系図から見える!?徳川将軍家が長く続いた理由!!

徳川将軍家の系図を見たことがありますか?徳川将軍家が日本を統治していた時代を、江戸時代と言います。この時代の徳川氏による政府を江戸幕府と呼び、250年以上もの間続きました。なぜこんなにも長く続く事が出来たのか、系図と共に紹介します。

目次

  1. 系図って何!?
  2. 徳川将軍家とは?
  3. 徳川将軍家の系図と15人の将軍
  4. 徳川御三家と御三卿
  5. 徳川将軍家の系図まとめ

系図って何!?

系図とは、ある一族の代々の系統を書き表した図表で、系譜とも言います。特定の家の家督相続の継承の系統(家系)を記した系図は家系図・家譜とも言います。
系図は、作成の用途によって家系のみならず、その家系中の人物の詳細などを書き入れたりもします。徳川将軍家の家譜の様に、詳細な経歴を書き入れた物もあります。また、養子として家督を継いだ者も書き記すため、家系としての系図は必ずしも血筋と同義ではありません。

徳川将軍家とは?

徳川将軍家は、初代・徳川家康が征夷大将軍に就任してから、第十五代・徳川慶喜が大政奉還するまで、征夷大将軍の職を世襲した宗家の事です。日本の実質上の君主・支配者として、武家社会を含む日本社会全体の頂点に君臨したのが徳川将軍家です。
明治維新後には公爵の爵位を授けられ、徳川公爵家となり、華族制度廃止後は、単に徳川家と呼ばれました。

徳川将軍家の系図と15人の将軍

徳川将軍家の長い歴史を、系図に書き表す事は簡単な事ではありません。それほど多くの人が徳川将軍家の一員として存在していたのです。ここでは、系図の中でも将軍としてその長い歴史を築いてきた15人を紹介してみましょう。

初代・徳川家康

城

弱小な一地方豪族の子として、幼少時代は織田家・今川家の人質となります。織田信長が今川義元を桶狭間で破ったのを機に今川家と決別し、織田家と同盟を結び版図を拡大しました。豊臣政権下では、最大の領地を有し五大老の筆頭となります。豊臣秀吉没した後、大坂の陣において豊臣氏を滅ぼし、江戸幕府を開きました。

二代目・徳川秀忠

初代将軍・家康の三男として生まれました。
「家康は全て自分で決める。秀忠はそれには及ばなかったが半分は自分で決めた。家光は全て重臣任せであった。」と評されています。
小田原討伐に際して実質的な人質として上洛し、元服・秀吉の偏諱を受けて秀忠と名乗りました。

三代目・徳川家光

二代将軍・秀忠の次男として生まれました。母は浅井長政の娘・織田信長の姪にあたる江です。
老中・若年寄・奉行・大目付の制を定め、現職将軍を最高権力者とする幕府機構を確立し、武家諸法度の改訂で大名に参勤交代を義務付け、鎖国体制を完成させました。
戦国時代を生き抜いた武将たちを御咄衆として置き、合戦の話を聞く事を好みました。特に、伊達政宗を大変深く尊敬し、外様大名としては異例な高待遇で接していました。

四代目・徳川家綱

三代将軍・家光の息子で、将軍家を継承した時はわずか十一歳でした。
保科正之を主導者にして、外様大名などに一定の配慮を行い、末期養子の禁を緩和し、大名証人制度の廃止や殉死禁止令が出されるなど、これまでの武力に頼った武断政治から文治政治への政策切り替えを行いました。
家綱の死により、徳川将軍家の直系は断絶しました。

五代目・徳川綱吉

三代将軍・家光の四男として生まれました。
生類憐みの令により、民を苦しめたとの説で有名です。
家綱時代の大老酒井忠清を廃し、自己の将軍職就任に功労があった堀田正俊を大老としました。
幕府の会計監査のため勘定吟味役を設置し、有能な小身旗本の登用をねらいました。

六代目・徳川家宣

三代将軍・家光の孫です。
悪評の高かった、生類憐みの令や酒税を廃止するなど気概を示したため、庶民からの人気と期待は高かったようです。
柳沢吉保を免職し、甲府徳川家旧臣らを登用して文治政治を推進し、多くの学者を招聘して人材の登用に尽力しました。

七代目・徳川家継

六代将軍・家宣の四男として生まれました。四歳で将軍となり、八歳で死去しました。
家継の死により、三代将軍・家光の系統は断絶しました。

八代目・徳川吉宗

徳川御三家の紀州藩第二代藩主・徳川光貞の四男として生まれました。
幕府権力の再興に務め、増税と質素倹約による幕府改革・新田開発など公共政策・公事方御定書の制定・市民の意見を取り入れるための目安箱設置など、享保の改革を実行しました。

九代目・徳川家重

八代将軍・吉宗の長男として、江戸赤坂の紀州藩邸で生まれました。
言語不明瞭に加え、猿楽(能)を好んで文武を怠ったため、父・吉宗や幕閣を散々悩ませたとされていますが、側用心制度を復活させました。
実は、女性だったという説があります。

十代目・徳川家治

九代将軍・家重の息子です。
幼少時よりその聡明さから、祖父である八代将軍・吉宗の期待を一身に受け寵愛されて育ちました。吉宗が死去するまで、直接の教育・指導が行われました。
趣味に没頭していたため、暗君・無能扱いさせる事も多かったが、ただ単にやる気がなかったとする説もあります。

十一代目・徳川家斉

御三卿一橋家の第二代当主・徳川治済の長男として生まれました。
家治時代に権勢を振るった田沼意次を罷免し、松平定信を老中首座に任命しました。定信が主導した政策を寛政の改革と呼び、積極的に幕府財政の立て直しが図られましたが、厳格すぎたため家斉は父・治済と協力して定信を罷免し、寛政の改革は終わりました。
家慶に将軍職を譲っても、幕政の実権は握り続けました。

十二代目・徳川家慶

十一代将軍・家斉の次男として生まれました。長兄である竹千代が早世したために将軍継嗣となり、四十五歳で将軍職を譲られました。
家臣の意見を聞いても「そうせい」と言うのみだったため「そうせい様」と呼ばれ、暗愚と見られました。
老中首座の水野忠邦を重用し、天保の改革を行わせたり、開明的な学者を弾圧しました。

十三代目・徳川家定

十一代将軍・家斉の死後、十二代将軍・家慶の世嗣となりました。
幕末の難局にも関わらず、就任直後から後継問題が浮上するほど体が弱く、一説には脳性麻痺だったとも言われ、将軍として指導力を示すことは出来ませんでした。

十四代目・徳川家茂

将軍就任前は、徳川御三家の紀州藩第十三代目藩主でした。
血筋だけでなく英明な風格を備えており、勝海舟をはじめ幕臣からの信望も厚く、忠誠を集めたと言われており、その死に関しては「家茂様の御薨去をもって徳川幕府は滅んだ」と嘆息したと伝えられています。

十五代目・徳川慶喜

御三卿一橋家から徳川宗家を相続しました。
武芸・文芸に達者で、禁門の変においては自ら御所守備軍を指揮し、鷹司邸を占領した長州藩を攻撃しました。

徳川御三家と御三卿

徳川御三家

徳川御三家は単に御三家とも呼ばれ、江戸時代において徳川氏のうち徳川将軍家に次ぐ地位を持っていた三家の事です。宗家(徳川家)を補佐する役目にあると言われるが、制度・役職として定められたものではなく、元々は宗家の後嗣が絶えた時に備え、初代将軍・家康が宗家存続のために徳川御三家を遺したと言われています。

尾張徳川家

藩庁を名古屋城に置き、始祖は徳川義直、初代将軍・家康の九男です。

紀州徳川家

藩庁を和歌山城に置き、始祖は徳川頼宣、初代将軍・家康の十男です。

水戸徳川家

藩庁を水戸城に置き、始祖は徳川頼房、初代将軍・家康の十一男です。

御三卿

御三卿は、江戸時代中期に徳川氏の一族から分立した大名家です。徳川将軍家に後嗣がない際に将軍の後継者を提供する役割を担っています。また、徳川御三家へ後継者を提供するのも御三卿です。

田安徳川家

始祖は徳川宗武、八代将軍・吉宗の次男です。

一橋徳川家

始祖は徳川宗尹、八代将軍・吉宗の四男です。

清水徳川家

始祖は徳川重好、九代将軍・家重の次男です。

徳川将軍家の系図まとめ

徳川家紋

徳川将軍家の系図を見ると、その膨大な子孫の数に驚かされます。これだけ多くの人がいた事も、徳川将軍家が250年以上も続いた要因の一つではないでしょうか。織田家や豊臣家などの系図と見比べてみると、より徳川将軍家の安定ぶりがわかりますよ。

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