戦国時代の合戦はどんな武器を使い戦ったか?足軽とは何者か?

戦国時代の合戦はどんな武器を使い戦ったか?足軽とは何者か?

戦国時代は戦国武将が目立ちますが合戦で数の上では足軽や雑兵と呼ばれる兵士達がその多くを占めています。足軽達はどんな人達でありどんな武器で戦ったのか?戦国時代の合戦がどのようなものかと合わせて解説します。

最終更新日: 2020年03月12日

戦国時代の兵士である足軽はどんな人達か?

戦国時代

合戦において多くが雑兵や足軽と呼ばれる兵士達である。
彼らはどんな人たちが足軽になったのでしょう。
いざ出陣または城の守備兵として足軽を集める時は戦国武将の配下にある国人衆や豪族などの領主達へ領地の石高ごとに足軽となる人を出すように命じます。

その命令により集められたのは戦の素人である農民も居れば金で雇われた傭兵も居るし普段は農業で暮す半農半士の地侍でした。
傭兵を除けば農業をしている人々を足軽にするので合戦を行う時期が農繁期を避けるなど制約がありました。
織田信長は兵農分離を行い地侍を農業から切り離しました。
地侍を城下町に住まわせいつでも出陣できる兵力として近くに置くためです。

こうして大名が近くに置く武士の足軽と不足を補充する農兵の足軽に分かれます。

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「終活ねっと」運営スタッフ

今回「終活ねっと」では、戦国時代の合戦について以下の事柄を説明していきます。

  • 足軽ってどんな人達?
  • 槍について
  • 弓矢について
  • 鉄砲について
  • 石について
  • 騎馬隊は戦国自体にいたの?
  • 戦国時代に大砲ってあったの?
  • 合戦は武将と足軽のみではない?
  • 戦国時代の合戦の勝ち方とは?

時間のないという方やお急ぎの方も、知りたい情報をピックアップしてお読みいただけます。

ぜひ最後までお読みください。

また絶世の美女と言われた戦国時代の姫、ランキングベスト10を知りたいという方は、こちらの記事をご覧ください。

戦国時代の合戦の武器はこれだ!-槍‐

戦国時代の槍は騎馬武者が3m以上のものを使い、足軽は7mもの長い槍も使う事もありました。
戦国時代で足軽に持たされた武器は刀・槍・弓・鉄砲があります。
この中で刀はあくまで護身用や武将の首を取る場合に使うぐらいで合戦で使う武器ではありませんでした。

槍は2mまたは長いもので7mになります。
使い方は振って叩いて敵をひるませ、乗馬している武将を落とすやり方をしていました。
逆に敵からの槍を槍で払う防御のやり方もあります。
そして姿勢を崩した敵兵を槍で刺し倒します。

槍は弓矢や鉄砲などの飛び道具があっても合戦では一番多く持ち込まれた武器でした。
それは合戦の最後は槍を合わせての戦いで雌雄を決めたからです。

戦国時代の合戦の武器はこれだ!-弓矢ー

弓矢

徳川家康と今川義元は東海道一の弓取りと讃えられました。
戦国時代にあって武将の強さを讃える言葉で刀や剣ではなく弓または槍が多いです。
これは戦国時代が槍と弓が重要視されていた事も意味します。

弓はそうした意味で敵と槍を合わせる前に的に打撃を与えられる武器でした。
飛距離は至近距離で狙うなら50mで遠くの敵には200mから300mほど届いたと言われています。
弓は敵の軍勢の上に向けて放つ事が多かったです。
これは弓なりに矢が飛び敵兵の頭上から攻撃できる長所があったからです。

鉄砲が多く導入されても一直線にしか飛ばない鉄砲の弾に対して敵兵の上から矢を降らせられる弓矢の需要は消える事はありませんでした。

戦国時代の合戦の武器はこれだ!-鉄砲ー

困った人々

戦国時代の飛び道具が弓矢ぐらいしか無い中で鉄砲が天文12年(1543年)に種子島へ漂流したポルトガル人より伝来します。
鉄砲は鉄製の筒に弾と火薬を詰めて着火している縄で火薬を点火し火薬の炸裂で弾が発射される仕組みです。

しかし戦国時代の鉄砲は確実に当てられる距離が50mと短いけれども弓矢よりも鉄砲は扱いやすく威力も鎧を貫き発砲の音は敵兵や騎馬を脅かす効果もありました。

しかし火薬の原料の一つである硝石を海外から輸入したり(塩硝石の国内製造もありました)鉄砲は
費用のかかる武器でもありました。

戦国時代の合戦の武器はこれだ!-石ー

合戦で使われた意外な武器に石があります。
大きさは手のひらに収まるぐらいの小石です。
その石を人の手または長い布で勢いをつけて投げてました。

戦国時代で投石を武器に戦う軍勢として武田家の小山田信茂の軍勢が知られていますが足軽が石を投げて戦うのは珍しいものではなかったようです。
日本の中世において一般の民が集まって喧嘩をする際も石を投げ合う事をしていたので割とよく使う武器だったのかもしれません。

硬い石をぶつけられるので兜や陣笠をかぶっていても平気ではなく敵の足並みを乱すには良い武器でした。

戦国時代に騎馬隊は居たか?

ここまで書いて騎馬隊のついて書いてないと思われる方もいるでしょう。
戦国時代では武田信玄の武田騎馬軍団が有名です。
しかしヨーロッパの騎兵隊のようなものがあったかは疑問視されている部分があります。

何より戦国時代の日本にいた馬がサラブレッドのような馬では無くポニーに近い身長130㎝の小柄な馬だからです。
しかし木曽馬などの日本在来の馬は非力では無く物の運搬や農耕作業でも働く力強い馬でした。

しかし明治時代からの日本陸軍は木曽馬を軍馬として体格に劣るとしてフランスの馬と日本の馬をかけ合わせた改良種である釧路種を導入します。
戦国時代の騎馬とは武将や伝令の武者が乗る乗り物でした。
合戦の時は降りて戦ったとも言われています。

まだ戦国日本の騎馬については定まった研究結果は出ていませんがヨーロッパの騎兵隊のような集団の騎馬が戦ものとは違ったのは確かです。

戦国時代に大砲はあったか?

戦国時代の大砲はポルトガルと貿易していた北九州の大友氏により購入したものと鉄砲を作る技術を応用して大きな鉄砲と言える和製大砲が作られたのがはじまりでした。
現代でこそ大砲は戦闘の主役とも言えます。
しかし戦国時代は威力があっても使う時が限定されていたからです。

戦国時代で大砲が活躍するのは城攻めでした。
撃ち出した弾で城を破壊できたからです。
弾は金属を固めたもので建物を破壊するには向いていましたが、大勢の兵を倒すには向いていませんでした。

合戦は戦う武将と足軽だけじゃない

軍隊の仕事は戦うだけじゃない。
戦場で食べるご飯である兵糧や鉄砲の弾薬などの物資を運ぶ小荷駄隊と言う補給部隊や兵站部隊と言える隊を戦国時代の軍隊は引き連れていました。
小荷駄隊は牛馬に荷物を載せ物を運んでいました。
夫役はこの牛馬を連れて目的地まで動かす役目がありました。

小荷駄隊は足軽ではなく夫役と称する土木工事に動員される労働者と同じ扱いで集められました。
彼らは足軽と同じように集められました。
また戦場で砦のような陣城を作る長篠合戦のように柵を多く建てる場合など土木工事が必要な場合は別に夫役の人達が集められました。

戦国時代は今と変わらない軍隊の組織が出来ていたのです。

戦国時代の合戦はこうして戦う

合戦は大名などの総大将の配下にある武将ごとに「備(そなえ)」と称する隊が組まれます。
「備」の中に槍・弓・鉄砲それぞれの武器を持った足軽達が居ます。
そうした武器ごとの隊を組頭や大将(弓隊の場合は弓大将)などと呼ぶ指揮官によって動くようになっています。
合戦は総大将が「備」を動かし戦われます。

双方の「備」が二町または三町(218mまたは327m)まで接近した時に鉄砲や弓矢の撃ち合いとなる。
ここで鉄砲や弓を持つ足軽は木製の板や竹束の盾を前に置いて射撃をします。
撃ち合いの始まりから合戦が始まるので「火蓋を切る」と言う言葉が生まれます。

この撃ち合いにより敵の陣形を崩した場合は槍隊を前進させ白兵戦を挑みます。
逆に射撃戦に負けた方は白兵戦になるのを決心して迎え撃つか後退して立て直しを図るのいずれかを選択します。

白兵戦となれば入り乱れての戦いとなります。
崩れて負けそうな「備」を別の「備」で助けて合戦を戦い続けられるようにしますが、戦い続けて心身が疲れて士気が下がり足軽が逃げ出し戦い続ける事ができなくなったり、武将や総大将が討ち取られて合戦の勝敗が決まります。

戦国時代の合戦は時代の流れで変化した。

いかかでしたか?
ここまで陸上の平野で戦う合戦で戦国時代の武器や兵士である足軽について書いてきました。

戦国時代の初期は弓矢と槍による合戦と言えました。
源平合戦のような武将同士の名乗り合いは廃れ弓矢の撃ち合いから槍を合わせ入り乱れの合戦になる。
それが鉄砲の登場から火薬を用いた火力の戦いに移りました。
戦う武将と兵士である足軽は農業の兼業から専業の武人となりました。

これは戦国大名が特に織田信長や豊臣秀吉が全国を統一する事を目的に合戦を行うようになった為です。
地域や時期に縛られない作戦行動が専業の武人と大量の火力を必要とした為です。

合戦や足軽・武将の在り方を見ても戦国時代も時代の変化があったのです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

また、下記の記事では戦国時代の武将について紹介しています。
ぜひ、こちらもあわせてご覧ください。

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