世界遺産 金閣寺 その金色の後ろにあるもの

世界遺産に登録された金閣寺。庭園の素晴らしさや金色(こんじき)に輝く金閣は見れば見るほど惹きつけられますが、金閣寺は庭園とキンキンキラキラだけなのでしょうか。世界遺産 金閣寺の金色以外の凄いところ、結構忘れていませんか。

目次

  1. 金閣寺(鹿苑寺)を簡単に説明すると
  2. まずは知っておこう 金閣寺の基本情報
  3. 世界遺産だぞ 金閣寺
  4. 金閣寺をつくった 足利義満
  5. 金閣寺周辺 金閣寺からどこに行く
  6. まとめ

金閣寺(鹿苑寺)を簡単に説明すると

金閣寺

室町幕府(1336~1573)三代将軍 足利義満がつくった
世界遺産「古都京都の文化財」16社寺1城の1寺として登録されている

金色に輝く金閣(舎利殿)は、銀閣寺(慈照寺)の銀閣・西本願寺(本願寺)の飛雲閣とともに「京の三閣」と言われ、金閣寺のシンボルです。

1950年の学僧による放火焼失事件は有名で、現在の金閣はその後に再建されたものになります。現在の金閣には5倍の厚さの金箔が、約20万枚も使われているそうです。

また、あまり知られていませんが、金閣寺は相国寺(しょうこくじ)の山外塔頭であり、住職は相国寺の住職が兼ねる為、現在のご住職はテレビや雑誌でご存知の方も多い「有馬頼底(ありま らいてい)」住職です。

現在の金閣寺は、世界中の人が訪れる日本が世界に誇る文化財の1つで
日本語以外の言葉が飛び交い、YOU達でいっぱいです。

【住所】 京都府京都市北区金閣寺町1 
【お問い合せ先】 075-461-0013
【開門時間】9:00~17:00
【参拝料金】大人・高校生400円 小・中学生300円

まずは知っておこう 金閣寺の基本情報

足利義満

正式名称は『鹿苑寺(ろくおんじ)』

正式名称を『鹿苑寺(ろくおんじ)』

金閣寺は、正式名称を『鹿苑寺(ろくおんじ)』と言い、金閣寺をつくった室町3代将軍 ”足利義満”の法号である”鹿苑院殿”から二字をとり名づけられました。

山号は『北山(ほくざん)』

通称は『金閣寺』

通称は『金閣寺』。ご存知の通り、舎利殿が金色に輝いている事から『金閣』と呼ばれ、それがそのままお寺の別名となり『金閣寺』と言われています。

宗派「臨済宗 相国寺(しょうこくじ)派」

宗派は「臨済宗相国寺派」で『金閣寺』は御所の北にある『相国寺(しょうこくじ)』の
『山外塔頭(さんがいたっちゅう)』です。

『金閣寺』はいつ頃どうやってできたの

創建(そうけん)

室町時代(1336~ 1573年)。
金閣寺の創建年は、1397年 応永4年です。 

もともとこの地には、鎌倉時代の公卿、西園寺公経(藤原公経)が建てた西園寺と山荘がありましたが、鎌倉幕府滅亡直後に西園寺公宗の謀反が発覚し、処刑、所領と資産を没収されました。

室町幕府三代将軍 足利義満は、河内の領地と交換にこの土地を譲り受け、金閣寺や北山殿を造営、政治の中心として、北山文化の中心として栄華を極めました。

そして、義満の死後、遺言によって1420(応永27)禅宗の寺院に改められたそうです。

義満が開いた北山殿は、現在より広大な面積でしたが、義満の死後、金閣(舎利殿)他数か所を残し解体、移築され、現在の形に至ったそうです。

開基・開山

開基は足利義満。
勧請開山(かんじょうかいさん)は夢窓疎石(むそうそせき)です。

ご本尊は非公開ですが、方丈の本尊、『聖観音菩薩』です。

あまりに有名な『金閣』放火焼失事件

いつ、誰が『金閣』を放火したのか

発生日時:1950年7月2日未明

事件概要:
当時21歳だった金閣寺の修行僧(学僧)が、金閣へ放火した事件です。
金閣へ放火後、裏の左大文字山で自殺しようとカルモチン(催眠剤)を飲み、小刀で切腹してうずくまっている所を発見され、一命をとりとめました。

犯人の母親はその後自殺、犯人自身も収監後、結核と統合失調症が進行し1956年に病死した。

被害状況:
・人的被害はなかった
・金閣寺舎利殿(国宝)全焼
・足利義満の木像(当時国宝)焼失
・観音菩薩像(運慶作)、阿弥陀如来像、仏教経巻などの文化財6点 焼失

『金閣』放火焼失事件を題材にした作品

あまりに衝撃的な事件であった為、その後小説等の題材にもなっています。

・ 三島由紀夫の『金閣寺』
・ 水上勉の小説『五番町夕霧楼』
・ 水上勉のノンフィクション『金閣炎上』
・ 作曲 黛敏郎、原作 三島由紀夫のオペラ『金閣寺』
・ 川端龍子 日本画『金閣炎上』東京国立近代美術館

英語で金閣寺は何て言うの

金閣寺の案内には
『金閣・鹿苑寺』『THE GOLDEN PAVILION・ROKUON-JI TEMPLE』
と書かれています。

英語のサイト等を見ると『Kinkaku-ji』『Golden Pavilion Temple』『 The Golden Pavilion 』『kinnkaku-Temple』などが見受けられました。

三島由紀夫の小説『金閣寺』や舞台は『Temple of the Golden Pavilion』ですね。

正式名称の鹿苑寺(ろくおんじ)と言っても日本人にもあまり一般的ではありませし、「金閣寺」と言う名称は京都を観光する方には通じると思いますが、やはり「GOLDEN」と言う単語は入った方がインパクトがあってわかりやすいんだなと思いました。

金閣寺で体験できること

鐘つきができる

受付の手前左手側に、鎌倉時代につくられた『鐘楼(The belfry)』があります。音色は穏やかで美しい余韻は心を穏やかにしてくれるます。

また、ありがたいことに、誰でもこお鐘を撞く事ができるのです。
なかなかお寺の鐘を撞くなんて経験もできないのに、それが金閣寺の鐘であれば一生の思い出になりますよね。

鐘が撞ける日:土日祝日
料金:1回200円

写経ができる

世界遺産 金閣寺で、写経も行う事ができます。
法要など何か行事が無い限り毎日行われています。
時間がある時には、ゆったりできて良いですよね。

写経ができるかどうかについては、数日前に電話で確認されることをおすすめします。

時間制限はありませんが、目安は
・四弘誓願文 約15分
・延命十句観音経 約20分
・般若心経 約60分

いずれも一枚(巻)志納金 1,000円。

『五山の送り火』の護摩木志納ができる

京都五山の送り火、『左大文字』がともるのは、金閣寺背後の大北山です。
金閣寺へ向かい歩いていると、右側の山にくっきりと「大」の字を見ることができます。

菩提寺は法音寺ですが、金閣寺門前で『左大文字』の護摩木志納が行われます。
※左大文字の発祥地旧大北山村の菩提寺は法音寺。

・志納受付:15、16日に受付が行われます。
(2016年の受付は15日が9~15時迄、16日は7時から14時迄でしたが、受付日時については金閣寺へ確認をお願い致します。) 

・護摩木志納金 300円

自分が納めた護摩木が焚かれていると思うと、左大文字の「大」の字が特別に見えますよね。
個人的に、この時期に金閣寺を訪れる方にはおすすめします。

上手に写真を撮ることができる

金閣寺の凄いところは、「鏡湖池」をはさんで「金閣」の写真を撮ると、誰がとってもそれなりに素敵な一枚になると言うマジック。

うそだと思った皆様、是非騙されたと思って試してみて下さい。

世界遺産だぞ 金閣寺

金閣寺

いつ、どんな風に世界遺産に登録されたのか

世界遺産登録日

1994年12月 
京都が平安遷都1200年を迎えた年にユネスコ世界『文化遺産』に登録されました。

登録されたもの

金閣寺を含む、「古都京都の文化財」京都市、宇治市、滋賀県大津市に跨る16社寺と1城の17ヶ所

1. 賀茂別雷神社(上賀茂神社)(京都市北区) 
2. 賀茂御祖神社(下鴨神社)(京都市左京区)
3. 教王護国寺(東寺)(京都市南区)
4. 清水寺(京都市東山区)
5. 延暦寺(滋賀県大津市坂本本町・京都市左京区)
6. 醍醐寺(京都市伏見区)
7. 仁和寺(京都市右京区)
8. 平等院(宇治市)
9. 宇治上神社(宇治市)
10. 高山寺(京都市右京区)
11. 西芳寺(苔寺)(京都市西京区)
12. 天龍寺(京都市右京区)
13. 鹿苑寺(金閣寺)(京都市北区)
14. 慈照寺(銀閣寺)(京都市左京区)
15. 龍安寺(京都市右京区) 
16. 本願寺(西本願寺)(京都市下京区) 
17. 二条城(京都市中京区)

どんな風に登録されたのか

1993年 日本政府から世界遺産センターに登録推薦され
ICOMOS(International Council on Monuments and Sites)の現地調査や審査を経て
1994年12月、タイのプーケットで開催された第18回世界遺産委員会において登録されました。

金閣寺が世界遺産に登録された理由

世界遺産登録基準

■ざっくりですが『古都京都の文化財』が世界遺産に推薦された基準は

素晴らしい建造物(国宝)や、庭園(特別名勝)を有し、敷地全体が史跡等に指定されているなどしてちゃんと保護されているもの。

では、金閣寺はどの部分が該当するかみてみると
意外ですが、現在金閣寺に『国宝』はありません。放火焼失してしまいました。
でも『特別名勝』の「庭園」があります。

■『古都京都の文化財』が世界遺産に登録された理由は

古都京都の文化財は京都が8~17世紀の間、建築物や庭園の中心であったこと、特に庭園においては19世紀以降の世界に大きな影響を与えたことです。

上記にあてはめると『金閣寺』のある所は室町時代の「北山文化」の中心地であり、『金閣』や『庭園』は「北山文化」代表する物で、後世にも世界にも多大な影響を与えています。現存の『金閣』自体は再建物ですが、一度みたら忘れないインパクトがあります。

※世界遺産に登録された理由の詳細は下記引用を参照下さい。

•京都は8世紀から17世紀の間、宗教・非宗教建築と庭園設計の進化にとって主要中心地であった。そのように、京都は日本の文化的伝統の創出において決定的な役割を果たし、特に庭園の場合において、それは19世紀以降世界の他の地域において意義深い影響を与えた。
•京都の現存文化財における建築と庭園設計の集積は前近代における日本の物質文化のこの側面に関する最高の表現である。

『金閣寺』世界遺産登録理由を考える

登録理由は、国の「特別史跡」および「特別名勝」に指定されている『庭園』、『金閣』を含む、室町時代をの代表するこの庭園の美しさだと思います。

この庭園は、室町時代の代表作とされる「池泉回遊式庭園」で「浄土庭園」です。
金閣寺に入り最初に目にする、『金閣』は、”はっ”と息をのむほどの煌びやかさで、鏡湖池に映し出された逆さ金閣もあわせて一度見たら忘れられないインパクトです。

借景に衣笠山、『金閣』を囲む鏡湖池には九山八海を表す島?石?が点在しており、これはもう私ではわかりませんが、どの石も当時の権力者「足利義満」に諸大名が競って献上した名石ばかりだそうです。
銀閣寺の庭園もそうですが、夢窓疎石作庭の「西芳寺(さいほうじ・世界遺産)」をモデルにしているとも言われています。

時代を国を代表する、また影響を与えた庭園です。

金閣寺をつくった 足利義満

足利義満

室町三代将軍 足利義満

11歳で将軍になった足利義満

初代将軍 足利尊氏(たかうじ)の死後100日目に生まれた義満は、長男ではありませんでしたが、長男が夭折したこと等で、細川頼之を後見に、1369年に11歳で正式に将軍となりました。

若くして将軍になった義満ですが、政治力に長け、朝廷と幕府に二分化されていた京都の課税権などを幕府に一元化し、朝廷の力を削ぎ、天皇の祭祀権をも奪っていき、幕府の地位を確固たるものにしていきます。天皇を凌ぐほどの権力を誇示していたとも言われています。

室町幕府初代将軍 足利尊氏さへも成し得なかった太政大臣にまで昇りつめました。

義満の邸宅『室町殿』が時代呼称の由来

1378年義満は邸宅を『室町殿』に移し、幕府の政庁としました。その邸宅のあったところが室町通正門が設けられていた事から『室町殿』『室町第』と呼ばれたため、後にこの時代は”室町時代””室町幕府”と呼ばれるようになったそうです。

応仁の乱(1467~)で焼失し現存はしませんが、この邸宅は『花の御所』とも言われ1年中花が咲いていたと言われています。場所は、現在の京都御所の北西に位置し、東西:烏丸通~室町通、南北:今出川通~上立売通であったと言われます。

1394年義満は出家、将軍職と『室町殿』を9歳の足利義持(よしもち)へ譲ったものの、となり実権を握ったまま『北山第』(現在の金閣寺)へと移り政務を行います。

室町時代の最盛期を築いた 足利義満

室町幕府と言えば室町幕府を開いた『足利尊氏(あしかが たかうじ)』が有名ですが、三代将軍『足利義満(あしかが よしみつ)』は天皇をも凌ぐと言われる強大な権力を持った将軍だったとも言われ、室町時代の最盛期を築いた将軍です。

三代将軍 足利義満の功績

■南北朝統一
 南朝と北朝にわかれて、60年もの長きにわたり対立していた天皇家を 方法はともあれ統一しました。

■北山文化
銀閣寺をつくった8代将軍足利義政(義政)の東山文化に対して北山文化と言われる
義満の北山殿を中心に花開いた文化を言います。

武家様・公家様・唐様(禅宗様の中国文化)が融合した豪華絢爛文化です。
建築物としては「金閣」、絵画では水墨画、国宝 瓢鮎図(如拙・妙心寺 退蔵院所蔵)
相国寺を中心とした五山文学や「世界ユネスコ無形文化遺産」である「能楽」観阿弥(かんあみ)・世阿弥(ぜあみ)、「狂言」などもこの時代に花開きました。

なぜ義満は皇位簒奪を企てたと言われるのか

※皇位簒奪(こういさんだつ)皇位継承資格が無かったり、継承権の優先順位の低い者が天皇の地位を奪うこと。

『明』から日本国王と認められた?足利義満

幼いころから”明”に憧憬の念を持ち、また、貿易が莫大な利益を得られるものであると知っていた義満は
1374年 義満は”明”との正式な貿易を願いますが、当時”明”はその国の王としか貿易を認めないとしており、当時は、南朝の「懐良親王」を「日本国王良懐」として正規な貿易相手としていました。

また1380年 再度”明”と交渉しようとしますが、天皇の臣下との貿易は認めないなどの理由でうまくいきませんでした。

そこで義満は将軍職を足利義持へ譲渡、自らは出家し、天皇の臣下では無いと言う立場をとり、再々度交渉。当時すでに「懐良親王」に力もなかった為
1404年義満は明の皇帝から「日本国王源道義・にほんこくおうげんどうぎ(道義は義満の出家後の名前)」と認められ、日明貿易をはじめました。

義満がつくった 相国寺と3つの七重の大塔

■ 『相国寺(しょうこくじ)』
1382年、義満は莫大な資力と政治力を基に、御所の北側(上)に10年の歳月をかけて
相国寺の建立を開始。(※金閣寺は相国寺の山外塔頭)

創建当初の相国寺の広さは140万平米、東京ドーム100個分くらいの広さであったと言われています。

現在相国寺の「承天閣美術館」には、金閣寺の大書院の伊藤若冲作の襖絵などはこちらに展示されています。

■ 相国寺一つ目の『七重大塔』

相国寺の中に、御所をみおろすような約109mの『相国寺 七重大塔』を建てました。現存の一番高い東寺の五重塔で55mですから、その大きさは想像を絶します。

『七重大塔』は数年で落雷により焼失しました。

■ 北山(金閣寺)の『七重の塔』

相国寺の七重の塔の焼失後、すぐに場所を北山に移し再建するも、またも焼失。

■ 相国寺二つ目の『七重大塔』

北山の『七重の塔』焼失後、『七重大塔』は相国寺東南の旧地にもどされて再建、1470年火災で焼失するまでの間、京都のシンボルだったとの事。

金閣に込められた義満の思い

金閣(舎利殿)の構造をみてみると

1階は「寝殿造り」の『法水院(ほっすいいん)』これは、公家。
2階は「武家造り」の『潮音洞(ちょうおんどう)』これば武家。
3階は「禅宗造り」で『究竟頂(くっきょうちょう)』これは禅宗。即ち出家した義満。

この構造ゆえに、義満は公家よりも武家よりも上位に位置すると言う事を現したのではないかと言われたりします。

息子を天皇にしようとして 暗殺されたとか

義満は、息子である足利義持(よしもち)を将軍にし、足利義嗣(あしかがよしつぐ)を天皇とし、自らはその上位、上皇となり君臨しようとしたのではないかと言われています。

足利義持(よしもち)は、義満が出家し4代将軍の座に就きました。

足利義嗣(あしかがよしつぐ)は宮中で親王と同じような元服の儀を執り行ないましたが、その僅か2日後に義満は倒れ、義嗣の元服の儀から11日目に亡くなりました。
義嗣は宮中で親王と同じような元服の儀を執り行ないましたが、天皇にはなれませんでした。

義満の死因は病死との事ですが、そのタイミングから暗殺されたのではとの説が囁かれています。

義満は死後「鹿苑院太上法皇」を贈られた

義満は死後、朝廷は「鹿苑院太上法皇」の称号を贈られるも、4代将軍 足利義持がこれを辞退したとか。

「鹿苑院太上法皇」を贈られた事は、等持院に残されている足利義満の位牌?や、相国寺が過去帳に記されています。

「太上法皇」は、出家した「太上天皇」の事で、「太上天皇」は譲位した天皇の事だとすると、足利義満はいったい何だったのでしょうか。

また、生前義満は”繧繝縁(うんげんべり)”の畳に座っています。
この”繧繝縁(うんげんべり)”の畳とは、赤・黄・緑・紫・青などの色を用いて織られた豪華な織物を畳のへりに使ったもので、天皇や上皇など一部の皇族のみが座ることを許されたものです。

金閣寺周辺 金閣寺からどこに行く

龍安寺

龍安寺の石庭

金閣寺は、京都市街地北西角にあたる。

金閣寺から東へ

世界遺産コース

『金閣寺』からバスで『世界遺産 龍安寺』へ
『世界遺産 龍安寺』から、すぐにバスが来なければ歩いて『世界遺産 仁和寺』へ
『世界遺産 仁和寺』から歩いて、嵐電「御室仁和寺」へ行き嵐電で「嵐山」へ、少し歩けば
『世界遺産 天龍寺』です。

時間に余裕があれば

■車折神社:嵐電「御室仁和寺」から「嵐山」の間に「車折神社」と言う駅があり、ここは「車折神社」が駅に接している為、移動時間が必要ありません。

そしてこの「車折神社」は芸能の神様なので、玉垣にスターの名前がずらーりとあり、ちょっぴりテンションもアップします。

■嵐山界隈:観光場所には事かきません。

金閣寺から西へ

『今宮神社』や『大徳寺』

金閣寺からバスで『大徳寺』へ、『大徳寺』の中を観光しながら抜けると
『今宮神社』があります。

時間に余裕があれば

■船岡山や建勲神社:金閣寺から少し歩きますが、船岡山へ行くことがきます。四神相応の玄武にあたる山で、五山の送り火の四山をみる事ができる山です。が、山なので少々時間は必要です。

金閣寺から南へ

『平野神社』や『北野天満宮』

実は、気が付きにくいのですが、『金閣寺』から『平野神社』や『北野天満宮』へは歩いて行くことができます。すぐ近くとは行きませんが、徒歩圏内です。

『金閣寺』から西大路を南下し『平野神社』へ向かいます。西大路通沿いに『平野神社』がありますので、『平野神社』を抜けて、真っすぐ歩くとすぐに『北野天満宮』の北門があります。

時間に余裕があれば

■ わら天神:『平野神社』へ行くまでにあります。安産の神様です。

■ 上七軒:京都最古の花街です。北野天満宮の東門前です。

■ 上七軒を抜けると『千本釈迦堂』や『釘抜地蔵』もありますが、全部あるくと少し大変です。

金閣寺から北へ

『光悦寺』『源光庵』『常照寺』へ

バスだと乗り換えになります。「金閣寺道」から市バス205号北方向行千本北大路へ行き、市バス6号に乗り換えて「鷹峯源光庵前」です。

千本北大路まで歩き(15分位)、そこからバスで「鷹峯源光庵前」へ、皆同じバス停です。

時間に余裕があれば

『今宮神社』や『大徳寺』が比較的近くです。

季節限定で(春・桜の季節限定)

桜の名所『原谷苑』へ

金閣寺の駐車場から『原谷苑』行きの専用マイクロバスが出てます。
桜の時期限定ですが、たくさんの桜を見ることができます。
詳細は『原谷苑』へ確認をお願いいたします。

まとめ

金閣寺

私は、はじめて『金閣』を見た時は、金ピカさに正直少し引いてしまいました。
けれど、何度も訪れ、金ピかにも目がなじみ、その金色の後ろにあるものを少し知って、気が付くと庭園や金閣の佇まいの素晴らしさにだんだんと惹かれていました。
そして、今は大好きなお寺の1つとなりました。

金閣寺を訪れられた時に、少しでも今までより楽しんでいただけますように。

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