秋の季語・天の川と天の川を詠んだ俳句について

秋の季語・天の川と天の川を詠んだ俳句について

郊外や田舎で夜を迎えると、はっと息をのむほどのうつくしい天の川を見ることがあります。今回は、天の川や七夕伝説について概観するとともに、俳句の季語としての「天の川」、そして秋の季語・天の川を詠んだ俳句についてご紹介します!

最終更新日: 2020年02月28日

天の川とは

天の川とは、夜空に光の帯のように広がる大小の星々のかがやきです。
銀河、ともよばれます。
ちなみにこれを川と考えるのは東洋的なものの見方であり、西洋では乳とされてきました(そのためミルキーウエイと呼ばれます。
)。

天の川は、古くから詩歌に詠まれてきましたが、とりわけ和歌においては七夕伝説との結びつきが深く、心情を詠む歌の背景に用いられてしました。
しかし、景を詠む俳句においては少し扱われ方が異なります。

俳句における秋の季語・天の川について詳細は後述します。

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季語としての天の川について、関連する情報も幅広くまとめています。

  • 世界各地の七夕伝説
  • 天の川の俳句

時間がないという方やお急ぎの方も、知りたい情報をピックアップしてお読みいただけます。
ぜひ最後までお読みください。

七夕伝説について

本題に入る前に、天の川とふかく結びついた七夕伝説とは、どのようなものなのでしょう。
ここでは、各国に伝わる七夕伝説について簡単にご紹介します。

中国版

中国では、七夕伝説にも複数の種類があります。

そのうちの1つをご紹介します。
天帝の娘である織姫はとても仕事熱心の娘でしたが、結婚したあと仕事をしなくなってしまいました。
仕事をしないままにしておくことはできず、天帝は二人を引き離しましたが、年に一度だけ二人が会うことを許したというものです。

日本版

日本で有名な七夕伝説も中国の影響を受けているといわれています。
複数の七夕伝説がありますが、そのうちの1つをご紹介します。

3人の娘をもつ男の前に現れた大蛇が、男の命か娘を嫁に差し出すよう要求し、末娘の織姫が志願して大蛇の嫁になります。
その後、大蛇の中から彦星が現れ、ふたりは結婚することになりました。

その後失踪した彦星を探し織姫は天にのぼりますが、ふたりの結婚に反対する彦星の父が邪魔をしますが、最終的に年に一度会うことを彦星の父は認めます。

その他版

ギリシャ版

ギリシャ神話版七夕伝説は、琴の名手・オルフェイスと森の妖精・エウリディケの悲恋物語が有名です。

毒ヘビに噛まれ亡くなってしまったエウリディケを追って黄泉の国までゆき、エウリディケを蘇生させたオルフェイスでしたが、約束を破ったために再びエウリディケを黄泉の国に連れ去られてしまう、オルフェイス自身も亡くなってしまうというものです。

フィンランド版

フィンランドの七夕伝説としては、ズラミスとサラミという仲の良い夫婦の物語が有名です。
いつも一緒にいたのですが、亡くなってからそれぞれ星になるのですが、離れてしまいました。
それで二人は星屑を集めて橋を架けようし、やがて天の川になった、というものです。

以上、各国の七夕伝説を駆け足でご紹介しました。
直接俳句に結びつくものではありませんが、こうした背景を知ることは句作をする上でも大切なことだと考えられます。

秋の季語・天の川について

季語で用いられる天の川は、秋季に属しています。
同じものを指す言葉として、銀河、銀漢、星河という季語も存在しています。

天の川というと夏をイメージする方もいるかもしれませんが、秋の季語となっています。
これは秋になり気温が下がって空気が澄んでくる季節が星空を見るのにちょうどよい季節であることや、秋という季節に見ると天の川の印象がひときわ強くなることなどが理由だと考えられます。

同様に「月」も秋の季語です。
さらにいえば、七夕も7月7日という日付が一般化していますが、もともとこれも陰暦での日付なので秋の行事になっています。

すでに述べたように俳句は、和歌とは異なり、景を詠むものですので、多くは七夕伝説とは切り離し(付帯的に七夕伝説を引き摺ることはあったとしても)、天の川それ自体の美しさを視覚的に捉えることが主眼となります。

荒海や…など季語・天の川を詠んだ俳句

天の川

それでは、秋の季語「天の川」を用いた代表的な俳句にどのようなものがあるのかについて、以下で見てみたいと思います。

こちらでは、解釈の例をご紹介いたします。
ご自身で俳句を味わう際のヒントの1つ程度にしていただけると幸いです。

天の河星より上に見ゆるかな 白雄

「星より上に」と天の川を表現したこの俳句からは、天の川の微細な星の明かりが重なり合ってところを背景として、その手前に星のあるさまを詠みあげています。

漆黒の闇に浮かび上がる星空を、とても立体的に言い表していて、しかも簡潔にまとめられています。

荒海や佐渡によこたふ天河 芭蕉

芭蕉の句としても、天の川の句としても、あまりに有名なこの句は、荒れた海と静謐な天の川の対比が大きな特徴とみることができそうです。
その対比する一方の海については、「荒海や」とばっさりと説明を切り捨ててしまっており、余計な装飾はありません。

しかし、余計なことが言われていないからこそ、却って読み手のイメージする荒海には統一感が生じているように思われてなりません。

他方、「天河(天の川)」に関しては「佐渡によこたふ」という説明を付しています。
これにより、われわれは江戸期の芭蕉が、本州側の日本海沿岸である越後地に立ち、海を隔てて佐渡に対峙していることや、その日はよく晴れた秋晴れの日であり、日没後しだいに星空がうるさいほどにまたたくようになった様子までを感じることができます。

更け行くや水田の上の天の川 惟然

「更け行くや」ではじまるこの句は、いきなり読み手を深夜という時間軸に連れ去ります。
夜の闇にうかぶ水田の空には天の川が広がっているという光景です。

「水田の上の」とは、一見やや説明が過ぎた感じもありそうですが、田に張られた水が星空を映し出し、あたかもそれは畔に縁どられた窓のように天の川を映し出しています。

もちろん、田の畔とはいっても深夜という時間帯ですから、ほぼ闇の一部とみてよいのではないでしょうか。
頭上にも眼下にも天の川が見え、星空に囲まれているような感覚すら覚えるような句です。

北国の庇は長し天の川 子規

明治期に「俳句」の祖となる正岡子規の句です。
この句はこれまでのような直接的に天の川を詠みあげるのではなく、「北国の庇は長し」が上五・中七と続きます。

無論、天の川が空に見えている時間帯ですから、日没後のことでしょう。
夜、軒の下から見上げる庇(ひさし)は、黒々と闇に溶け込んでいるのではないでしょうか。

そう考えると、ここでは見ているのは庇そのものというより、庇であるはずの闇です。
ここは闇に囲まれ庇の及ばないところに天の川を眺めていると考えられます。

(もうすこし見たいが、庇の闇が天の川を隠してしまっている。
まことに北国の庇とは長いものだなぁ)というような感じが伝わってくるようです。

長生きの象を洗ひぬ天の川 桑原三郎

天の川の句としては、かなり異色で強い印象を残す句と言えそうです。
なにしろ出だしからして「長生きの象を洗ひぬ」です。

その象を洗う頭上には天の川が輝いている、という景色でしょうか。
象を洗うには、なにか専用のブラシがあるのでしょうか。
そのゴシゴシという音や水の音まで聞こえてくるようです。
それと同時に象を慈しみながら象に語りかける声の調子まで連想できてしまいそうです。

まとめ~秋の季語「天の川」と俳句の多様性

天の川

今回は、俳句の季語「天の川」と天の川を詠んだ代表的な俳句についてご紹介しました。
「天の川」という古くから使い古された季語であっても、じつにさまざまな俳句が作れるものですよね。

白雄は「星より上」といい、
芭蕉は「佐渡によこたふ」といい、
惟然は「水田の上」といい、
子規は「北国の庇は長し」といい、
桑原三郎は「象を洗ひぬ」という。

ぜんぜん違うことを詠みあげているのに、同じように季語「天の川」が配されています。

作者はその秋の夜空、宇宙にかがやく天の川を全身で感じ取っています。
その実感を17文字に封印した俳句が、読者の目に飛び込んでくるや、まさにその天の川が読者の脳裏に再現されるわけです。
なぜそんなことが起こるのか、といえば、それは季語のもつはたらきによるというほかありません。
俳句は連想の文学と言われますが、その鍵を握るのは季語なのです。

俳句に親しんでいる人ほど、季語には敏感になります。
その季語を目にしたとたん、条件反射のように詠み手の実感を捕らえ、自らの五官で感じるかのようにイメージすることができるのです。
こうした詠み手と読み手の繋がりこそ、俳句の醍醐味であり面白みであり、奥深さだと言えるのではないでしょうか。

これを機に、より異なった意匠による天の川の俳句を探したり、あるいは自ら作ってみたりするのも面白いと思います。

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