです。
有名な歌舞伎の演目『勧進帳』では、この様子が描かれています。

源平合戦参戦から逃亡者になるまで

兄・頼朝が平氏打倒の兵を挙げると、それに馳せ参じ一ノ谷・屋島・壇ノ浦の合戦を経て平氏を滅ぼし、最大の功労者となりました。
その後、頼朝の許可を得ることなく官位を受けたことや、平氏との戦いにおける独断専行により怒りを買い、このことに対し自立の動きを見せたため、頼朝と対立し朝敵とされました。
全国に捕縛の命が伝わると、難を逃れ再び藤原秀衡を頼りました。
しかし秀衡の死後、頼朝の追及を受けた当主・藤原泰衡に攻められ衣川館で自刃し果てました。

『勧進帳』

源義経たちは北陸から奥州へ逃げるため、加賀国の安宅の関にやってきました。
この関所を、一行は山伏の姿で通り抜けようとしますが、関所を守る役人の元には、既に義経たちが山伏姿で逃亡中であるという情報が届いていました。
そこで役人は「山伏は通行できない」と言い渡します。憤慨した弁慶が「焼失した東大寺再建のための勧進を行っている」と言うと、役人は「では、勧進帳を読んでみよ」と命じます。
弁慶は、持っていた何も書かれていない巻物を、勧進帳であるかのようにつらつらと読み上げました。役人はその後も、山伏の心得や秘密の呪文を質問しますが、元々比叡山の僧だった弁慶は難なく答えます。
役人は通行を許可するのですが、荷物持ちに扮していた義経が「怪しい」と疑われます。そこで弁慶は、主君である義経を「お前がいるから、関所を越えることができないではないか!」と思いっきり杖で叩きます。あまりの迫力に気圧され、役人は義経たちが関所を通ることを許しました。
その後弁慶は、義経に無礼を働いたことを涙ながらに詫びますが、義経は弁慶の機転を褒め、感謝します。

源義経と弁慶二人の最後は?

逃亡者となった源義経と弁慶の一行は、最後どうなったのでしょうか。

奥州到着

源義経たちは、無事奥州に到着しました。この頃に奥州を支配したいたのは、奥州藤原氏第三代当主・秀衡でした。
源義経は衣川の館を与えられ、少しの間ですが平穏な日々を過ごすことができました。

藤原秀衡の死後

義経を匿っていた秀衡が、「源義経を大将軍として国を治めるように」と遺言し、病死してしまいます。息子である四代目・泰衡は、父・秀衡の遺言には従わず、源義経の館に攻め込みます。
義経の家来たちは、弁慶を始め武術に秀でた者ばかりでしたが、その数はわずか十名。対して屋敷を襲撃した兵は五百騎でした。

弁慶の最後

弁慶は、多数の敵兵を相手に義経がいるお堂を守って戦いますが、ついには無数の矢を受けて仁王立ちのまま死んだとされています。

源義経の最後

義経は、「もはやこれまで」と最後に法華経を読み、同行していた妻と四歳になる自身の子供を斬った後に、自害しました。

二人の死後

義経の首は、鎌倉に送られた後、神奈川・藤沢の白旗神社付近に埋葬されたと言われています。
胴体は、沼倉判官森に丁寧に葬られたとされており、この判官森の裏手には、弁慶森があります。

まとめ

源義経と弁慶の、出会いからその関係性や最後の時までを知っていただけましたか?
命がけで尽くせるほどの、たった一人に出会いたいものです。

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