中国古代・春秋戦国時代の最強人物達について

春秋戦国時代には様々な魅力ある人物がいました。大政治家の管仲、兵法家の孫武、呉起、常勝将軍の白起、法家の商鞅、儒家の孔子等、ある分野において最強といっても良い人物が多数いました。今回は春秋戦国時代、最強人物の管仲、呉起、白起について調べてみました。

目次

  1. 春秋戦国時代とは
  2. 春秋戦国時代、最強政治家の管仲
  3. 春秋戦国時代、最強人物の呉起
  4. 春秋戦国時代、最強武将の白起
  5. 最後に

春秋戦国時代とは

万里の長城

紀元前771年、西周王朝・幽王は褒姒を寵愛して国政を顧みなかったことから異民族に内通した諸侯に反乱を起こされて殺されます。子の平王は鄭・武公の力を借りて鎬京を首都にして即位します。
これ以後の周王朝を東王朝と呼び、春秋戦国時代の始まりとされて紀元前221年に秦・始皇帝が統一するまでが春秋戦国時代の終わりとされています。
つまり、紀元前771年~紀元前221年の550年間という期間が春秋戦国時代となります。

春秋戦国時代、最強政治家の管仲

春秋戦国時代には政治家として多大な功績を挙げた人物は多数いますが今回は管仲を挙げたいと思います。
春秋戦国時代の政治家をざっと思いつく人物を挙げるだけでも秦・百里奚、商鞅、魏冄、呉・伍子胥、越・范蠡、鄭・子産、姜斉・管仲、晏嬰、田斉・孟嘗君、魏・李克、楚・孫叔敖、呉起と出てきます。
なぜ、管仲が政治家で最強なのかというと

・継承者争いで弱りきった斉国を善く治め、富国強兵を実現させて覇者の国へと押し上げたこと
・司馬遷著『史記列伝』登場人物で実質、先頭で挙げられる程に司馬遷の評価が高いこと

という理由からです。

管鮑の交わりと斉の後継争い

管仲と鮑叔は幼い頃から親友でした。鮑叔は管仲がどんなにひどいことを行っても管仲の才能に心酔しきっていたので変わらぬ友情を続けていきました。

紀元前686年、斉・襄公が殺されて管仲が補佐する公子・糾と鮑叔が補佐する公子・小白とで後継争いとなり小白が桓公として即位します。桓公は管仲に命まで狙われたので管仲を処刑しようとしますが鮑叔に「覇者になろうとするなら管仲の才能は絶対に必要です。」と諫言されるとこれを入れて管仲を大抜擢して宰相にします。このような友情を後世、「管鮑の交わり」と呼ばれます。

管仲の功績

管仲の功績には

・「衣食足りて礼節を知る」管仲の名言があるように経済政策を重視し法令を整備して富国強兵を実現させたこと。
・隣国・魯に勝利して和睦のために柯の会盟を結ぶ際に桓公が魯・曹沫に脅されて魯に有利な条件を仕方なく結んだにも関わらず信義を守らせて諸侯を心服させたこと。
・強大な勢力を誇っていた赤狄という異民族に衛が攻め滅ぼされますが赤狄を打ち破って衛を再興させたこと。
・楚・成王の急速な勢力伸張に危機感を持った管仲が楚を征伐して斉に帰服させたこと。

等挙げられます。

没後

管仲は自分の亡き後のことを考えて桓公の佞臣を遠ざけるように諫言します。桓公はこれを入れなかったために管仲亡き後は激しい後継争いが始まります。内乱によって斉の国力は大幅に低下して覇者の地位を晋・文公に譲ることになります。

管仲像 
春秋戦国時代、紀元前7世紀頃の大政治家で斉・桓公に抜擢されて宰相として仕えます。善く国を治め、桓公を「春秋五覇」と呼ばれる覇者にまで押し上げます。

春秋戦国時代、最強人物の呉起

呉起は紀元前5世紀~4世紀にかけての政治家、軍人、兵家で兵法書の『孫呉の兵法』で有名な『呉子』の著者でもあります。日本では『呉子』の著者で軍人として有名ですが政治家としての能力も素晴らしいものがあり春秋戦国時代を通して随一といっても良いかもしれません。

軍人として

最初、呉起は魯の将軍に抜擢されて斉の大軍を撃退します。弱小国の魯軍で大国の斉軍を敗るという功績に嫉妬した者に讒言されて魏に亡命します。

魏の君主は文侯で魏の歴代君主で一番の名君であり魏の黄金時代を築きます。臣下には法家で有名な李克を筆頭に西門豹、楽羊と有能な人物に助けられて覇権を握る人物です。呉起は名君主の下で将軍、西河太守として功績を挙げていきます。秦、韓を相手に連戦連勝します。60戦くらい出陣して一度も敗れなかったと云われています。魏を亡命した後、楚でも秦軍、三晋連合軍を相手に連勝します。

政治家として

呉起が政治家としての才に気づいたのは西河太守に任じられてからと云われています。魏では兵家としての名声が余りにも高かったので宰相に任じられる機会が中々巡ってきませんでした。武侯治世で宰相・田文亡き後、宰相に任じられる機会でしたが権力争いに敗れて楚に亡命します。

楚・悼王は呉起の政治思想に心酔して宰相に任じます。呉起は中央集権的な統治を目指し、法制を整備して王権強化等の国政改革を断行します。楚は見事に国政改革に成功して富国強兵を実現します。秦を仮想敵国として秦を圧倒します。

悼王が急死すると反対派の反撃にあって呉起は殺されてしまいます。跡を継いだ粛王は呉起殺害と同時に国政改革を取り止めてしまいます。

評価

呉起と同様な国政改革を行って大成功した国があります。中華統一を果たした秦です。呉起死後、およそ50年後に同様な国政改革を商鞅が行い、商鞅死後も秦では継続されます。秦は圧倒的な国力で持って他国を蹂躙します。

軍人として呉起に比肩できる者はいなく秦の例を考慮すれば政治家としても比肩できる者はいないと云えます。

春秋戦国時代、最強武将の白起

紀元前3世紀前半の軍人で秦・昭襄王に仕え、宰相の魏冄に抜擢されて常勝不敗の活躍をします。白起個人が挙げた戦果は春秋戦国時代を通して並ぶ者がいないと云われています。正に最強武将と云えます。

最強武将の活躍

白起の活躍は抜擢された翌年の紀元前293年、伊闕の戦いでは韓、魏の連合軍を敗り、24万を斬首して韓・5城を落とすということから始まります。
紀元前278年、楚との鄢郢の戦いで勝利をし首都・郢を落として楚を弱国に転落させ、紀元前260年、長平の戦いでは趙軍捕虜40万を坑殺します。

最強の戦果

白起ひとりで敵兵を80万人を殺し、敵城を70余城を落とします。大国であった楚、趙を弱国に落とし、弱国であった魏、韓を属国化します。秦だけが強国で他国は弱国の正に「一強六弱の時代」になります。
始皇帝が秦王として即位するかなり前の時点で中華統一の基盤は白起等の活躍によって出来上がっていました。

最強武将の最後

長平の戦いの大勝利後、白起は趙の首都・邯鄲に攻め込もうとしますが宰相・范雎に邪魔をされて和議を結ぶことになります。その後、秦軍は趙を再度、攻めますが苦戦を強いられます。昭襄王、范雎は白起に出馬を頼みますがこれを断って立場を悪くして後に自害を命じられ亡くなります。

最後に

人によって最強の定義等は違うと思いますが管仲、呉起、白起の紹介でした。春秋戦国時代にはこの他にも魅力ある人物が本当にたくさんいます。是非、今回を機会に春秋戦国時代に興味を持ってみてください。
宮城谷昌光著、塚本靑史著の春秋戦国時代の小説はおすすめなので興味があれば読んでみてください。

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