天下人・徳川家康を陰ながらに支えた側室たちについて

天下人・徳川家康の側室は、記録にあるだけで約20名ほどいるそうです。徳川家康に愛され、徳川家康を支えた側室たち、その中でも印象の強い数名をピックアップしてみましょう。

目次

  1. 徳川家康
  2. 徳川家康の側室
  3. 政治の面でも活躍した側室・阿茶局
  4. 徳川秀忠の生母 側室・西郷局
  5. 徳川家康の最後の子を産んだ側室・英勝院
  6. 徳川家康の側室についてのまとめ

徳川家康

徳川家康

天文11年(1542年)12月26日の寅の刻岡崎城にて、三河国の土豪である松平家の第8代当主である父・松平広忠と水野忠政の娘である母・於大の嫡男として生まれました。幼名は竹千代です。

幼少期

3歳の時父・松平広忠と母・於大が離縁したため母と離れることとなります。6歳の時には、人質として駿府城へ送られるものの、道中立ち寄った田原城にて、義父の戸田康光の裏切りにより、尾張国の織田家へ送られることとなったのです。この時に織田信長にも出会ったとされています。

2年後、父・松平広忠が家臣により殺害されてしまい、竹千代は今川義元のもとへ人質交換として送られるのです。

天文24年(1555年)3月、駿府の今川の下で元服をし、永禄元年(1558年)2月5日初陣を果たします。

天下泰平へ

徳川家康は今川の下にいましたが、永禄5年(1562年)の清州同盟にて織田信長と同盟を組むこととなったため、その後は織田信長の家臣として様々な戦に参戦しました。

天正10年(1582年)6月2日、本能寺の変が起こります。徳川家康は堺を遊覧していました。本能寺の変の知らせを聞いた徳川家康は、急いで三河に戻るため服部半蔵の進言のもと伊賀を越えなんと三河に戻ったのです。これが世に名高い「神君伊賀越え」です。

その後、豊臣秀吉が天下を治める時代になるとと豊臣の家臣として働きます。この頃には、本状を浜松城から駿府城へ移します。その後江戸城へ移ることとなるのです。そして、豊臣秀吉が病に倒れると豊臣秀頼を補佐するために定めた五大老・五奉行のうちの五大老の一人として任命され、「秀頼が成人するまで政治を家康に託す」と遺言を残し豊臣秀吉が死去。

そして、関ヶ原の戦いを経て、慶長3年(1603年)征夷大将軍として幕府を開くのです。

晩年

大坂夏の陣、大坂冬の陣を経て、徳川家康にとって最大の脅威であった豊臣家は大阪城の落城、豊臣秀頼と淀殿の自害をもって滅亡したのです。

元和元年(1615年)9月9日、禁中並公家諸法度、武家諸法度、一国一城令を制定し、徳川264年の礎を築きます。

元和2年(1616年)1月に鷹狩りに出た折に倒れ、4月17日の巳の刻駿府城にて死去。享年75歳でした。

徳川家康の側室

側室

徳川家康には生涯で正室が2人、築山殿と朝日姫です。築山殿は、織田信長の命により殺害され、それと同時に嫡男の信康も切腹させられました。一方の継室・朝日姫は1586年に継室として徳川家康と再婚するものの、1年ほどで聚楽第に住むようになり、その3年後死去しているため、あまり長い結婚生活ではなかったのです。

そして、側室はというと、記録として残っている限りでも約20名ほどはいたとされています。

側室たち

西郡の方(蓮葉院)、於万の方(長勝院)、於愛の方(宝台院)、於都摩の方(長慶院)、於茶阿の方(長覚院)、於亀の方(相応院)、間宮氏女、於万の方(養珠院)、於梶の方(英勝院)、阿茶の方(雲光院)、阿牟須の方(正栄院)、於仙の方(泰栄院)、於梅の方(蓮華院)、於竹の方(良雲院)、於六の方(養儼院)、お夏の方(清雲院)など

印象の強い側室

その中でも、戦場へ幾度も供奉し、淀殿との交渉にもあたった阿茶の方(阿茶局)、徳川2代将軍・秀忠の生母於愛の方(西郷局)、徳川家康の最後の子を産んだ於梶の方(英勝院)、この3人の側室たちをとりあげてみましょう。

政治の面でも活躍した側室・阿茶局

阿茶局

弘治元年(1555年)2月13日、甲府にて武田信玄の家臣であった飯田直政のもとに生まれます。父の飯田直政は、武田信玄と今川義元が和睦した際、今川義元の家臣となします。

1573年19歳になったとき、一条信龍の家臣である神尾忠重に嫁ぎます。神尾忠重との間に二男をもうけますが、1557年23歳の時夫・神尾忠重は死去してしまうのです。

徳川家康の側室となる

未亡人となってしまい、1579年25歳の時徳川家康この時38歳の側室として浜松城に召されました。

美しいだけではなく馬術や武術にも優れていた阿茶局は、戦場へも幾度となく同行したのです。1584年30歳の時には、小牧・長久手の戦いの陣中に参じており、この時妊娠中であった阿茶局は流産してしまったのです。

その後、徳川家康との間に子を成すことはありませんでした。しかし、1589年からは、西郷局の子である竹千代(のちの徳川秀忠)と於次(のちの松平忠吉)の養育係となります。このこともあり、前夫・神尾忠重との子である神尾猪之助はのちに徳川秀忠に仕えるようになります。

1614年60歳の時には、方広寺鐘銘事件をうけ、淀殿の乳母である大蔵卿らと駿府城にて対面、大坂冬の陣では徳川家の代表として板倉重昌とともに大阪城へ行き、淀殿たちとの交渉にあたったのです。

徳川家康の死後

1616年徳川家康死去。しかし、阿茶局はその才を惜しまれ、徳川家康の遺言により剃髪はせず江戸城竹橋に屋敷を与えられ、中野村に300石を受けます。これは他の側室の中でも異例でした。

1621年徳川秀忠の五女・和子の入内の際には、母の代わりとして付き添い、従一位を賜ります。その後、徳川秀忠の死後出家し、雲光院と号します。

1637年1月22日死去。享年83歳でした。

徳川秀忠の生母 側室・西郷局

今川家の家臣・戸塚忠春の娘として誕生します。しかし、父・戸塚忠治が戦死してしまい、母は服部正尚と再婚します。

若くして嫁いだものの夫の死により、西郷義勝の継室として再婚します。西郷義勝との間には一男一女をもうけすものの、元亀2年(1571年)西郷義勝が戦死してしまい、またしても未亡人となってしまうのです。

徳川家康の側室となり秀忠を産む

未亡人となった西郷局は、母の弟である西郷清員の養女となり、浜松城の奥勤めをします。その時に徳川家康の目にとまり側室となるのです。

その後、天正7年(1579年)4月7日のちの2代将軍となる竹千代(秀忠)を産み、さらに翌年天正8年には弟、のちの松平忠吉を産みます。

天正17年(1589年)西郷局死去。享年38歳でした。

人柄

西郷局は、温和で誠実な人柄と美貌を持ち合わせており、徳川家康だけでなく周囲の家臣や侍女にも好かれていました。
西郷局は、目が悪かったため盲目の女性に同情し衣食住を保護していたそうです。そのため、西郷局が亡くなった時には、彼女の後生を祈りに寺門の前に連日多くの盲目の女性が押し掛けたそうです。

徳川家康の最後の子を産んだ側室・英勝院

13歳のころ徳川家康に仕え始めたとされています。徳川家康はこの時49歳であった。英勝院こと於梶の方の聡明さ、側室の中でも最年少であったこともあり、徳川家康の寵愛はすごかったそうです。

慶長12年(1607年)1月、30歳の時に徳川家康の最後の子である六女・市姫を産みます。しかし、市姫は4歳で亡くなってしまうのです。かわいそうに思った徳川家康は、鶴千代、虎松、振姫を於梶の方の養子としたのです。

徳川家康の死後

徳川家康の死後は、落飾し英勝院となり、江戸田安の比丘尼屋敷に居住します。寛永19年8月23日英勝院死去。享年65歳でした。

徳川家康の側室についてのまとめ

徳川家康

天下人・徳川家康の側室についてみてきました。それぞれの側室が美貌だけではなくそれぞれの魅力、才能によって徳川家康を支え、子を産むことで徳川家の繁栄に大いに貢献してのでしょう。

徳川家がこれほどに栄えたのも側室たちの支えなしではなかったことだと思います。

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