法隆寺の建立にまつわるお話~世界最古の木造建築~

法隆寺は聖徳太子ゆかりのお寺です。よく知られたお寺ですが、一体誰がどんな理由で建立したのでしょうか。1300年も倒壊することなく今にある、世界最古の木造建築とはどのようなものでしょうか。法隆寺建立の歴史と建物をご紹介します。

目次

  1. はじめに
  2. 法隆寺が建立された時代とその理由
  3. 法隆寺を建立した人は聖徳太子?
  4. 世界最古の木造建築である法隆寺
  5. 法隆寺建立の歴史

はじめに

柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺  正岡子規

法隆寺という名前をご存知の方は多いと思います。正岡子規の俳句のように、柿が実る秋、梵鐘の音を聞きながら五重塔を眺める、そんなイメージがあります。1300年前に建立され、世界最古の建築物として日本で初めてユネスコ世界文化遺産に登録されました。法隆寺建立の歴史と建築様式をご紹介するとともに、聖徳太子の謎にも触れてみたいと思います。

法隆寺が建立された時代とその理由

推古天皇の時代である601年に厩戸皇子(聖徳太子)がこの地に斑鳩宮という宮殿を作り始めました。斑鳩宮は605年に完成し、同時期に法隆寺を中心とした斑鳩伽藍群が建立されたと推測されています。厩戸皇子の父である用明天皇の病気平癒を願って建立されました。
670年に火災により消失、その後710年あたりには藤原鎌足らによって再建されていたのではないかと言われています。925年、1435年にも火災によって一部焼失しましたが全山を消失するほどのものではありませんでした。豊臣時代、徳川時代、そして昭和と繰り返し修理が行われ、現在に至っています。どの時代においても大切にされ続けてきたお寺ですね。

670年に焼失した斑鳩寺跡 法隆寺南大門の東にあり、若草伽藍といわれています。

法隆寺を建立した人は聖徳太子?

最近、聖徳太子は実在しなかったのでは、と言われていますね。用明天皇の第二子である厩戸皇子は実在し、斑鳩宮を作ったといわれています。この厩戸皇子が法隆寺の建立にかかわったのは間違いなさそうです。しかし「厩戸皇子」の別名といわれる「聖徳太子」という名前がはじめて歴史に登場するのは厩戸皇子没後、100年以上たった日本書記、かなり後ですね。このことから、聖徳太子は日本書紀の編纂にかかわった当時の有力者・藤原不比等らによる創作ではないか、不比等の死後にその権力を維持するために、法隆寺を中心とした聖徳太子信仰が創られたのではないか、と言われています。

世界最古の木造建築である法隆寺

法隆寺の木造建築をいくつかご紹介します。

五重塔

世界最古の木造建築と言われています。1300年以上地震に耐え続けている木造建築、その秘密をご紹介します。
ひとつは、上の屋根にいくに従い大きさが小さくなる「逓減率」が高く設計されていることです。五重目の屋根の一辺は、初重の屋根の約半分です。ふたつめは、「積み上げ構造」という方法で建立されていることです。各階を独立して組み上げ、重ねて造っていきます。木組みを敢えて固定しないため、地震などが起こると敢えて少し揺らいで揺れを吸収するように建立されています。
三つめは、塔の中心にある心柱です。塔の心柱は吊られていて浮いており、これが免震構造となっているといわれていますね。東京スカイツリーの建築にも取り入れられました。この工法が使われるようになったのは300年程度前だそうです。法隆寺の心柱はというと、もともと地中に穴を掘って礎石を置き心柱を建てていたのが、時代とともに腐って隙間ができたのではといわれています。偶然が生んだ免震構造ですね。

金堂

こちらも最古の木造建築と言われる国宝で、五重塔と同時期に建立されました。二重の仏堂で、立派な高欄がありますが、内部に2階はありません。軒を支える龍の支柱は、屋根の下垂を防ぐために室町時代の改修のときに作られたものといわれています。内部には、釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来がご本尊として安置されています。内部の壁画は日本の仏教絵画の代表作とされていましたが、昭和の大修理の最中に火災が起き、壁画の大半は焼失してしまいました。

回廊

金堂と五重塔を囲む回廊がめぐらされており、南正面に中門が開かれています。回廊に囲まれた部分を西院伽藍といいます。この回廊も五重塔や金堂と同時期に建立されました。古代ギリシャの建築様式であるエンタシスの柱が並んでいます。パルティノン神殿の柱と似ていますね。シルクロードを経て中国、日本へと伝わりました。

夢殿

夢殿が建立されたのは739年。焼失した法隆寺を嘆いた高僧行信によって建立された八角形のお堂です。この形のお堂は全国的にそう多くはないのですが、なぜか奈良にはたくさんあります。中国の八方位陰陽説に由来し、故人を供養するお堂の形だそうです。
建立されたのは厩戸皇子没後約100年後、ちょうど聖徳太子という名がはじめて世に出てきた時代です。「夢殿」って、なんだかロマンチックな名前ですね。そう呼ばれるようになったのは平安時代で、聖徳太子の瞑想中に黄金でできた人が現れて、教示を受けたという故事から名付けられたといわれています。

法隆寺建立の歴史

いかがでしたか。1300年という歴史の長さは想像がつきません。明治、江戸、戦国時代、まだまだ遡るんですね。どの時代にも大切にされ、このお寺を残そうと努力が続けられてきました。聖徳太子は架空の人物であったのかもしれませんが、人々の心の支えになってきた事実を法隆寺は証明していると思います。その歴史の重みを感じながら散策するのもいいかもしれませんね。

「法隆寺・建立」に関連する記事

この記事に関するキーワード

ランキング

シェアする

関連する記事

「法隆寺・建立」についてさらに知りたい方へ

【法隆寺地域の仏教建造物】が世界遺産になった理由はこれだ!のサムネイル画像

【法隆寺地域の仏教建造物】が世界遺産になった理由はこれだ!

法隆寺の見所を紹介!あなたの目当ては金堂?夢殿?のサムネイル画像

法隆寺の見所を紹介!あなたの目当ては金堂?夢殿?

法隆寺五重塔のすべてのすべてについて探ってみましょう!のサムネイル画像

法隆寺五重塔のすべてのすべてについて探ってみましょう!

世界遺産・法隆寺。実は国宝の仏像保有数日本一だったのサムネイル画像

世界遺産・法隆寺。実は国宝の仏像保有数日本一だった

聖徳太子建立の7つの寺の伝説と歴史を紹介します!のサムネイル画像

聖徳太子建立の7つの寺の伝説と歴史を紹介します!

奈良の五重塔は興福寺だけじゃない!高さや歴史を比較して紹介のサムネイル画像

奈良の五重塔は興福寺だけじゃない!高さや歴史を比較して紹介

聖徳太子は別名だった?歴史の教科書も変わっていた!のサムネイル画像

聖徳太子は別名だった?歴史の教科書も変わっていた!

聖徳太子のお墓はどこ?お寺までのアクセスや理由も徹底解説!のサムネイル画像

聖徳太子のお墓はどこ?お寺までのアクセスや理由も徹底解説!

【法隆寺地域の仏教建造物】が世界遺産になった理由はこれだ!のサムネイル画像

【法隆寺地域の仏教建造物】が世界遺産になった理由はこれだ!

法隆寺五重塔のすべてのすべてについて探ってみましょう!のサムネイル画像

法隆寺五重塔のすべてのすべてについて探ってみましょう!

人気のキーワードの記事一覧

キーワード記事一覧へのリンクです

ランキング

よく読まれている記事です

神社参拝の正しい作法・仕方とは?参拝に適した時間や服装も紹介!のサムネイル画像

神社参拝の正しい作法・仕方とは?参拝に適した時間や服装も紹介!

1
神社のお賽銭はいくらがいいの?起源や相場・正しい作法まで解説!のサムネイル画像

神社のお賽銭はいくらがいいの?起源や相場・正しい作法まで解説!

2
年賀状はいつまでに出せば元旦に届く?販売期間や投函期間も解説!のサムネイル画像

年賀状はいつまでに出せば元旦に届く?販売期間や投函期間も解説!

3
神社と寺の違いって?それぞれの定義や参拝方法・建物の違いを解説のサムネイル画像

神社と寺の違いって?それぞれの定義や参拝方法・建物の違いを解説

4
年賀状の正しい書き方を知っていますか?立場別に文例をご紹介!のサムネイル画像

年賀状の正しい書き方を知っていますか?立場別に文例をご紹介!

5

関連する記事

「法隆寺・建立」についてさらに知りたい方へ

【法隆寺地域の仏教建造物】が世界遺産になった理由はこれだ!のサムネイル画像

【法隆寺地域の仏教建造物】が世界遺産になった理由はこれだ!

法隆寺の見所を紹介!あなたの目当ては金堂?夢殿?のサムネイル画像

法隆寺の見所を紹介!あなたの目当ては金堂?夢殿?

法隆寺五重塔のすべてのすべてについて探ってみましょう!のサムネイル画像

法隆寺五重塔のすべてのすべてについて探ってみましょう!

世界遺産・法隆寺。実は国宝の仏像保有数日本一だったのサムネイル画像

世界遺産・法隆寺。実は国宝の仏像保有数日本一だった

聖徳太子建立の7つの寺の伝説と歴史を紹介します!のサムネイル画像

聖徳太子建立の7つの寺の伝説と歴史を紹介します!

このページの先頭へ

終活ねっと 〜マガジン〜  Copyright© 株式会社 終活ねっと