天下統一を果たした豊臣秀吉の有能な家臣たち!

戦国時代天下統一を果たした豊臣秀吉。その豊臣秀吉を裏で支えた有能な家臣たちを紹介していこうと思います。豊臣秀吉は一体どんな家臣を従え戦乱の世を治めたのでしょうか?豊臣秀吉の家臣たちに迫ります。

目次

  1. 豊臣秀吉の家臣
  2. 豊臣秀吉の家臣・側近
  3. 豊臣秀吉の家臣・軍師
  4. 五大老
  5. 五奉行
  6. 豊臣秀吉の家臣まとめ
  7. 終活の専門家に相談してみよう

豊臣秀吉の家臣

豊臣秀吉

豊臣秀吉の家臣・側近

豊臣秀長

秀吉の異父弟。秀吉の片腕として活躍した。その実力は影の太閤とも囁かれるほどで、人望も厚く戦に出ても秀吉に勝るとも劣らない実力の持ち主。この秀長の死後、豊臣政権はバランスを崩し始めました。豊臣秀吉が明を征服して東アジアを統一するという構想を立てるのも秀長の死後といわれています。

千利休

織田信長が堺を直轄地とした際、茶頭として雇われ、本能寺の変後は豊臣秀吉に雇われた。千利休は豊臣秀吉の信任を大きく受け、黄金の茶室の設計にも深く関わっていたという。わび茶の完成をさせ、豊臣秀吉の聚楽亭に屋敷を構えるなど、茶人としてまた豊臣家家臣として名声と権威を誇った。最後は豊臣秀吉の逆鱗に触れ切腹を命じられた。

豊臣秀吉の家臣・軍師

両兵衛

両兵衛とは豊臣秀吉に仕えた二人の軍師・竹中重治(半兵衛)と黒田孝高(官兵衛)を指し二兵衛(にへえ)とも呼ばれる。しかしこの両名が豊臣秀吉の家臣として同時に仕えていた期間は播磨攻めの短い期間でしかなかったこともあったため、後世になって呼ばれた名称といわれている。二人の軍師の特徴は以下の通りである。

黒田官兵衛

軍事的才能に優れ、豊臣秀吉の側近として仕えて調略や他大名との交渉など、幅広い活躍をした。本能寺の変で信長が倒れたことを知った黒田官兵衛は豊臣秀吉に対して毛利輝元と和睦して明智光秀を討つように献策し、中国大返しを成功させたという逸話が残されている。

竹中半兵衛

美濃の斎藤家の家臣時代は尾張の織田信長による美濃侵攻をよく防いでいたという。永禄10年に織田信長の前に滅ぼされた斎藤氏、信長は浪人していた重治(半兵衛)を家臣に迎えたいと考えていた。美濃攻めで頭角を現していた木下藤吉郎(豊臣秀吉)に勧誘を命じ秀吉の「三顧の礼」を持って重治を勧誘した。重治(半兵衛)もまた秀吉の才能を見抜き木下藤吉郎(豊臣秀吉)の家臣になったとされている。

五大老

五大老は豊臣家の政治を司っていました。政務と軍務、豊臣家の末期に徳川家康、前田利家、毛利輝元、宇喜多秀家、上杉景勝の五人が務めた。当初は6大老で小早川隆景がいたが死後五人となった。一説によると豊臣家は嫡男の秀頼がまだ幼少で天下を治める器量があるかないかもわからない状態にあった。五大老という制度を作ることによって、天下を狙えそうな有力大名を互いに牽制させることで豊臣家の転覆を防ごうとしたものだともされています。

内府・徳川家康

秀吉とは仲が良かったが天下統一を狙っていた。五大老時代は家康にとっては我慢の時代といえる。豊臣秀吉と前田利家の死後関ヶ原の戦いに挑むこととなる。

大納言・前田利家

若かりし頃は槍の使い手として、槍の又左の異名をとった。豊臣家の宿老として秀吉の天下平定事業に従軍した。秀吉の死後8ヶ月後に病に倒れた。正室はまつ殿。

毛利輝元

毛利元就の孫。関ヶ原の合戦の西軍の総大将。徳川家康率いる東軍に敗れ、所領120万石から30万石に減る。お家再建に奮闘し73歳まで生きた。

宇喜多秀家

父直家死後、豊臣秀吉の養子となる。関ヶ原の合戦の合戦では西軍につき勇猛果敢に戦うが敗れ、八丈島に流される。83歳まで生きた。

上杉景勝

上杉謙信の甥っ子。無口な性格であまり笑わない。小早川隆景死後に五大老に。関ヶ原の合戦で敗れ、所領120万石から30万石に減る。お家再建に勤め69歳まで生きた。

五奉行

行政を司る。検知は浅井長政、石田三成、増田長盛が務め、財政は長束正家、京都奉行は前田玄以が担当した。ここでは一般に有名な2名をご紹介します。

浅野長政

五奉行筆頭の長政は愛称を長吉という。朝鮮の役では渡海しようとする豊臣秀吉に対し一喝して中止させたという。豊臣子飼い出身であるが、行政家としてのキレる男で、手腕をふるい庶民から徳川家康までにも慕われた。

石田三成

幼名は佐吉。国によってバラバラだった検地を全国規模で統一した太閤検地は石田三成の発明とも言われている。豊臣秀吉の死後は反徳川勢力となり関ヶ原の合戦に挑むが敗れ、京都六条河原で処刑される。享年41。

豊臣秀吉の家臣まとめ

抹茶

いかがだったでしょうか?豊臣秀吉の家臣をまとめてみました。もともと身分の低かった豊臣秀吉は当然、譜代家臣などはおらず自ら有能な家臣を探し登用していたと云われています。かつての自分が信長に雇われたように。秀吉の優れた能力として家臣を適材適所の役職に置くことが得意であったとされています。豊臣家臣団の中心は五大老だった訳ですが、徳川家康他4名の力を抑えて豊臣家を繁栄させるために配置された組織図は正解だったのでしょうか、それとも不正解だったのでしょうか。結果は秀吉の死後、関ヶ原の合戦となり260年以上続いた徳川幕府が誕生しました。豊臣の時代がもっと長く続いていれば、現在の日本の姿はもう少し違っていたのかもしれません。

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