織田信長が建てた幻の城・安土城!天守閣はいま?

戦国武将・織田信長が滋賀県に建てた安土城。しかし現在天守閣の姿はそこにはありません。なぜ安土城はなくなってしまったのか?そしてなぜ天守閣は復元されないのでしょうか。

目次

  1. 安土城とは?
  2. 天守閣って?
  3. 安土城の天主閣はどんなものだったのか?
  4. 天守閣・本丸の焼失
  5. なぜ安土城の天守閣が復元されないのか?
  6. 安土城跡へのアクセス
  7. 織田信長が建てた幻の城・安土城

安土城とは?

安土城

安土城は琵琶湖東岸の安土山にあった日本の城です。
城址は国の特別史跡で、琵琶湖国定公園第1種特別地域になっています。

歴史

安土城は1597年、織田信長が滋賀県にある琵琶湖のほとりに築いたきました。
五層七階の大型の天主を初めて持ち、金の鯱(シャチホコ)を初めて乗せた城だと言われています。 安土城に限り「天守」ではなく「天主」と呼びます。

ヨーロッバや中国文化の影響を受けた色彩豊かな名城と言われました。
しかし、築城からわずか3年後に何らかの原因で焼失してしまいました。
当時の安土城についての文献はあまり残されていません。
そのため、幻の名城と呼ばれています。

天守閣って?

天守閣

そもそも天守閣とは一体何なのでしょうか?

意味

天守閣とは、お城の象徴的存在となった建造物の名前を指します。
織田信長や豊臣秀吉が活躍していたた安土桃山時代に流行りました。

豊臣秀吉が大坂城や伏見城を完成させると、他の大名も相次いで天守閣を築くようになります。
しかし江戸幕府になり乱世が終わった事や、幕府が発布した武家諸法度や一国一城令により、天守閣の意義は薄れてしまいました。
そのため、天守閣が新しく造られる事も次第になくなりました。

なお、この「天守閣」という呼び名は明治時代以降に呼ばれたものです。
当時の人々は「天守」と呼んでいました。
他にも殿主、殿守、天主などと表記されています。

言葉の起源

「天守閣」という言葉の起源は、
・帝釈天(たいしゃくてん)という仏教の神様によるもの
・キリスト教思想における天主(ゼウス)をまつった建物であるという説
・単に主殿を守るための建物という説
がありますが、正確な意味は明確ではなく未だに謎が多いです。

ブームになった時代を考えるとキリスト教や海外の影響なのではないかと思われます。

役割

1.城内外の監視
天守閣は高い場所にあり、周りを見渡すことができます。
城内以外にも城外や遠方など広範囲を網羅できるため、戦でも有効でした。

2.権威の象徴
城をみた時に、天守閣は非常に目立ちます。
そこで、武将や大名の中には天守閣を自身の権威を示すために利用している武将もいました。
特に江戸時代以降はこの権威を象徴する目的が強くなったといわれています。
名古屋城や広島城の天守閣は、派手な見た目と異なり内部は簡単に作られています。

3.行事・避難場所
天守閣は江戸時代初期は城主の権威を象徴する役割を担っていましたが、儀式や緊急時の避難場所として利用された例もあります。
岡山城や熊本城の天守閣は書院造の要素を含んでいます。

4.倉庫
権威の象徴や儀式などの用途があった天守閣ですが、ものを置く場所としての役割を果たすこともありました。
江戸時代以降は争いがほとんどなくなったので、軍事的目的や権威を象徴する天守閣の役割が薄れていったのではないかと思います。

お城と天守閣の違い

実は、お城と天守閣は別物です。
それではお城と天守閣の違いとは一体何なのでしょうか。

天守閣は城の中にある高層建築です。
そのため城の建築物の一つです。
一方の城は、戦のための防御を目的とした砦のことを言います。
大名が自分の領地を支配するための拠点や、自分たちの住居としての役割も果たしています。
他にも食料や武器・資金などを蓄える、生活のための場所ともいえます。

そのためお城の中には天守閣がないところもあります。
天守閣は必須ではありません。
むしろ天守閣があるお城の方が日本では珍しいと言われています。

例えば江戸城はもともと天守閣がありました。
しかし、明暦の大火により天守閣が焼け落ちてしまいました。
当時の幕府の方針により城下町の復興を優先させたため、天守閣が再建される事はありませんでした。
江戸城の場合、天守閣の役割の1つである場内外の監視は富士見櫓という建物が担う事になります。

安土城の天主閣はどんなものだったのか?

織田信長が築いた安土城は、五重七層の天主(天主閣)と石垣を持ち、麓に「城下町」を計画的に配した「私たちがイメージする城」の先駆けの城と言えます。

しかし1582年の本能寺の変後、安土城の天守閣などの主要な建物は焼失してしまいました。
どんな天守閣だったかを示す絵図は残されていません。
ただ、ルイス・フロイスの「日本史」や信長の家臣だった太田牛一の「安土日記」に当時の様子が記されています。

それでは、安土城の天守閣はどのようなものだったのでしょうか。

外観

安土城は地下1階・地上6階の6階建てでした。
その高さは35m程です。

城の外観の大きな特徴は、階層ごとに壁が塗り分けられていることです。
・黒い漆塗りの窓が配された白壁の層
・赤く塗られた層
・青く塗られた層
・最上階は金色

瓦は青く見え、前列には丸い頭がついています。
屋根には雄大な怪人面がついているのが特徴です。

内観

安土城の内部は、1階から3階までの各階に6畳から12畳の部屋が複数あったと言われています。
壁には花鳥や中国の故事を題材にした絵が描かれていたそうです。
ただし、4階だけは絵が描かれていなかったのだとか。

5階は八角形の形をしていて外側の柱は赤色、内側の柱は金色でした。
壁には釈迦が説法をしている絵が描かれており、部屋の周囲を囲む縁側には鬼や餓鬼の姿もあったそうです。

そして6階は、3.3m×3.3mの広さでした。
部屋の壁は金色で、外側に手すりがあり、扉には鉄を張り、漆が塗られていたそうです。
壁には狩野永徳が描いた中国神話の帝王や孔子、七人の賢人などの絵が描かれいました。

天守閣・本丸の焼失

安土城天守閣及びその周辺の本丸等の建造物は、本能寺の変の後焼失しています。
ただし、焼失したのは天主や本丸などで、後に織田秀信が二の丸に入城したように城としては十分に機能していました。

焼失の原因についてはいくつかの説があります。

・明智秀満軍が敗走の際に放火した説
しかし、安土城で出火があったとされるのは6月15日です。
その日、明智秀満は坂本城で堀秀政の軍に包囲されていたこと。
また、明智秀満は坂本城での自刃の際に、明智光秀収集の名刀や茶器・書画を堀直政に引き渡してから坂本城に火を放っています。
ことから濡れ衣と考えられています。

・明智秀満のあと伊勢国から入った織田信雄軍が彼の残党を炙り出すため、城下に放火したのが天主に延焼したという説
これは、ルイス・フロイスの報告や「日本西教史」収載の当時の宣教師の記述によるものです。
その記述には「信雄が暗愚だったので放火した」とあります。
しかし、焼失しているのは天主、本丸付近だけなので城下からの類焼は考えにくいです。

・略奪目的で乱入した野盗や土民が放火したとする説。
林屋辰三郎はこの説を挙げています。
熱田公も「山崎の戦後の混乱の中で略奪に入った野盗の類が放火した、とみるのが自然であろうか」としています。

・落雷によって焼失したとする説。

なお、加越能文庫の「松雲公採集遺編類纂」中の文書に天正6年5月に一度天主が倒壊したとの記述があります。
しかし、他の資料にはその記録がないため真偽は不明です。

なぜ安土城の天守閣が復元されないのか?

このような立派な天守が築かれていた安土城ですが、現在に至るまで復元されないのは何故なのでしょうか。

現在、安土城があった場所には、石垣や天主台(天主が建てられた場所)が残っているだけです。
安土城跡は国指定特別史跡に指定されているため、復元には条件が必要です。
その条件を満たさない限りは天守閣を復元することはできません。

現在、国指定の特別史跡に復元をするには当時の工法で確実な史料に基づいていなければなりません。
「当時の工法」とは言うのは、いわゆる木造建築の事です。
また、建築基準法で木造の高層建築物は建てられないことになっています。

安土城と同様、国指定の特別史跡に指定されている大坂城跡にはコンクリート造りの天守閣が建っていますが、再建されたのは1931年で文化財保護法ができる前です。
コンクリート造りの天守閣も、国の登録有形文化財です。

さらに、安土城には確実な設計図などが残されていません。

こうした事情から、安土城跡に天守閣を復元するのは大変難しいのです。

安土城跡へのアクセス

安土城

所在地

近江八幡市安土町下豊浦

交通アクセス

・JR琵琶湖線 「安土駅」 下車 徒歩 25分
・車 名神竜王ICから20分
駐車場 普通車 150 台
大型車  10 台

利用情報

安土城跡入山料 700円
(そう見寺拝観料 別途500円)

・滋賀県立安土城考古博物館
開館時間 9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日 月曜(休日の場合は除く)、休日の翌日(土曜日・日曜日の場合を除く)、12月28日~1月4日まで

・安土城天主 信長の館(文芸の郷)
開館時間 9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日 月曜(休日の場合は除く)、休日の翌日(土曜日・日曜日の場合を除く)、12月28日~1月4日まで

・安土城郭資料館
開館時間 9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日 月曜、年末年始

織田信長が建てた幻の城・安土城

織田信長

いかがでしたか?
戦国武将織田信長が建てたと言われる幻の城、安土城。
建設されて数年で姿を消してしまい、資料もあまり残っていないため復元は難しいと言われいてますが、またいつか滋賀の地で安土城が見れる日が来るといいですね。

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