天下を取った戦国武将・徳川家康が愛した刀

織田信長・豊臣秀吉と並ぶ戦国武将、徳川家康。今回はそんな徳川家康が愛した刀剣。そして徳川家に災いをもたらしたとされる刀剣を紹介します。

目次

  1. 徳川家康の生涯
  2. 天下統一とは一体
  3. 徳川家康が所持していた刀剣
  4. 徳川家康と妖刀村正
  5. 徳川家康と刀

徳川家康の生涯

困った人々

徳川家康は1542年三河国(今の愛知県の東側)を治めていた松平広忠の長男として生まれました。
生まれた時は「竹千代」(たけちよ)と呼ばれていました。
1548年駿河国(今の静岡県の東側)を治めていた今川義元の人質になる予定でした。
しかし、尾張国(今の愛知県の西側)を治めていた織田家に捕らわれてしまいます。

1560年桶狭間の戦いが起こります。
この時家康、18歳。
仕えていた今川義元が亡くなったことをきっかけとして、今川家から独立する事に成功します。

1562年、20歳の時に織田信長と同盟を結びます。

1566年、24歳で名前を「徳川家康」と改めました。

武田信玄と協力し、1568年かつて仕えていた今川家を滅ぼすことに成功します。
しかし、1572年三方ヶ原の戦いにて武田信玄と戦い敗北してしまいす。

1575年長篠の戦いが起こります。
織田信長と共に戦い、武田信玄の子・武田勝頼を破ります。

その7年後の1582年。遂に織田信長と共に、武田勝頼を滅ぼします。
しかし6月21日本能寺の変が起こり、同盟していた織田信長が亡くなってしまいます。

1584年も小牧・長久手の戦いが起こります。
織田信長の跡を継いだ羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)と1年以上にわたり戦います。
その後、1586年に秀吉の家来になります。

1590年に秀吉が天下統一を行います。
その恩賞として関東地方をもらいます。

1598年、豊臣政権の元で五大老に就任します。
しかし秀吉が亡くなってしまいます。
その後、秀吉の子供である秀頼の後見を任されました。

1600年関ヶ原の戦いで石田三成を破りました。
そこで事実上の天下人となります。
その3年後、征夷大将軍に任命され遂に江戸幕府を開きます。

1615年大阪夏の陣で秀吉の子、豊臣秀頼と戦い、秀頼と豊臣家を滅ぼします。
・日本全国の大名に対する決まり事である「武家諸法度」
・天皇や公家に対する決まり事である「禁中並公家諸法度」を制定しました。
徳川幕府の支配を盤石なものにします。

しかし翌年の1616年、家康は75歳で病気で亡くなります。
家康の死後、江戸幕府は1867年まで250年間続きました。

天下統一とは一体

戦国時代から江戸時代初期にかけて、武家政権の正統性を示すものです。

室町・戦国時代に「天下」は天皇王権を擁する室町将軍が管轄する京都とその周辺地域を意味し、天下人たる室町将軍は地方大名を従属・統制下におき紛争などを調停する役割が担わされていました。

尾張国の織田信長は将軍足利義昭を擁して間接的に天下人としての役割を担い統一事業を推進します。
これが天下布武です。
1573年には将軍義昭を追放し、天下人としての地位を自身が継承し統一政策を進めました。
信長が本能寺の変で倒れると織田家臣の豊臣秀吉が天下人の継承者としての地位に至り、統一政策を成し遂げます。

「天下」の本来の意味では、その支配地域に境界はなく、秀吉は1590年に日本を統一すると、明の征服を中核とした東アジアの統一を企画し、1592年からは朝鮮に出兵しますが、秀吉死去により途中終了してしまいます。
関ヶ原の戦いを経て、「天下」主催者としての地位が征夷大将軍職を世襲した徳川将軍家に継承されると、「天下」は日本列島に限る意味で用いられました。

徳川家康が所持していた刀剣

徳川家康はたくさんの刀剣を所持していました。
その中でも有名な刀剣を紹介します。

鯰尾藤四郎

脇差(薙刀直し)
銘吉光
名物 鯰尾藤四郎
1尺2寸7分(38.5cm)
焼身
徳川美術館所蔵

小薙刀を磨上げ、脇差に直したものです。

一尺二寸九分→一尺二寸八分。
焼き直しにより一尺二寸七分となっています。
薙刀直しで、上は菖蒲造り、下には薙刀樋と添え樋があります。

由来

鯰の尾を連想させる”ふくら”がふっくらした姿から「鯰尾」の異名を持ちます。

来歴

織田信雄が所持していたものです。
1584年小牧長久手の際に、信雄の重臣岡田重孝ら3家老を内通の疑いで斬っています。
土方勝久にこの鯰尾で切らせており、のち土方は秀吉に仕えたため秀吉に伝わります。

のち豊臣秀頼に伝わり好んで差しましたが、大坂夏の陣で大坂城落城の際に焼けてしまいます。
そこで惜しんだ家康が初代越前康継に焼き直しさせました。
家康死後は御分物として尾張徳川家に伝わりました。

物吉貞宗

短刀
無銘 貞宗(名物 物吉貞宗)
1尺9分5厘(33.2cm)
重要文化財
徳川美術館所蔵

文化財登録に従い長さ区分は「短刀」。
なお徳川美術館では「脇指」と表記します。

正宗の子、相州貞宗の作と極められています。

目貫が後藤祐乗の作で、じっと見つめていると竜が瞬きするように見えるので家康が「瞬きの竜」と名づけたといいます。

由来

尾張家記録によると、「物吉(ものよし)」の異名は本短刀を帯びて陣に臨めば必ず勝利を得たことによるといいます。
名物帳によると、家康が愛用しよく切れることが度々あったためとされています。

来歴

徳川家康の愛刀で没後尾張義直に譲られました。
当初この刀は義直への遺産に含まれていませんでした。
義直の生母お亀の方が尽力し、義直のものとなったといいます。
お亀の方は徳川家康の側室のひとりで、初めは竹腰正時に嫁ぎ竹腰正信を生みます。
1594年に家康に見初められ、仙千代(夭折)および五郎太を生みました。
この五郎太が後の尾張藩主義直となります。
はじめに産んだ竹腰正信はのち家康の側近となり、成瀬正成と共に尾張義直の附家老となります。
2代光友も、こちら(当家)にないはずのものなのに、不思議にこちらに伝わったと話していたといいいます。

尾張家では
・藩主が狩衣着用で脇差をさせない場合
・将軍家から御祓いや日光のお鏡を頂戴する時
これを懐中に帯びていました。
また道中は駕籠の中に入れて携行し、隠居する時に初めて次の藩主に譲り渡したといいます。
4代吉道のころになると、普段は刀箱にいれ中御間の床の上に置いておきました。
火急の際には小姓が持出すことになっていました。

幕末には藩主のお側の刀箪笥の一の抽斗にいれてあったといいます。

尾張徳川家第19代当主の徳川義親によって設立された徳川黎明会の所蔵となります。
1941年9月24日重要美術品指定、尾張黎明会所蔵
1953年11月14日重要文化財指定
現在は同会の運営する徳川美術館で収蔵・展示されています。

一期一振

太刀
額銘吉光
2尺2寸7分
刃長68.8cm、反り2.6cm
御物
山里御文庫 御剣庫蔵(宮内庁管理)

額銘に入る吉光とは藤四郎吉光のことです。
「額銘」とは、元からある銘を切り取っておき磨上げした後に、ちょうど額のように元の銘を嵌め込み戻したものです。
入銘ともいいます。

由来

藤四郎吉光は短刀の名手として知られ、太刀は生涯この一刀しか鍛えなかったと言われています。
そのためこの名があるといいます。
ただ、実際には「かいきりよし光(京極家、櫂切り)」「御刀吉光(大坂御物、二尺三寸一分)」など慶長期にもいくつか存在しました。
太刀を一作しか鍛えなかったという意味ではなく、生涯最高の一作という意味でつけたと思われます。
同様の言葉として、「一期第一(いちごだいいち)」「一期一腰(いちごひとこし)」と銘打たれた刀も存在します。

来歴

豊富秀吉は、目貫と笄を後藤祐乗作の物に取り替えた上で、「一之箱」に納めて秘蔵しました。

その後元和元年の大坂城落城の際に焼けてしまいましたが、名刀を惜しんだ家康が越前康継に再刃をさせました。

一説に分捕り品として献上されたともいわれています。
それによると、献上された際に家康は大いに喜び「これは秀頼が明石掃部(全登)に与えていた」ものであり、分捕った時の様子を聞きたいと権田五太夫を呼び出します。
しかし明石掃部を知らないため誰だったかわからないと答えたといいいます。

ただ、この伝によれば、大坂落城の際に焼けていないことになってしまうのです。
本阿弥光徳著「大坂御物名物刀剣押形」ですでに二尺二寸八分になっており、1651年の尾張徳川家御腰物でも「一期一ふり吉光 大坂焼物」と記載されています。
また「明暦三丁酉正月十九日火事ニ致焼失名物御道具之覚」にも記録がないことから大坂の役で焼けたことは間違いありません。
大坂落城時ではなく657年の「明暦の大火」で焼けたとするのは「詳註刀剣名物帳」の誤りです。

宗三左文字(義元左文字)


義元左文字
無銘中心ニ「永禄三年五月十九日義元討捕刻彼所持刀織田尾張守信長」ト金象眼アリ
2尺2寸1分(69.0cm)
重要文化財
建勲神社所蔵(京都国立博物館寄託)

由来

今川義元所持にちなみます。
なおその前に三好政長が所持していたので、宗三左文字とも呼ばれます。
別名「天下取りの刀」

来歴

元々は三好政長が所有していましたが、1536年7月武田晴信と三条氏の婚姻の時に引き出物として贈られました。
1527年2月、桂川原の戦いで細川晴元配下の三好政長は、管領細川高国の要請に応じて出兵していた若狭の武田元光を破っています。
この時に味方しないよう信虎に贈ったものともされています。
この後、堺公方府が誕生します。

1537年2月、武田信虎の娘が今川義元に嫁した時に引き出物として送られ今川家に伝来します。
1560年5月、今川義元が桶狭間で織田信長に急襲された時に帯びていたといいます。
今度分捕に義元不断さゝれたる秘蔵之名誉の左文字の刀めし上られ何ヶ度もきらせられ信長不断さゝせられ(普段指させられ)候成(信長公記)

義元の網代の輿を信長見て、敵の旗本疑なし、とて追たて/\戦れしかば、義元も返し合せて戦れしを、服部小平太鎗つけ、毛利新助其の首をとりたりけり。左文字の太刀松倉郷の刀を分捕にすといへり。(常山紀談)

討ち取られた際に刀も分捕られ信長の手に渡ります。
信長は戦勝記念に2尺6寸あった刀身を2尺2寸1分まで4寸磨上げました。
さらに金象嵌を入れ愛蔵しました。
象嵌銘を入れた時期は不明です。
「尾張守」を称したのは1566年頃とされています。

本能寺の変の後、焼け跡から秀吉が見つけ所蔵します。
枕席に侍っていた松尾社の神官の娘がこれを持って逃げ出し、父のもとに隠していたものを文禄になって秀吉に献上したともいわれています。

秀頼に渡り、その後家康に贈りました。
このことは、1601年正月日付の「御太刀御腰物御脇指」に記載されています。

徳川家では、世代が代わる際に継承の印としてこの太刀を引き継いでいったといいます。
1657年の振り袖火事(明暦の大火)で焼身となりましたが、越前康継に命じ再生させました。
1869年、明治天皇が信長に建勲(たけいさお)の神号を贈ります。
東京と天童市に建勲神社が創建されました。
のち1880年9月に船岡山の地に東京から遷座した際に、徳川宗家から信長ゆかりの「義元左文字」が建勲神社に奉納されたといいます。
1923年3月28日旧国宝指定されました。(現在は重要文化財指定)

徳川家康と妖刀村正

妖刀村正は徳川家に不幸をもたらした刀と言われています。

村正とは?

「村正」とは、室町時代から江戸初期にかけて三重県桑名に存在した刀工集団の名称です。
そこで製作された日本刀が「村正」と呼ばれ、実用性と切れ味に定評があったそうです。

妖刀村正と呼ばれる理由

伝説1「切れ味」

村正作の一振と正宗作の一振を川に突き立ててみたところ、上流から流れてきた葉が、まるで吸い込まれるかの如く村正に近づき、刃に触れた瞬間真っ二つに切れました。
一方正宗には、どんなに葉っぱが流れてきても決して近寄ることはなかったといいます。
刀匠の年代が全く違うものの、この二振の違いを表す有名な逸話です。

伝説2「徳川縁者を斬りまくる」

・徳川家康の祖父・松平清康が殺害されたときの刀
・父・広忠が岩松八弥に襲われたときの刀
・嫡男・信康が死罪になり介錯に使われた刀
・妻・築山御前を小藪村で野中重政が殺害して斬った刀
・関ヶ原の戦いの際、家康が怪我をした槍
・大阪の陣において真田幸村が徳川本陣を急襲した際、家康に投げつけた短刀
これら全てが村正の刀、槍です。
呪うかの如く徳川縁者を斬りまくりました。

伝説3「家康だけでなく幕府も呪う」

・慶安年間に由井正雪のクーデター計画が発覚した際、正雪が所持していた刀
・幕末、西郷隆盛をはじめ倒幕派の志士の多くが佩刀していた刀
これらも全て村正の刀です。
家康一代だけでなく江戸後期まで徳川に仇をなしました。

伝説4【数値化できない切れ味】

戦前、東北大学の物理学教授で金属工学の第一人者として知られていた本多光太郎が、試料を引き切る時の摩擦から刃物の切味を数値化する測定器を造りました。
そこへ皆が面白がって古今の名刀を研究室に持ち込みます。
測定器の性能は概ね期待した通りでした。
しかし「なぜか村正だけが測定するたびに数値が揺れて一定しなかった。」とあります。
村正は持つ者の心の闇によって切れ味を変えるのです。

伝説5【他の刀とは違う痛み】

「村正を研いでいると裂手(刀身を握るための布)がザクザク斬れる」
「研いでいる最中、他の刀だと斬れて血がでてから気がつくが、村正の場合、ピリッとした他にはない痛みが走る」
と刀剣研磨師も言っています。
村正は刀剣研磨師も怯える刀なのです。

村正は国宝指定されているの?

国宝指定されている刀剣一覧の中に、村正は一振りもありません。
それは見てくれが悪いからだそうです。
村正の刃には大きな波紋が波打ち、刃の両面の波紋が揃っていることが大きな特徴です。
しかし、華やかで美しい正宗に対すると地味な印象は拭えません。
見た目よりも実用性を追求した結果かもしれません。
村正の美しさは、千利休が言う所の”用の美”なのでしょうか。
村正が用を為す時。それは人の血が流れる時なのです。

徳川家康と刀

人々

いかがでしたか?
天下を取った戦国武将・徳川家康。
しかしそんな彼の元にあったと言われる幸せを運ぶ刀と不幸を運ぶ刀。
日本の歴史も刀と一緒に学んでいくともっと面白く感じるのではないでしょうか。

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