意外と知らない!?宗教における「懺悔」の意味とは?

意外と知らない!?宗教における「懺悔」の意味とは?

日常会話で「懺悔」という言葉を使うことってありますよね。「懺悔」とはもともと宗教的な意味がある用語なのです。ここでは、意外と知られていない各宗教における懺悔の意味を詳しくご紹介していきます。

最終更新日: 2020年02月19日

「懺悔」とは?

「懺悔」とは、それぞれの宗教において神や仏、聖なる存在とされる者の前で自分の罪を告白し、許しを請うことを意味します。
「自分の罪を告白し、許しを請うことで身体や心の苦悩から解放される」という信仰から来ています。

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今回「終活ねっと」では、宗教における懺悔について以下の事柄を中心に説明していきます。

  • そもそも「懺悔」とは?
  • 仏教における「懺悔」の意味とは?
  • 修験道における「懺悔」の意味とは?
  • キリスト教における「懺悔」の意味とは?

時間のないという方やお急ぎの方も、知りたい情報をピックアップしてお読みいただけます。

ぜひ最後までお読みください。

仏教における「懺悔」の意味

葬儀

読み方と語源

まず、仏教においての「懺悔」は「さんげ」と読みます。
一般的には「ざんげ」と読まれがちですが、こちらは本来キリスト教用語であって、仏教の場合は濁りません。
語源ですが、インドの古代語であるサンスクリット語の「クシャマ」を漢字に訳したものであるとされています。
似たような意味の言葉で「反省」がありますが、「懺悔」の方が意味は強く、深いものがあります。

懺悔の方法

釈迦の遺言に、「懺恥の服は諸の荘厳に於て最も第一となす」という言葉があります。
人間は本能として罪を犯さずには生きていけませんが、自分の犯した罪を知って恥ずかしいと思う心を持つことができれば、どんな装いよりも美しい、という意味です。
懺悔という考えも、このような言葉から来ていると考えられます。

仏教においての懺悔の方法は、仏や菩薩、師の前で自分の過去の罪悪を告白し、悔い改めるというものです。
出家修行者たちの間には、布薩という行事があります。
半月ごとに地域の僧侶が集まり、そこで自分が犯した罪を告白し、懺悔するのです。
懺悔文という偈文もあります。

天台宗懺法

人の心の中には「貪り(むさぼり)、怒り、愚痴」の三つの毒(三毒)があるとされています。
天台宗における懺法は、知らず知らずのうちに自らの中に作ったこれらの悪い行いを懺悔して取り除くという意味があるのです。
三毒を取り除くことで、自らの心を静めて清らかにする儀式です。
12世紀中ごろには、宮中行事としても行われていたそうです。

修験道における「懺悔」の意味

山

修験道とは?

山伏(やまぶし)という言葉を聞いたことがありますか?
修験道とは悟りを得ることを目的に、山に籠もり厳しい修行をする宗教です。
日本古来の山岳信仰と仏教が融合した、日本独特の宗教とも言えます。
この修験道の実践者を山伏、または修験者と呼びます。

修験道と懺悔

「懺悔懺悔、六根清浄(さんげさんげ、ろっこんしょうじょう)」という掛け声があります。
山伏たちが修行を行う時に掛ける「掛け念仏」です。
この掛け念仏は、山伏たちが修行の時に大勢で一斉に唱えるのが特徴です。
疲れている時にこそ、一丸となってこの掛け念仏を唱えると、不思議と力が湧いてくる、そのような神秘的な力が込められているのだそうです。

山伏たちにとって、山は神仏の顕現そのものとなります。
その山々に対して自分の罪を告白し、浄化される行為が修験道における懺悔なのです。
修行の一環であることと、懺悔の対象が直接的であることが仏教と異なる点です。

キリスト教における「懺悔」の意味

お墓

読み方

キリスト教における「懺悔」は「ざんげ」と読み、仏教の場合と違っています。
現在では「懺悔」の一般的な読み方は「ざんげ」になっていますね。
これはキリスト教の影響が強いとされています。

意味は似ていても、宗教によって読み方が違う場合もあるのです。
この他に「礼拝(れいはい)」という言葉も一般化されていますが、元々は「らいはい」と読んだそうです。

懺悔の方法

キリスト教(カトリック)では、信者が狭い部屋に入り、自らの罪を告白することを「告解」と言います。
映画のワンシーンなどで見たことがある人もいるのではないでしょうか?
仏教の「懺悔」と意味は似ていますが、キリスト教においては「懺悔」という言葉をあまり使わないようです。
告解を聞いた司祭はいかなる理由があっても、その内容を他言してはいけません。

キリスト教は「赦し(ゆるし)の宗教」であると言われています。
イエス・キリストが十字架にかけられ、やがて息絶え、三日目に復活したという話は有名ですが、それは神に背く人々の罪を赦すためであったと言われています。

「赦し」について

「神がキリストにおいてあなたたちを赦して下さったように、互いに赦し合いなさい」聖書には、このような意味の言葉があります。
人を赦すことはとても難しい行為ですよね。
特に自分が誰かを恨んでいたり、誰かを敵だとみなしている場合には尚更です。

しかし、キリスト教の教えは「相互における赦し」なのです。
他人を赦さない人は、自分も赦されることはないという意味です。

信者でなくても告解できる?

では、キリスト教の信者でなくても告解はできるのでしょうか?
正確に言えば、答えはNOです。
正式なものは洗礼を受けた人のみが可能です。
カトリック教会では、信者でない人々の赦しはまず洗礼を受けることからスタートするのです。

ただ、信者でなくてもミサには参加できますし、司祭に相談という意味で話を聞いてもらうことは可能です。

懺悔の意味まとめ

ここまでの内容はいかがでしたか?
普段何気なく使っている「懺悔」という言葉の意味をいろいろとご紹介してきました。
では、人々はなぜ懺悔するのでしょうか?
最後にその意味について考えてみたいと思います。

懺悔の目的

人は誰でも罪を犯す可能性がある、というのは前述した通りです。
それが小さな罪でも大きな罪でも同じことです。

犯した罪を誰にも話せずに黙っているというのは、誰にとっても辛いことですよね。
時にはすべて話してすっきりしてしまいたい、と思うこともあります。
自分の罪を清浄である誰かに告白することで、秘密にしているという重荷から解放され、罪の意識から解放されるということなのでしょうね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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