現在の徳川家はどうなっている?知られざる徳川家の実態

歴史の有名人物といえば戦国武将の徳川家康、その徳川家は現在どうなっているのでしょうか。今回は歴史のことだけでなく、現在のことも一緒にまとめてみました。

目次

  1. 徳川家とは
  2. 徳川家康とは
  3. 現在の徳川家
  4. 現在どのくらい徳川家はいるのか
  5. まとめ

徳川家とは

当主の移り変わり

初代当主である江戸幕府を開いた徳川家康、そこから秀忠、家光などに当主を任せます。正確には、初代徳川家康から順に2代秀忠、3代家光、4代家綱、5代綱吉、6代家宣、7代家継、8代吉宗、9代家重、10代家治、11代家斉、12代家慶、13代家定、14代家茂、15代慶喜、16代家達、17代家正、18代恒孝が当主を務めました。

徳川家康からの歴史

初代当主の徳川家康は江戸幕府を開き、征夷大将軍に就任し実権を握っていました。慶長10年に三男である秀忠に当主を譲り、実権を握りながら大御所として構えます。

秀忠は次男である家光に将軍職を譲り、それ以後には長男が将軍職を世襲する原則を定めます。また徳川家の男子による将軍職の世襲をつくるために、歴代の当主は多くの側室を大奥に抱えて血統の保持に努めたそうです。しかし宗家は近親の分家や家康の子を祖とする御三家や御三卿から養子を迎えて家系をつなぐことが多かったようです。ちなみに正室から生まれたのは家康、家光、慶喜の3人だけでした。

当主それぞれの歴史

2代秀忠の歴史

家康の三男として遠江国浜松に誕生し、葉はは側室の西郷局です。家康は秀忠を右近衛大将にするよう朝廷に奏上し、任命されました。この時期の秀忠は右大将と呼ばれていたそうです。征夷大将軍になった秀忠は江戸城に居住し、駿府城に住む大御所の家康と二元政治体制になりました。

3代家光の歴史

秀忠の次男として江戸城西の丸に生まれます。政治体制は前代からの年寄である土井利勝、酒井忠勝、酒井忠世が引き続き年寄りとなっていましたが、家光はそれまで年寄り一人ができたことも年寄3人での合議がなければ将軍への披露を認めないことにしました。そのため寛永16年には制度を改め、年寄り3人の担当を月番制とし、六人衆をその補佐として置きました。

4代家綱の歴史

家光の長男として江戸城本丸に生まれます。江戸城において将軍宣下を受けて第4代将軍に就任し、内大臣に任じられました。また家綱の時代には幕府機構の整備が進められました。特に保科正之を主導者にして外様大名などに一定の配慮を行ない、養子の禁を緩和し、大名証人制度の廃止や殉死禁止令を出すなどし、これまでの武力に頼った武断政治から文治政治への切り替えが行われました。

5代綱吉の歴史

家光の四男として江戸城に生まれました。家綱が40歳で死去したために内大臣および右近衛大将となり、さらに将軍宣下を受けます。また「生類憐みの令」を後世に悪政と言われる政治を次々と行いました。現在でもこの「生類憐みの令」は教科書に載るくらい有名です。

6代家宣

徳川綱重の長男で家光の孫にあたります。宝永通宝の流通と酒税を廃止、生類憐れみの令も一部を残し順次廃止させました。

資産や財産はどのくらいあったのか

徳川家の資産や財産といえば、徳川埋蔵金が有名です。これは江戸幕府ひそかに地中に埋蔵したために有名になった話で、埋蔵額はおよそ360万から400万両ほどになります。これは現在でも有名な話です。

徳川家康とは

徳川家の重要人物といえば徳川家康、戦国時代から安土桃山時代に名を挙げた戦国武将です。

徳川家康は戦国時代から安土桃山時代にかけての武将で、江戸幕府の初代征夷大将軍です。「海道一の弓取り」の異名を持っています。また家康の江戸幕府によって、武田氏との戦い、本能寺の変、関ケ原の戦いなどの勃発もくぐり抜けてきたのです。また家康はスペイン外交を円滑に進めるため朱印船制度創設を行いました。

現在の徳川家

現在、徳川家を確認できる場所

現在徳川家のことを確認できる場所や物は少なく、過去から現在の歴史の移り変わりで確認できる場所や物は限られています。「徳川美術館」には徳川家を確認できる武具や刀などが残っています。

徳川家の残した物

現在に残るもので徳川埋蔵金はもとより、現在もその他の宝が残されています。例えば博物館などに置かれている鎧や刀などはまだ鮮明とした状態で残っています。

現在どのくらい徳川家はいるのか

現在で苗字に徳川が使われている人はいるか

現在苗字に徳川が付く人は何人くらいいるのか、気になるところです。そこでネットで徳川の苗字の人が何人いるのか調べてみました。なんと現在「徳川」の付く人は1700人、5900位でした。

徳川家の子孫の数

現在徳川家の子孫の数は徳川さんが1700人いるため、子孫である方は結構いるはずです。子孫がまだ残っているため、徳川家の秘宝などが隠れているかもしれません。

まとめ

今回は徳川家について解説していきましたがいかがだったでしょうか。歴史と現在のことについて詳しく解説しました。今まで知らなかったことがあれば是非参考にしてみてください。

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