聖徳太子の「耳」にまつわるいろいろな伝説

聖徳太子の耳は、一度に10名の意見を聞き分けることが出来たといいます。肖像画で見ることができる聖徳太子の耳は豊かな福耳ですよね。

目次

  1. 聖徳太子の「耳」に関する伝説
  2. 聖徳太子の本名は「厩戸豊聡耳皇子」
  3. 聖徳太子は耳がいい
  4. 観相視点から見た聖徳太子の耳
  5. 名前に「耳」がついた人物は他にもいた
  6. まとめ

聖徳太子の「耳」に関する伝説

聖徳太子

聖徳太子の耳は一度に10名の意見を聞き分けることができたと言います。その上、肖像画を見る限りでは、豊かな福耳をしています。
福耳を持つ人は金運に恵まれていることは皆さんもご存知かと思います。もちろん、天皇のご子息である聖徳太子が豊かな財力をもっているのは当然のことですが、彼の「耳」に関する伝説や観相学から見た人柄などを記事にしていきたいと思います。

聖徳太子の本名は「厩戸豊聡耳皇子」

「厩戸豊聡耳皇子」と書いて「うまやどのとよさとみみのみこ」と読みます。
みなさんがよく知る「聖徳太子」という名前は、聖徳太子が亡くなられた後に諡り名されたもので、生まれた当初は「厩戸皇子(うまやどのみこ)」と呼ばれていました。「豊聡耳」という文字が続くようになるのは大人になってからです。
まずは、「厩戸皇子」と名付けられた理由に以下のような伝説があります。

聖徳太子の母・穴穂部間人皇女がまだ懐妊する以前のころ、寝ていた皇女の前に全身が金色に輝く僧侶が現れました。皇女は突然寝所に現れた謎の訪問者に驚きつつも、「御仏の使いであるかもしれない」と僧侶の話す言葉に耳を傾けました。
僧侶は「我は西方の救世観音菩薩(くぜかんのんぼさつ)なり、世を救いたいので、しばらくあなたのお腹をまがりしたい」と言いました。皇女がそれに同意すると、僧侶は皇女の口からお腹の中へ入っていき、消えてしまったそうです。

それから、皇女は懐妊して8ヶ月がたつと胎児がお腹の中から声を出したそうです。臨月になっても出産の兆しがなく、金色に輝く僧侶が現れてからちょうど一年が経過した元旦。皇女は屋敷の見回り中に陣痛をともなうことなく厩(馬をつないでおく飼育小屋)の前で赤ん坊を産み落とし、出産したことに気付かなかったそうです。父親の用明天皇はこのことを聞くと、「厩の前で生まれたので、厩戸皇子にしよう」と名付けました。

聖徳太子は耳がいい

人々

一度に複数の人から文句や質問をされたとき、「私は聖徳太子じゃないから、ひとりずつ言ってくれ」とよく言いますよね。
聖徳太子が10人の意見を一言一句漏らさず聞き分けて、的確な返答をした伝説にちなんで後世の人々が言うようになったのですが、この伝説は聖徳太子の本名である「厩戸豊聡耳皇子」がどのようないきさつでつけられたかを説明するときに記述されたものです。
それは、聖徳太子の偉業を記録した「上宮聖徳法王帝」、「聖徳太子伝暦」、「三宝絵詞」に記載されています。

「上宮聖徳法王帝」によると、以下のように記述されています。

「王(おほきみ)の命(みこと)、幼(いときな)く少(わか)くして聡敏(さと)く智(さとり)有り。長大(ひととな)るに至りて、一時に八人の白(まを)す事を聞きて其の理(ことわり)を辨(さだ)む。又一を聞きて八を智(さと)る。故、号を厩戸豊聡八耳命と曰ふ。」
(天皇の子息は、幼少のころから賢かった。大人になってからは一度に八人の話を聞いて、それを対処した。また、一を聞いて八を理解した。そのため、名前を厩戸豊聡八耳命と言う。)

「一を聞いて八を智る」は「一を聞いて十を知る」と同じことです。
ちなみに、「一を聞いて八を智る」の場面は、僧侶の慧慈・慧聡に仏教や経典を学んでいるときの様子です。

観相視点から見た聖徳太子の耳

観相とは人相を見て運命や吉兆をみる占いのことです。
旧一万円札に描かれている聖徳太子の肖像画を見てみましょう。口や目などの顔のパーツに比べて、耳がとても大きいですよね?また、耳たぶは垂れ下がるほどの福耳です。

観相の観点から見ると「大きい耳」の人は社交性があり、人間関係を大切にするため性格が温厚な人を多いようです。また、大きい耳は他人から尊敬され、人の上に立つ相だと言われています。
「福耳(耳たぶが大きい)」の人は、気配り上手らしいです。その上、金運に恵まれるというよりも財産をつくる・心にゆとりがあることを示しているそうです。
さらに、「耳のふち」が厚い人は損得関係なく人を助ける人相のようです。

名前に「耳」がついた人物は他にもいた

名前に「耳」という文字がついている人物は聖徳太子以外にもいたことが、古い資料からわかりました。例とするなら「神代記」より「天忍穂耳尊(あまのおしほのみこと)」や「綏靖前紀」より「神渟名川耳尊(かむぬなかはみみのみこと)」などが実在していました。また、三韓征伐を行った神功皇后は「紀直(きのあたい)が祖(おや)豊耳」という名前の老人に、怪異現象の理由を質問しています。このことから、名前に「耳」がついている人物には、天文学の知識を有して吉兆を占い判断できる能力があったと考えられます。

まとめ

いかがでしょう?
観相の視点から見ても聖徳太子は高尚な人物であることがわかりました。また、名前に「耳」の文字が入っているので、政治的に重要なポストにいたことが伺えます。
事実、聖徳太子は日本に陰陽五行を取り入れた陰陽術のパイオニアです。陰陽術と呼ばれる学問の中には、「天文道」が含まれているので以上の考察はほぼ間違いないと思います。

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