男たちの野望渦巻く【戦国時代】を強く生き抜いた姫たちがいた!!

『喰うか喰われるか』少しでも油断しようものなら、あっという間に攻めつぶされていた戦国時代。そんな男たちの野望渦巻く戦国時代ですが、その背景には多くの姫たちの活躍があったとされています。姫たちはどのようにしてこの戦国時代を生き抜いたのでしょうか。

目次

  1. 戦国時代とは?
  2. 戦国時代の『美』
  3. 姫とは?
  4. 姫の生活について
  5. 戦国時代を生きた姫たちの悲しい物語
  6. まとめ
  7. 終活の専門家に相談してみよう

戦国時代とは?

困った人々

戦国時代の火付け役は、言うまでもなく織田信長です。
尾張の一大名に過ぎなかった信長が、室町幕府を倒し天下統一に動き始めたことが、各地の大名たちを触発しました。領土をめぐる勢力争いが熾烈化し、戦国時代の幕開けとなりました。

戦国時代の『美』

『美』の感覚は時代と共に変化します。戦国時代に好まれた『美』とは、一体どんなものだったのでしょう。

『美』の変化

平安時代までは飢餓などもあり、一般人が満足な食事を取るのが困難な時代であり、太っていることが豊かさの象徴であり、イコール美人の象徴となっていました。
しかし鎌倉時代に入ると、女性にはモラル的なものが強く求められました。これは、清楚さ・凛々しさといったものに美人像が移り変わったのです。
戦国時代になると、平安美人のような女性ではなく、人間的に活動的な女性の方が好まれました。

髪型

戦国時代には、長い髪が『美』の基準だったので、当時の女性は背中以上の長さが多かったようです。

姫とは?

姫というと優雅なイメージがあります。では、戦国時代の姫たちはその通りだったのでしょうか。

政略結婚の姫

室町幕府の力が弱くなると、近隣の国との関係が緊迫しました。そこで、同盟の証として姫を人質として差し出すことになります。姫に断るすべはなく、有無も言わさず遠い国に嫁がされることになります。
しかも、嫁ぎ先の動きを監視し報告するという役割も担わされていたため、夫には不信感を抱かれたり、人質として肩身の狭い思いをしたりすることも多かったようです。
政略結婚で結ばれた同盟が破棄された場合は、姫は国に返されたり処刑されたりしました。

転落の姫

戦国時代の姫のイメージ通り、お城で優雅に暮らしていたとしても、城が落ちれば兵たちの慰み者になる事も多かったようです。

姫の生活について

戦国時代の姫は、どのような生活を送っていたのでしょう。

仕事

戦国時代の姫の一番の仕事は、家を守り子供を産み育てる事です。
この《家》とは、今で言う家族の事より『家制度』の事です。
そのせいか、現存するこの時代の姫の手紙の内容は、夫・子供・実家・預かってる人質・その他、関連する人達の事ばかりです。

子供

戦国時代には、幼いうちに婚約することもありますが、初潮を迎えるまでは当然夫婦にはなりません。いざ夫婦になると、男子を出産するまで妊娠を続けるため、体力勝負です。
幼い子供の養育も重要な仕事の一つで、家庭教師を探すのは母の仕事です。特に嫡男については、コネを駆使して禅宗の高僧に来てもらいます。自身が教師になることもあるようです。

側室探し

正室が、側室を探して連れて来る事もあります。目的はもちろん妊娠してもらうのと、結婚によって繋がる家を増やすためです。子供の数は多ければ多いほどいいと言われていました。
一夫多妻制度なので、側室も正式な妻です。なので、旦那が『浮気(妻でない女性が相手)』をすると奥さん達は怒り狂います。
結婚による繋がりを無視して好き勝手な相手と、というのは『家制度』のルール違反なのでしょう。

裏方仕事

色々な繋がりを作るのも妻の仕事なので、他家への贈答品を手配したり、戦の物資の手配をしたりもしていたようです。家同士の関係や、庶務的な事情を熟知していないと出来ない、裏方の難しい仕事です。

呼び方

戦国時代の家系図では、『女(だれそれの娘という意味)』と書かれるだけで名前の残っていない人が多いですが、姫の名を直に呼ぶのは、両親や夫など一部の目上の人だけです。

戦国時代を生きた姫たちの悲しい物語

戦国時代の姫の中でも、誰もが知っているであろう二人の姫の悲しい物語を紹介します。

絶世の美女と評された織田信長の妹・お市

織田信長の妹として生まれ、政略結婚で近江の浅井長政に嫁いだのが、『絶世の美女』と評されたお市です。

第一の夫・浅井長政

浅井長政とお市は、お互いひと目で惹かれあい、五人の子宝にも恵まれるなど、仲の良い夫婦でした。また、信長も長政に絶大な信頼を抱いていました。
しかし京へと上洛する予定だった信長が、急に進路を変更し、朝倉家の討伐へと向かった事から、事態は一変します。
古くから朝倉家と親交の厚かった浅井家は、両家から援軍を求められ板ばさみにまりました。結局、長政が選んだのは朝倉家でした。
愛するお市を信長の元へ返し、信長軍に合戦を挑むも惜敗し、長政は戦死します。
さらに、浅井長政の裏切りを許せなかった信長は、長政との間にお市がもうけた幼い二人の息子を処刑しました。夫に加え、息子まで実の兄に殺されたお市の心境は、計り知れないものだったに違いありません。

第二の夫・柴田勝家

心の傷も癒えないうちにお市は、信長の家臣である柴田勝家のもとに嫁がされました。
勝家は、お市と三人の娘を大切にしてくれ、お市も次第に心を開いていきましたが、この幸せも長くは続きませんでした。
明智光秀の謀反により、信長が本能寺で暗殺され、信長の跡取りをめぐって豊臣秀吉と柴田勝家が対立し、やがて戦に発展しました。
秀吉の策略にかかり、敗色濃厚となった勝家は、ともに城に立てこもっていたお市と三人の娘たちを逃がそうとするも、お市が選んだのは勝家に寄り添っての自害でした。

浅井長政とお市の娘・茶々

父・浅井長政と母・お市の長女として誕生したのが茶々(後の淀姫)です。
両親の器量が受け継がれ、茶々を含む三人の娘たちは、それは美しかったと言われています。

豊臣秀吉

豊臣秀吉の城攻めにより、義父・柴田勝家と母・お市を失った三姉妹は、戦場から逃げ延び逃亡生活を送っていたが、結局仇である豊臣秀吉に引き取られる事になりました。
秀吉は、長女である茶々を自分の側室へと迎えました。
名家の娘であることを自負している茶々にとって、もともと農民であった秀吉の側室など、気に入らなかったに違いありません。また、この若く美しい少女が、両親を殺した六十歳を超えた老人を、本当に愛する事が出来るかも疑問でした。
茶々に残された道は、秀吉の嫡男を産む事です。幸い正室である北の政所には子供ができず、側室たちは誰よりも早く秀吉の寵愛を受け、嫡男を産むことに必死でした。そして、この寵愛を受けたのは茶々でした。

徳川時代の幕開け

男子が誕生し大喜びした秀吉は、不落の城といわれる大阪城を息子・秀頼に与えました。
この大阪城には、秀吉が作り上げた莫大な財産があり、茶々はこのお金を使って、寺院の建設や改修に力を注ぎました。
やがて、秀吉は病気にかかり他界しました。天下は、豊臣家の嫡男である秀頼が受け継ぐものと思われていましたが、徳川家康により事態は一変します。
家康は、秀頼に言いがかりをつけ大阪城へと進軍しました。茶々は、母であるお市と同様に、大阪城に立てこもり息子・秀頼と共に自害しました。
そして、徳川時代の幕開けとなったのです。

まとめ

人々

戦国時代を強く生き抜いた姫たちに比べると、現代の女性は実に恵まれていると思いませんか?
夫のため・家のために生涯を捧げた姫たちを見習いつつ、今の時代を強く生きていきましょう。

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